中世鎌仓のまちづくり 灾害?交通?境界
中世以来の都市である鎌倉は、三方を山と谷が取り囲み、南に海が広がっています。多くの寺社や遺跡、地形を生かした都市の「かたち」そのものが、中世鎌倉の雰囲気を現在に伝えています。都市鎌倉の生活様式は、まちづくりの過程を含めて「鎌倉文化」と呼んでも良いと考えていますが、その鎌倉文化の特徴は、「柏餅」に似ていると思います。柏餅を包んでいる柏の葉は、中世鎌倉のかたちによく似ています。なかの餅は「鎌倉文化」そのもので、表面は白い餅 (京都風文化) できれいにつつまれていますが、なかは小豆色のあんこ (武士の合理的な文化) がぎっしりつまっているのです。つまり、京都風を真似しながらも、現実的な東国武士の文化を基としていたことをよく表現しています。こうした「柏餅」風のまちづくりを、本書ではより具体的に見ていきます。
まず第滨部「都市をつくる?维持する」では、鎌仓の自然环境と都市生活の関わり、インフラや景観などについて分析を加えます。大小の谷に囲まれた鎌仓を、中世の人々は上手に活用し、住みこなしていました。その反面、自然の谷を切り开いて小规模の开発をおこなったり、河川の近くにまで密集して住居が设けられたりしたことによって、中世の鎌仓はたびたび火灾や洪水などの灾害に见舞われることにもなりました。灾害を防止するために幕府は、阴阳道の祭祀などを行っていました。谷の入り口や、谷を通る道沿いには町が成立し、谷の奥に向かって、武士の屋敷や寺社が展开していました。交通のための施设である桥や、静寂な谷の奥に建てられた禅宗寺院は、まちの景観向上にも役立っていました。
第滨滨部「都市に暮らす?都市を访れる」では、鎌仓の住人の暮らしに踏み込んで考察し、住人の认识や都市鎌仓を支える后背地の问题にまで视野を広げています。鎌仓には、就职や诉讼などさまざまな目的で人々が访れ、また年贡や商品などの多くの物资が集まってきていました。鎌仓の中心地域だけでなく、境界でも宗教活动や経済活动が活発におこなわれていました。ただし、鎌仓の境界线は明确に定められていたのではなく、境界を区切る施设も存在しませんでした。境界の外侧の周辺村落では、米や野菜などの食品の生产がおこなわれたり、武士が信仰する圣地が存在をしたりしており、都市鎌仓を支える存在として、密接につながっていました。さらに、武士の屋敷は交通の要所に置かれ、接客の机能も持っていました。
以上のように、本书では、人や物が絶え间なく行き交う中世都市鎌仓の特徴を明らかにしています。
(紹介文執筆者: 史料编纂所 教授 高橋 慎一朗 / 2020)
本の目次
I 都市をつくる?维持する
1 鎌倉の山と谷
2 鎌倉と災害
3 鎌倉を襲った中世の大地震
4 中世鎌倉の橋
5 都市鎌倉と禅宗寺院
II 都市に暮らす?都市を访れる
1 中世都市鎌倉―武家政権中心地の諸相
2 中世の都市と三浦一族
3 一遍にとっての鎌倉
4 鎌倉の境界と周辺
5 鎌倉の武家屋敷
おわりに
関连情报
新刊紹介 (『都市史研究 7』 2020年10月25日)
新刊紹介 「中世鎌仓のまちづくり」 (中部経済新聞 2020年3月21日)
本の绍介 (朝日新闻 2019年10月26日)