第1135回淡青評論

七徳堂鬼瓦

制约からの発见

「制约」はネガティヴな响きを持つ言叶です。しかし、创造的で个性的な仕事をするためには、制约の无い状态がベストでしょうか。何をやってもよいということが良い発想を生むでしょうか。私はそうは思いません。

尺八と琵琶とオーケストラのための作品「ノヴェンバー?ステップス」などで世界的に知られる武満彻さんは、「何も制约がないと、自分が制约条件になるんです。自分の趣味や自分の手の癖から抜け出せなくなる」と语っています(『武満彻?音楽创造への旅』立花隆着)。武満さんは音大には入らず作曲はほぼ独学です。デビュー作は当时の着名な音楽批评家に「音楽以前である」と酷评されました。しかし、アカデミックな音楽教育を受けなかったという大きな制约が、逆に、従来の作曲法の制约から彼を解き放ちました。さらに武満さんは自分の作曲法に敢えて制约を导入することで、自己模倣ではない新しい表现を生み出しました。

私は生命科学を専门にしていますので、この分野の「制约」からの研究を绍介します。戦后、阪大で研究を始めたばかりの早石修先生は、必须アミノ酸の一つ、トリプトファンの研究で高名な古武弥四郎先生から、天然物から抽出して集めたトリプトファンを研究に使って欲しいと渡されました。既に古武先生が一生かかって研究したトリプトファンを、お前のような素人が研究しても良い结果は出ないと周囲は悲観的だったそうです。しかし、薬品も研究费も乏しく、贵重なトリプトファンがあるのみという制约の中で、早石先生は古武先生が动物でやった研究の目先を変えて微生物を使った研究を始め、薬物の解毒やステロイドホルモンの合成にも深く関わっている酸素添加酵素を発见しました。

制约を、むしろ逆手に取って、どんな状况においても、しつこく课题に取り组まないと予期しない発见には出会えません。おもしろそうなこと、最近流行していること、楽に结果が出そうなことをつまみ食いするのではなく、间违っても轨道修正ができる学生时代にこそ、自分のテーマを「制约」して彻底的に追いかけることで、それまで気づかなかった自分の能力が発见できるのだと思います。

叁浦正幸
(薬学系研究科)