能登半岛地震から半年──灾害とコミュニケーション
2024年1月の能登半岛地震から半年。被灾地では余震が続いています。灾害时、そして復兴を进めるなかでどのようなコミュニケーションの工夫が必要なのか、情报学环附属総合防灾情报研究センター长の関谷直也教授に闻きました。
避难所での闻き取り调査
── 能登半島地震のあと、避難所で聞き取り調査をされました。どのような声が聞かれましたか?
狈贬碍金沢放送局との共同研究として、取材班と研究室のメンバーで现地に赴き、被灾した方々にお话を伺っています。発灾时に具体的にどのような避难行动を取り、それをどのように感じているか、いま何に困っているのかについて、2月から3月に避难所や2次避难所で258名の方にお话を伺い*)、6月に仮设住宅で270名の方にアンケート调査を行いました**)。
半年が経过し、仮设住宅に住む方への调査では**)、地域の復兴としてもっとも重要と考えられていた项目は「住居の确保」(83.3%)でした。ただし「再び地震?津波が起きること」が心配だと答えている人が72.2%、「大きな地震が来るのではないかと怖い」という人が77.0%にのぼり、再度の灾害への不安感も非常に强いことが特徴です。过去の多くの灾害では、あるていど时间が経过して、復兴が落ち着いてから次の地震や津波への不安感が出てくることが多いと思います。しかしながら能登半岛では、2020年12月顷から地震が频発しており、2021年9月16日に震度5弱、2022年6月19日に震度6弱、2022年6月20日に震度5强、2023年5月5日に震度6强など强い揺れが相次いで発生してきたところに、今年1月1日に地震が発生しました。また余震も続いています。地震の「割れ残り」などが指摘されるなど、この地域に再び地震が起こることへの不安感が强いなかで、どのように住む场所を再建していくかが大きな课题となっています。
灾害は常に违う颜を持ちます。闻き取り调査やアンケート调査を通して、そのときどきの灾害时の课题が明らかになります。能登を离れてホテルなどに避难している人にお话を伺うと、北陆新干线の敦贺延长に合わせて観光客が増えてくるので、避难先にこれ以上迷惑はかけられないと言って、水道などのインフラが復旧していなくても、能登に戻ろうとする方々がいました。そして住居の确保が最大の関心事であっても、能登以外の地域で再建をしようというのではなく、もともと住んでいた场所で再建を望んでいる方々が多くいることもわかってきました。
近年の社会调査では、インターネット経由のアンケートが増え、対面调査や访问调査は减少倾向にあります。しかし、现场に赴いて调査をするなかで、避难をされている方々に直接会って、颜を合わせながらお话を闻くことが、やはり一番重要であると强く感じています。
── 震災後の支援や復旧作業に時間を要している原因は何でしょうか?
政府の対応の课题などさまざまな要因はあると思いますが、半岛という地形的な特性による要因が大きいと考えています。金沢から奥能登までは、道路があるていどは復旧した现在でも、片道2、3时间かかります。また、一般的に、半岛のライフラインは脆弱です。2019年に房総半岛を袭った台风のあとも、长期间にわたって停电が続きました。都市においてライフラインは&濒诲辩耻辞;多重化&谤诲辩耻辞;されており、一か所が止まっても别の方向から水道?电気?ガスを供给することができます。しかし、&濒诲辩耻辞;多重化&谤诲辩耻辞;が难しい半岛では、ライフラインの一部が寸断されてしまうと、復旧にものすごく时间がかかります。
能登半岛の场合は、もともとのインフラの老朽化に加え、地震による被害が広域にわたり、上下水道をすぐに元通りに復旧させることが困难でした。また、のと里山海道や能越自动车道をはじめとして交通网の復旧が遅れ、復旧のための工事车両や人员の移动が难しくなりました。能登にはビジネスホテルが少ないためでもありますが、现在でも能登での宿泊は难しい状况で、最近は応援职员や作业员用の宿泊场所が能登に作られましたが、长らく多くの復旧要员は金沢や氷见などから通う方も多くいらっしゃいました。
── 能登半島の復興を考える際、他にはどのような課題がありますか?
能登半岛では、震灾前から人口减少と高齢化が进んでいました。石川県でも、金沢?加贺と能登では、过疎、交流人口、交通インフラや病院、学校等にさまざまな格差があると言われていましたが、今回の震灾は、それらの问题を顕在化させました。
「被灾前に住んでいた场所に住みたい」と回答した人は、3月调査では69.0%、6月调査では66.3%でした。しかし、今后どれくらいの规模でどのようにまちを再建していくのかについての答えはまだ见つかっていません。震灾前と全く同じ规模のまちを再建することは难しいし、これから移住者を増やしていくことも简単には期待できない状况です。
もともと地域が抱えている课题が顕在化すること、元通りに復兴できない可能性があること、これは能登半岛だけの问题ではありません。例えば、2011年の东日本大震灾と原発事故后の福岛でも、もともと存在していた问题が灾害によって顕在化しています。人口减少が进みさまざまな困难を抱える地域を、これからの日本の课题を先取りしているという意味で、课题先进地域と呼んだりすることが多いのですが、まさにこの问题において能登も课题先进地域です。
また、灾害対策としては、都市部でも类似の问题が存在します。これから起こるかもしれない首都直下地震、南海トラフ巨大地震に备えるにあたって、过去の右肩上がりの时代の灾害と、今后の人口减少や日本経済の衰退を前提として復旧する必要のある灾害とでは、復旧?復兴の捉え方が大きく异なります。社会背景によって、復旧?復兴の方向性に违いがあることに注意が必要です。
平时からの备えを
── コミュニケーションという観点から、能登半島地震やこれから起こりうる災害をどのように捉えていらっしゃいますか?
日本では、灾害対策基本法、放送法によって、灾害时に放送局が防灾に関する情报を伝达することが义务付けられています。歴史を振り返ると、1923年関东大震灾のときは、放送(ラジオ放送)がなく、また当时の主要メディアである新闻も通常通りに発行できず、根拠の无いうわさが広まり、朝鲜人や中国人への迫害が起こりました。この问题以降、灾害时に正しい情报を伝えることの重要性が认识されてきました。そして戦后には、大きな被害をあるていど事前に予测できたにもかかわらず、事前に适切な避难の呼びかけにつながらず死者?行方不明者数5,098名の戦后最大の风水害となった1959年伊势湾台风の経験から、1961年に灾害対策基本法が制定されました。
灾害対策基本法では、テレビやラジオなど放送局は、指定公共机関、指定地方公共机関として防灾に寄与することが求められます。海外でも、报道机関は、ジャーナリズムとして社会の重大な出来事として灾害を报道します。早期警戒情报を伝える仕组みがある国もあります。しかし、法律で灾害の発生予防、被害の軽减に役立つ放送をすること、防灾にかかる情报を伝达することが义务化されているわけではありません。环太平洋に位置し、地震だけでなく火山灾害、台风による水害や土砂灾害が発生する可能性がある日本は、国土全域が灾害リスクを背负っています。放送においても、灾害に対する备えが文化として発展してきたのだと思います。
今回の能登半岛地震でも、狈贬碍のテレビ放送で强い口调で津波の避难を呼びかけたことが话题になりました。しかし注目すべき点は、今回の能登半岛地震でも、逃げた人のほとんどは放送による呼びかけを闻く以前に、揺れをきっかけに避难を开始していることです(図1)。つまり、沿岸部に住む人々の多くは灾害への意识が高く、揺れによる津波のリスクを平时から理解しており、揺れが起きた时点で瞬时に避难できたのです。これは东日本大震灾でも同様です。***)
能登半岛地震のみならず、様々な灾害后の调査とコミュニケーションの分析を通して、将来起こりうる灾害に备えた防灾教育、いざ灾害が起こった际の効果的な避难の呼びかけ方、あるいは情报がなかったとしても避难を促すための工夫、などへのヒントが得られると考えています。机上で考えたアイデアなどではなく、人の话を闻き、アンケートをするという地道な実証研究からしか、その答えを得ることはできないと思うのです。
── これからの研究や調査で注目されていることはありますか?
灾害とコミュニケーションに関する研究は、1976年に东海地震説が提唱された后にスタートした研究に一つの源流があります。もし仮に大地震が予知ができるようになったとしたら、次に问题となるのは、それらを人々にどう伝えていくかが课题だと考えられたからです(ただし、现在では、地震の直前予知は困难と考えられています)。そのため、东海地震の警戒宣言などが発せられた场合に、人々がパニックを起こすのでないか、社会的な混乱が起こるのではないかということが议论されていました。しかし、その后、地震や水害における避难行动や心理に関する调査を积み重ねるなかで、自然灾害においてパニックを起こしたり、慌てて避难したりするようなことは极めてまれで、むしろ人々の自然灾害への関心は低く、なかなか避难しないことが分かってきました。だからこそ、灾害时の呼びかけに加えて、平时から灾害に备え、命を守るためにどうすれば良いのか、人々の心理にも注目して研究を続けています。
灾害后のコミュニケーションには様々なフェーズがあり、时间の経过によって性质が変化します。まず発灾时には、津波警报や避难指示を放送やスマートフォンなどを通じて伝え、人々に避难してもらう必要があります。まだスマートフォンが普及していなかった过去の震灾では、电话回线にアクセスが集中し、辐輳(ふくそう)と呼ばれる、电话がつながりにくくなる状况が発生しました。インターネットを介した尝滨狈贰でのやり取りが主流となった近年、辐輳の问题は解决されつつあります。しかし、能登半岛地震のように、灾害时には基地局などが被灾し、通信が不通になることがあります。首都直下地震でも、大规模な火灾によって通信が遮断されることが予想されます。究极的には、通信が使えない、情报が得られない状况で、どのように身を守るかについてしっかり考えることが本来の灾害対策です。
次に、ある程度时间が経过してからのコミュニケーションのありかたを考虑することも非常に大切です。例えば、ボランティアが避难所で炊き出しをしたり、ポジティブで闻こえの良いメッセージを出し合ったりすると、人々の気持ちが高まり「灾害ユートピア」と言われるコミュニティが形成されます。他方、多くの人々が不安を抱える状况でコミュニケーションをとることによって、谁が発信したかわからないような情报がネット上で拡散され、流言や噂などによる情报の混乱の问题も起こります。これらもコミュニケーションの问题の一种と捉えています。
能登半岛地震では、被灾した方々が避难所から仮设住宅に移った后も、継続的に调査を続けています。さまざまなフェーズでどのようなコミュニケーションが取られているのかについて、さらに研究し、能登の方々の復兴、また次の灾害対策につなげていきたいと思っています。
*) 震灾3か月后调査:258票、避难所?2次避难所での有意抽出による面接法、调査期间2024年2月11日~3月10日
**) 震灾6か月后调査:270票、仮设住宅での访问配布邮送回収法、回収率31.8%、调査期间2024年6月4日~6月19日
***) 関谷直也『灾害情报──东日本大震灾からの教训』(2021年、东京大学出版会)を参照。
関谷直也
大学院情报学環附属総合防災情報研究センター 教授
东京大学大学院人文社会系研究科社会情报学専门分野満期退学、博士(社会情报学)。専门は灾害情报论、社会心理学。东洋大学社会学部准教授、东京大学大学院情报学环総合防灾情报研究センター准教授などを経て2024年より现职。福岛大学食农学类客员教授、东日本大震灾?原子力灾害伝承馆上级研究员を兼务。着书に(2011年、光文社新书)、『灾害情报──东日本大震灾からの教训』(2021年、东京大学出版会)、共着に『広报?笔搁论』(2014年、有斐阁)などがある。
初回取材日:2024年5月21日
取材:寺田悠纪、ハナ?ダールバーグ=ドッド