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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙

书籍名

思想としてのインド仏教 心と実存 唯識

着者名

判型など

288ページ、四六判

言语

日本语

発行年月日

2024年2月15日

ISBN コード

9784393134450

出版社

春秋社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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本書は、瑜伽行派というインドの大乗仏教の思想を概説している。瑜伽行派は、唯識思想を唱えた学派として知られている。この学派は外界の実在を否定し、すべては認識の結果であると主張している。その思想は、無着 (アサンガ、5世紀頃) と世親 (ヴァスバンドゥ、5世紀頃) という兄弟によって完成されたと考えられている。しかしながら、瑜伽行派の思想の発展を調べていくと、必ずしも初めから唯識説を唱えていたわけではない。むしろ、最初期の思想では、実在という概念が重要な意味をもっていた。この実在を中心とする思想は、これまであまり研究されていない。実在を重視していたはずの瑜伽行派が、なぜ唯識を唱えるようになったのか、その思想の変遷の過程を俯瞰することが、本書の目的である。
 
さまざまな史料を紐解くと、瑜伽行派の思想は無着と世親の独創によるものではないことが窺える。伝説によれば、無着は兜率天という天界で、弥勒菩薩 (マイトレーヤ) から瑜伽行派の典籍について教えを受けたとされている。それは『瑜伽師地論』という典籍で、無着はこれを世に広めたといわれている。
 
ところで、ここでいう弥勒菩萨は天上界の菩萨であり、実在の人物ではない。无着が瞑想の中で弥勒菩萨と出会ったことが、弥勒菩萨から无着への教えの伝授という伝説になったとも考えられる。これはいわゆる神秘体験を想定した解釈だが、文献の伝承过程のような现実的な出来事も、この伝説の背景にあるかもしれない。『瑜伽师地论』は非常に浩瀚な文献で、古い资料を基にして増広された编纂物と考えられている。その编纂作业には复数の人物が関わったとされ、无着もその一人であったと考える研究者も多い。このような伝承の过程で、无名の思想家たちの着作が弥勒菩萨に帰せられていた、と考えることもできる。いずれにせよ、无着以前にすでに瑜伽行派の文献が存在し、それらが弥勒菩萨の説として伝承されていたことは、いくつかの史料から确认できる。
 
さて、無着と世親は唯識説を完成し、外界の対象は実在せず、ただ認識の結果だけが存在すると主張したが、無着が弥勒菩薩から伝承されたという『瑜伽師地論』では、むしろ実在が重要な意味をもっている。『瑜伽師地論』の中でも古い思想を伝えている部分では、言语表現し得ない実在を中心に思想が構築されている。これは唯識説とは相容れない思想のように見える。そのため、唯識思想研究ではあまり触れられてこなかった。しかし、瑜伽行派は唯識説を説くものという先入観を持たずに『瑜伽師地論』を精読すると、実在重視の思想から唯識説へと移行していく経緯が見えてくる。これは単なる外界の実在の否定ではなく、われわれの認識が実在のあり様をいかにゆがめているか、という問題とつながってくる。
 
本书では、文献を歴史的な経纬で追う形で、思想の変迁を考えるようにしてある。その中には、これまでの研究ではあまり取り上げられていない文献も含まれている。そうした意味でも、従来の唯识思想研究とは异なる趣に仕上がっていると思う。思想としての仏教の入り口としての役割を果たせれば、幸甚である。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 高橋 晃一 / 2024)

本の目次

序章
第一章 『菩薩地』「真実義品」――言语表現し得ない事物 (vastu)
第二章 『瑜伽師地論』「摂決択分」(一) ――五事説
第三章 『瑜伽師地論』「摂決択分」(二) ――三性説
第四章 「般若経」「弥勒请问章」の思想――五事説と叁性説の接点
第五章 『解深密経』――事物 (vastu)、三相説、アーラヤ識、唯識
第六章 『大乗荘厳経论』――相と真如と転依
第七章 『中辺分别论』――虚妄分别と空性
第八章 『摂大乗论』――アーラヤ识の存在証明
第九章 『唯识叁十颂』――唯识思想の体系
第十章 结びにかえて
参考文献

関连情报

関连记事:
[前編]「唯識思想とアサンガ (無著)?ヴァスバンドゥ (世親) 兄弟」 (じんぶん堂 2024年4月11日)

 
[後編]「唯識思想から見た外界の実在と夢」 (じんぶん堂 2024年4月18日)

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