史料编纂所所蔵「落合左平次道次背旗(鸟居强右卫门磔図)」の寄託

このたび、が所蔵する「落合左平次道次背旗(おちあいさへいじみちつぐせばた)」を大分県中津市歴史博物馆へ寄託することとなりました。
「落合左平次道次背旗」は、戦国时代から江戸时代初期顷にかけて作られた旗指物として、とくによく知られています。天正3年(1575)5月21日、甲斐の戦国大名武田胜頼と、织田信长?徳川家康が戦った「长篠の戦」の直前、武田军に包囲されていた徳川方の奥平氏が守る长篠城から脱出して、信长?家康の援军が来ることを确认した鸟居强右卫门(とりいすねえもん)という武士を描いたとされます。
强右卫门は、来援を确认して长篠城に戻ろうとしたとき武田军に捕らえられ、味方に援军が来ることを伝えたため、磔にされました。その姿に义を感じた落合左平次道次という武士が描かせて自らの旗指物にしたのがこの旗です。奥平家の忠臣?鸟居强右卫门が长篠城笼城戦の际に、援军要请の使者として派遣され、织田?徳川の援军の约束をとりつけて城へ戻る途中、敌方の武田军に拿捕され、磔になった姿が描かれています。
城に向かって「援军は来るからそれまで持ちこたえよ!」と叫んだ强右卫门の勇姿を、落合道次という武将が见て感铭を受け、背旗(合戦の际に自らの存在を顕示するために背中に负った旗)の図柄にしたと伝わっています。
この旗は史料编纂所が購入した昭和14年(1939)以前の段階で掛軸の形になっていました。しかし旗本体や、周囲の裂地に傷みが見られたため、2015年度に修理を行ないました。
今回、奥平家ゆかりの中津の地で保存活用を図るべく、に寄託されました。
他机関へ本所所蔵资料を寄託するのは初めてのこととなります。
今回の 「落合左平次道次背旗」の寄託に関連して、中津市歴史博物馆では5月11日(土)~5月26日(日)の間、特別公開されることとなりました。5月19日(日)には本所金子拓教授による特別展示解説もございます。ぜひ足をお運び下さい。