谷崎潤一郎と異国の言语
本書は2003年に人文書院から刊行された同題の単行本が、著者にとっては嬉しいことに、谷崎没後50年、生誕130年のメモリアルイヤーに文庫化されたものである。文庫の帯には「異邦を夢みて美女と美食に惑溺する 中国旅行、インドへの関心、映画、翻訳、関西移住…。エキゾティシズムを超えた対象の作品群から『痴人の愛』『卍』へと連なる文学的萌芽を再発見」とうたわれている。著者としては、サイードの『オリエンタリズム』以来すっかり評価を下げ、ほとんど恥ずかしいものという扱いになってしまった「エキゾティシズム」をめぐって、それは確かにしばしば勘違いのもとともなるが、しかし文学芸术にとって大切な要素でもあるのだという主張を込めた本というつもりである。同時に、谷崎の一般にはあまり顧みられない大正期の作品がもつキテレツな面白さをアピールしたいというのがそもそもの執筆の動機だった。それらの点を中条省平氏 (学習院大学教授?評論家) による文庫解説が的確に指摘し評価してくださっている。「~谷崎にとって、大正時代は、明治末期の絢爛たるデカダン的美学と、昭和初期の日本古典への回帰という二つの創造上のピークに挟まれて、停滞の時期と見なされるようになってしまいました。/ 本書、野崎歓氏の『谷崎潤一郎と異国の言语』は、そうした文学史的定説に意外な角度から鋭い反証をおこない、みごとな手際で大正時代の谷崎文学の特異な豊かさを明かす、まことにスリリングな評論です。/ その野心的な試みのために、著者?野崎氏が中心概念に置くのは、エキゾティシズムです。エキゾティシズムは「異国趣味」とか「異国情緒」などとも訳され、漠然と遠く離れた異邦の神秘的な事物や風俗に憧れる気分を意味しますが、野崎氏は語源に拠りつつ、これを敢然と、「既存のイメージを裏切ってわれわれを外 (エキゾ) と連れ出す力」と定義し直します。大正期谷崎の作品には、そうした力への欲望がみなぎり、それがばかばかしさと紙一重の地点に至ることも恐れず、その情熱の滑稽かつ真摯な行方を描きだしているというのです。」と解説の結びも引用しておきたい。「谷崎の小説にはいつも、喜ばしく、いたずらっぽいところがあって、読者を楽しませてくれます。そして、そう気づいた瞬間、谷崎を悪魔主義やら日本回帰やらの紋切型で語ることに退屈し、苛立ち、谷崎文学をいま見えている姿から変身させ、未知の領域にむかって旅立たせようとする営みこそ、『谷崎潤一郎と異国の言语』という書物が目指していることだと、読者ははたと膝を打つのです。だからこそ、この文芸批評はしかつめらしい学者臭さとはまったく無縁で、いつもいたずらっぽく微笑み、私たちを喜ばしい気分にいざなってくれるのではないでしょうか。」本書が少しでも中条氏の評にふさわしいものであることを願うばかりである。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 野崎 歓 / 2016)
本の目次
第1章 フランス語入門 - 「独探」
第2章 「貴い大陸」の言葉 - 「鶴唳」
第3章 魔法の語り -「ハッサン?カンの妖術」
第4章 映画的言语の実験 -「人面疽」
第5章 翻訳の空間へ - 『卍』
註
あとがき
文库版あとがき
解説 (中条省平)
関连情报
野崎歓『谷崎潤一郎と異国の言语』沼野 充義 Language information text / 東京大学大学院総合文化研究科言语情報科学専攻 編
书评ニュース:
书评掲载情报
朝日新聞 2015年6月21日
日本経済新聞 2015年5月3日
UTOKYO VOICES 001 (2018年01月09日掲载)
人生の軸となる古典文学の復興を目指す | 大学院人文社会系研究科?文学部 教授 野崎 歓