日本史リブレット人 019 藤原道长 摂関期の政治と文化
本書は、摂関期を代表する権力者である藤原道长をとりあげて、前半ではその生涯を叙述しその実像に迫り、後半では彼が行った政治のあり方の特色を明らかにし、また彼が中心となって推進した仏教や文芸などの文化的達成をとりあげた。藤原道长と摂関期の政治や文化を古代国家の歴史の中に位置づけることをめざした。
かつて、摂関政治は、貴族は先例だけを守り儀式作法に意を注ぎ、実質的な政治は無いとされていたが、国家政治の中心は太政官にあり、平安時代中期の政治制度の実証的研究が進んだ。受領についても地方官として徴税を請け負っていたことが明らかになった。こうした国家の中に藤原道长の政治を位置づけた。
藤原道长は摂関政治の頂点にいると考えられるが、実際には孫の後一条天皇が即位したわずか1年間摂政になっただけであり、三条天皇が即位したときに関白就任の要請があったが辞退し、もっぱら内覧と一上左大臣の地位を保った。政治史的には三条天皇との対立が有名で、後一条の即位をめざして天皇に陰湿に退位をせまった専制的権力者というイメージが強いが、実際には三条天皇に問題が多く、道長が貴族社会全体の利益を統合し代弁していることを述べた。また生涯後半には仏教への奉仕を強め、金峯山詣や出家後の法性寺の造営など大きな達成であるが、出家後も「大殿」として大きな政治力をもったことは、摂関政治をゆがめた面がある。
政治のあり方としては、公卿が集まって合议する「定」、阵定が大きな意味をもったことで、道长はそれに左大臣として参加して议论を主导したことが特色である。阵定は、改元定、罪名定など国家的重要议题で开かれたほか、诸国申请雑事定、造宫定、受领功过定など地方行政、つまり受领の统制に関する议题で开催された。とくに任期终了后の受领の成绩を审査する受领功过定では、调庸制の再编を受けてあらたに审査项目をふやすことで财源の确保をめざし、例外的に全员一致の结论が出るまで繰り返された。一方で中纳言以上の公卿は、上卿として「政」において诸司诸国からの申请を决裁し、また様々な行事の执行も上卿として担当した。こうした公卿の合议と分担を一上と内覧として统括したのが道长の政治の特色であり、公卿连合の太政官政治の上に権力を筑いたことは、古代国家の伝统の到达点と评価できる。
文化史上では仏教への贡献が大きく、法华経信仰を広め、晩年无量寿院?法成寺を造営した。そこで仏师康尚?定朝を登用し、定朝様の古典的と呼ぶべき美を生みだしたことに大きな意义がある。みずから汉诗の作咏や书籍の蒐集につとめ、一条朝の汉文学の兴隆に大きな贡献をしたが、さらに『紫式部日记』の执笔や『源氏物语』の流布にも大きく関与し、屏风歌の作成などを通じて和歌など女性中心の文化を歴史の表舞台に取り込み、文化の基盘を広げた。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 大津 透 / 2023)
本の目次
1. 道長の登場
2. 道長と一条天皇
3. 三条天皇との対立と外孫の即位
4. 道長の政治
5. 道長の文化
おわりに 『御堂関白记』と『栄花物语』
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