2021年のノーベル物理学赏は、プリンストン大学上席研究员の真锅淑郎先生が受赏されました。真锅先生はもちろん本学の卒业生です。本学をはじめとする日本の気候学研究者にも多大な影响を与えてきました。広报课では、以前から交流がある3人の研究者にお声がけして座谈会を开催。ノーベル赏につながった真锅先生の研究成果やその研究スタイルの特徴、そして気候学における东大の贡献についても概説してもらいました。
渡部 我々の研究分野ですが、気象学とか気候学とか気象力学とかいろいろ言い方があって、一般の人は何が违うのかと思うようです。
気象学? 気候学? 気候システム学!
住 気象学は英語でいえばmeteorology。-gyとつくほかの学問と同様、記載に重きを置く学問でした。雲などの現象を見て天気図を記すというようなことです。気候学はclimatologyでこれも記載型。伝統的には地理学(geography)に含まれ、地域ごとの記載が重視されました。そこに欠けていたのが力学の部分で、物理として気候を捉えようというのが気候力学(climate dynamics)です。ディシプリンというのは狭く深くなっていくものですが、現実の気候は一つの大きなシステムであり、大気や海洋などのサブシステムが相互に関係するもの。私は自分の専門分野は気候システム学だと言っています。大気も海洋も陸地も氷床も地球表層の全ての環境を含めて総合的に考える学問です。
渡部 阿部先生は时间スケールを意识して古気候学と言っていますね。
阿部 间接的な方法で昔の気候を探るのが古気候学です。気候モデルを过去の様々な时代にあてはめて探ります。氷期も间氷期も恐竜がいた白亜纪も対象です。过去も现在も未来も同じ土台で理解するのが目标です。
渡部 気候モデルを核として気候システム学を推进するというのは3人に共通ですね。日本になかったこの分野を开拓したのが松野太郎先生(现?东大名誉教授)や住先生でした。
住 私は世代的にはだいぶ下ですが、真锅先生と同年代の松野先生からいろいろ话は闻いていました。1984年に松野先生の招聘で真锅先生が东大に来て気候変动论の讲义をやると闻いて、当时勤めていた気象庁から理学部3号馆の大教室に駆けつけました。
阿部 日本での讲义はそれが初ですよね。私は当时地理学科の学生だったので知りませんでしたが、地球物理に移ったときに演习でこのときの讲义録を资料としてもらって勉强したんです。
住 大学院生だった増田耕一くんがよくまとめてくれました。メモ魔だった彼の功绩です。
渡部 84年というと私はまだ中学生ですね。大学院生のときに分厚い手书きの青焼きコピーが回ってきて、いまも持っています。本にならないかと思ってたら、去年本になりました。
住 あのときの讲义で惊いたのは、真锅先生が同位体の话をしていたことです。日本の気象学者でそんな话をする人はいなかった。
真锅先生の东大讲义録が道标に
阿部 私が研究の道を进む际にこの讲义録が道标になったのは间违いありません。记载を重んじる学问より现象の「なぜ」を问う学问に心が惹かれました。その后、私は1987年の春にアメリカに行きました。このとき、住先生から言われて真锅先生にインタビューを申し込み、いろいろと话を闻けたのも大きかったです。
住 当时、私が学会誌で海外にいる研究者にインタビューする连载记事を担当していて、どうせ行くなら原稿书いてよと頼んだね。
渡部 当时、真锅さんのことが日本语で记されたのはこの记事くらいじゃないでしょうか。
阿部 医者の家系で、一高を受けるつもりだったのに、中学の先生が愿书を出し忘れたそうです。それで旧制の大阪市立医科大学に行ったら、翌年に新制に変わって东大へ。当时は理科二类から医学部に进めたので父から医学部に行くよう期待されたものの、1年次にカエルの解剖で失败して自分には向かないと思って地球物理に进んだ、と半生を振り返ってくれました。
渡部 その后、真锅先生の下で働きましたよね。
阿部 欧州留学の后、私は95年に気候システム研究センター(颁颁厂搁、现?大気海洋研究所)の助手になりました。97年に学会でアメリカに行ったとき、同僚の山中康裕さん(现?北大教授)とともに真锅先生に呼び出され、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフで食事をしました。宇宙开発事业団と闯础惭厂罢贰颁の连携で日本に新しい研究センターを立ち上げるから手伝わないかと诱ってくれたんです。真锅先生が温暖化分野の领域长でその下に私たちがいる形で、98年から01年まで、兼务でプロジェクトを进めました。最初は浜松町でしたが、00年から横浜に移り、「地球シミュレータ」というスパコンの隣で働きました。
渡部 私は博士课程修了が00年です。真锅先生が日本にいたおかげで、会议で何度かお见かけしました。伟い先生は若手の颜など覚えていないものですが、幸い覚えてもらえました。颁颁厂搁は日本の大学で唯一気候モデルをつくっていたので関心を持ってくれたのかなと。91年の颁颁厂搁発足の立役者が住先生ですね。
住 当时の有马朗人総长が、50亿円规模のシミュレーション科学は大学に向いている、と言って推してくれたのが効きました。导入に膨大な事务処理が必要で运用も大変なので无理してスパコンを持つことはせず、交换の时期を迎えていた大型计算机センター(现?情报基盘センター)のマシンをお金を払って使わせてもらうという工夫を施しました。
阿部 计算机センターとのコラボはこれが初。东大史の中でも大きなことでした。
渡部 颁颁厂搁は教育の意味でも重要でした。若手がモデルを手作りしてその中身を知ることができた。ブラックボックスとはせずに。それで研究者が育ったという面が大きいと思うんです。
阿部 渡部くんは学生时代からモデルづくりを进んでやっていましたね。
本质を捉えて突き进む真锅スタイル
渡部 さて、真锅先生の研究スタイルの特徴というとどんなことでしょうか。プロセスを1からコツコツ组み立てるというよりは、アイデア主导で大局を见据えながら思い切って进める印象を个人的には持っています。本质をまず捉えてから进めるといいますか。
住 普通は気候モデルができたらその出来を天気予报などで确认したくなるけど、真锅先生は天気予报には関わらなかったですね。个々の事例ではなくあくまで気候の全体に兴味がある。真锅先生は一贯して大きな视点と长いスパンで见た気候に関心があったと思います。大事にしたのは平均状态を见ること。个々の部分はとりあえずよしとして长い时间で见て平均してわかればよい、と考えたのがすごいところです。
阿部 それはまさしく天気予报の世界と気候研究の违いですね。天気予报は个々の场所で个々の时间にどうなるかが知りたい。でも気候は长年の平均で考えないといけません。
住 陆域の水循环をバケツに见立てたモデルも特徴的です。地表面には湖も川もあって复雑ですが、それをバケツの深さの违いだと考えた。そして极め付けはフラックス调节です。
渡部 初期の気候モデルでは大気のモデルと海洋のモデルを合わせるとシステムの暴走がよく起こりました。その际に、観测された状态を再现する手段として、平均状态を保つようなエネルギー(フラックス)を外から加えて补正するという工夫を真锅先生は加えました。
阿部 昔は计算机の能力が乏しくてそうしないと先に进めず、たとえば颁翱2が増えたらどうなるかの计算もできませんでした。真锅先生はそこを思い切ってやったから先に进めました。
住 批判されてもめげなかった。真锅先生の结合モデルの大きな成果はフラックス调节の旗を掲げ続けたことかもしれません。
渡部 そのやり方で本质を捉えて気候システムをモデル化し颁翱2の浓度を変えたときのシミュレーション结果は、いまも间违っていません。
阿部 物理学では复雑な対象に迫るためによく近似を使います。真锅先生もそうした。后の人が検証したら、先生の予测は结果的に正しかった。近似をしても本质を捉えていたんです。
渡部 ノーベル赏のサイトに载っている67年の论文の図はいまもたいていの大気科学の授业で绍介されていますね。
住 低い点から出発しても高い点から出発しても同じところに収束する。気候が解に収束することを示した画期的な図です。
渡部 日本と东大の気候学研究のこれまでとこれからについても触れたいと思います。
住 日本は大きな计算机资源を使って気候変动の研究を进めることをずっと続けてきました。颁颁厂搁の発足后、日本はスパコンを使って気候モデルの计算精度を上げることを掲げ、気候学の世界をリードしてきたといえます。
渡部 気候モデルづくりでは出遅れましたが、地球シミュレータ以降はスパコンのパワー胜负に挑んできました。いまは他国に抜かれましたが、日本が先行したのは间违いないですね。
住 90年代以降、ダウンサイジングが进み、ベクトル计算机に力を入れていた日本のメーカーは失速しました。そこで「日本のスパコンの父」と称される叁好甫さんが奋起した。スパコンを作るならすぐ役立つものでないとだめだという财政当局の説得に使われたのが地球温暖化予测でした。生命现象や物性などと违い、気象の计算は生活に直结しますから。そうして生まれた地球シミュレータはずば抜けた性能で世界を惊かせました。スプートニクショックにかけて「コンピュートニク」と言われたほどです。
世界の気候学をリードした颁颁厂搁
渡部 物理学に即した気候学というジャンルは日本の大学には根付いていませんでしたが、そうした基盘があってこそ、东大の颁颁厂搁が世界の気候学をリードしてこられたわけですね。
阿部 気候システムの理解は分野の壁を越えて繋がないと无理。东大が気候システムの研究机関をつくったのは一つのブレイクスルーでした。
住 颁颁厂搁の卒业生は全国各地に散って活跃しています。次代の研究者を育成するという教育机関の使命も果たしてきました。
渡部 スパコンがあっても教育机能がなければ、滨笔颁颁への贡献もなかったでしょう。滨笔颁颁の报告书はこれまで6本出ていますが、我々を含む东大の科学者が执笔に贡献してきました。第4次の报告书(2007年ノーベル平和赏)では住先生。第5次は阿部先生で、第6次が私です。もちろん第1次は真锅先生です。
阿部 初めて関わったのは第3次でした。住先生が教授で私が助手だった顷で、何とかパフォーマンスの高いものを出そうとフラックス调节したモデルを急ピッチで作りました。今年8月に公表された第6次报告书は、颁翱笔26で科学的根拠として使われています。
渡部 报告书を通じて科学的なベースとなるエビデンスを提供するのが私たちの役割です。
住 地球のシステムを総合的に考えようという流れになったのはやはり真锅先生の大気海洋结合モデルから。実际の地球には全ての物理环境が関係しています。気候システムから地球システムへという方向性は今后も进展するでしょう。
渡部 様々な分野で地球システムに関连する研究が行われている东大には、それを促进するポテンシャルがあります。力を合わせて地球システムモデルをつくる方向に舵を切るべきです。そのため、たとえば「真锅记念研究センター」のようなものがあるとよいなと思うのですが。
住 复雑な対象を统合的に分析しようというとき、现実的に可能な手段はモデリングです。皆が纳得できる统合のやり方としてあり得るのはモデリングだけと言ってもよいかもしれません。
渡部 気候モデリングは理论というより実験です。理论があって、それを証明する実験のかわりにモデルがあるわけです。
阿部 仮想地球の実験室ですよね。モデルはつくって终わりではなく、様々な状况にあてはめることが重要です。一旦温暖化すると元に戻れないのか、性质の违う海洋循环モードに入るのか、一旦溶けた氷は戻らないのか、地球システムは别の状态に入るのか。モデルを使ってそういう复雑系の科学を进めることができます。気候の结果は生态系に影响を与え、生态系はまた気候に影响を与える。影响は物理にとどまらず生物や化学などにも波及しますから、その関わりを皆で调べるべきです。真锅先生は先日记者会见で、いま兴味があることは何かと闻かれて、生き物の进化だと答えていました。90歳の真锅先生が気候と生き物の関係を新しく勉强しているというのはとても印象的でした。
渡部 东大も见习わないといけませんね。