诗のトポス 人と场所をむすぶ汉诗の力
タイトルに掲げた「トポス」には、二つの意味がある。この本の「あとがき」では、それを「ある轮郭をもった特定の场所」と「定型として用いられることばの集积」とした。もとはギリシャ语。トピックという语は后者に由来する。それぞれ别の文脉で使われるのが通常であるけれども、诗歌について言えば、この二つは重なっている。「ことばと场所が积み重なるところとしてのトポス」、それをここでは描こうとしたのである。
副題のように添えられた「人と场所をむすぶ汉诗の力」が示すように、とりあげたのは中国と日本の漢詩であり、場所もまた、洛陽に始まり、西湖や涼州などを経て、江戸、長安へと至る。かといって、歌枕を訪ねての文学散歩といったものではない。むしろ、ある土地である詩が生まれ、それによって人の生が土地に結びつき、媒介としての詩がこんどは土地の表象となって新たな詩を生み、そうしてことばが土地に積み重ねられ、人がそこに自らの在りどころを定めるさまを見ようとした。
「あとがき」には、次のようにも书いた。「人は天に浮かんで生きることはできない。住むにしても旅をするにしても、どこかの土地、どこかの场所に在らねばならない。そこで得られた感覚、経験、记忆が、人の生をかたちづくる。诗人は、その一つ一つを诗によって伝える。もとより诗と生は同一ではなく、诗には诗の秩序がある。诗は生のあらわれというよりも、そこに生を委ねることでかたちを得ようとするものだと言ってよいかもしれない」。
そうしてみると、诗は、どこかに仮住まいの空间を作ることと似ているように思える。建筑などという大がかりなものではない。そのあたりにある枝や石や草を使って、动线を确保し、落ち着く场所を定める。眺望があってもよいし、何かに囲まれているのも悪くない。ただ地面に石を并べただけでもいい。それだけで空间に轮郭が生まれる。そして谁かが作ったその场所に、谁かがまた仮住まいをする。それは小さな庭のようだとも言える。
诗を読むことはたのしい。汉字で书かれた诗、つまり汉诗は、汉字という文字の特性を活かしたり、その担い手であった人々の知识世界をあちこちに埋めこんだりするので、あれこれ注釈が必要になってしまうのだが、惯れてくると、その注釈すらおもしろくなってくる。小さな庭や部屋をあちこちめぐるようなもので、お気に入りの场所が见つかれば、何度も访れたくなる。
最后に、小さな工夫について。日本では汉诗の本というと、上に原句があって下にその训読が付されているという形式が一般的で、ついつい训読だけを読んでしまうことになる。汉诗は、汉字がただ并べられているところがいいのに、ちょっともったいない。というわけで、この本では原诗をまず掲げた后で、训読を别に添えることにした。好きな诗だけ拾い読みしてもいいように、巻末には索引もつけた。诗をたのしんでいただければ嬉しい。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 齋藤 希史 / 2018)
本の目次
花と娘/天津橋/履道里の閑居
その二 成都
罷官/秦州/浣花草堂/草堂のモザイク
その三 金陵
謝宣城/今古 一に相い接す/金陵の夢
その四 洞庭
洞庭之野/洞庭之山/左遷の地/岳陽楼
その五 西湖
最も湖東を愛す/鏡湖を羨まず/恋うるに堪う
その六 廬山
悟りの空間/山水詩の誕生/表現の舞台/廬山を望む
その七 涼州
蒲萄美酒/夜光杯/涼州詞/黄河遠上白雲間/涼州の王維/長河落日円
その八 嶺南
則天武后の登場/張説の貶謫/神?の変/逐臣の唱和/嶺南の山水
その九 江戸
?龍山/永代橋/墨堤の桜/無用の人/江戸の終焉
その十 長安
新しき都/相い望むも相い知らず/五陵の佳気/曲江のほとり/王都の回復/詩人の憂い/只だ是れ黄昏近し
関连情报
好書好日:蜂飼耳 評 「土地と言葉をめぐる上質な旅」(『朝日新聞』 2016年6月19日掲載)
レビュー:坪内稔典 評 「土地に積もる人々の思い」(『東京新聞』『中日新聞』 2016年9月4日掲載)