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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

緑の表紙

书籍名

食客论

着者名

判型など

272ページ、四六判

言语

日本语

発行年月日

2023年3月2日

ISBN コード

978-4-06-530545-4

出版社

讲谈社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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本書は「食客」というキーワードを主軸に、共生 / 寄生をめぐる思想的な問題をさまざまな切り口から論じた批評的散文である。研究書と同様、論述対象とするテクストの扱いには厳密を期したつもりだが、叙法や文体の次元ではさまざまな遊びを施した。それゆえ本書には、学術研究の成果というより、おそらく文芸批評というカテゴリーのほうがふさわしいだろう。
 
まず──「触覚」論ならぬ──「食客」論という謎めいたタイトルから、本書の紹介をはじめたい。ここでいう「食客」とは、さしあたり英語の「パラサイト」に対応する言葉であると考えていただいてかまわない。英語の「parasite」は行為 / 対象の別なく用いられる言葉であるから、文脈に応じて「寄生」や「寄食」と言いかえることもできる。ゆえに本書は「食客」論であり、「寄生」論であり、さらには「寄食」論でもある。ようするに本書のもくろみは、「食客 / 寄生 / 寄食」という概念群によって、従来型の「共生」をめぐる議論を批判的に考察することにある。われわれはみな、何ものかに寄生しながら生きており、誰一人として「自立」などしていない。にもかかわらず、共生という言葉はしばしばそうした現実を覆い隠してしまう。われわれが共に−生きる存在 (co-existence) であるということは、その「わたし」一人ひとりが自立した個体であることを強く連想させよう。だが生態学的にみれば、その一つひとつの個体からして、ほかの無数の生物の傍らで−生きる存在 (para-existence) であることは明らかだ。この世界は、あらかじめ自立した個体どうしの「共生」によって成り立っているのではなく、ありとあらゆる個体が複雑に「寄生」しあうことによって成り立っている。それゆえ、われわれはひとりの例外もなく、ほかの何ものかにとっての食客である。いささか硬い言い回しになることを承知で言えば、ここでめざされているのは、世に流布した「共−生 (co-existence)」のパラダイムから「寄−生 (para-existence)」へのパラダイム転換にほかならない。
 
各章の内容を具体的に見ていこう。本書では、フランスの批評家ロラン?バルトのコレージュ?ド?フランス講義『いかにして共に生きるか』から議論を立ち上げている (第1章)。1977年から78年にかけてパリで行なわれたこの講義は、過去のさまざまな文学的テクストを対象に、もっぱら空間的な次元で「共に生きる」とはどういうことかを論じたものであった。そこでは当然のごとく、近代フランスにおいて誕生した「レストラン」も議論の対象となる。家での食事とは異なり、レストランというのは、不特定多数の人間と隣り合って食べることと切り離せない。ここにおいて「共に生きる」ことは、不特定多数の人間と「共に食べる」ことと不可分である。いわば本書の第I部をなすこのパートでは、かのブリア=サヴァラン (第2章) とフーリエ (第3章) というフランス革命前後の思想家を召喚することで、食べることと、共に生きることをめぐる思想史へと読者をいざなう。
 
そこから本書の議論は、古代世界において人間 / 非人間の境界線上におかれてきた、いくつかの「類型的人物」に目をむける。その筆頭を飾るのが、本書の中心テーマである「食客」であり (第4章)、それに続くのが、古代ローマの万民法にその姿をあらわす「海賊」(第5章) と、古代ギリシアのポリスの常識を揺さぶる存在としての「異人」(第6章) である。いわば本書の第II部をなすこのパートでは、ルキアノス、キケロ、ディオゲネス?ラエルティオスらをてがかりに、そもそも「人間とは何か」という問いへと議論を広げる。
 
誰かと共に生きることは、そのどこかで「食べること」をめぐる問題にかかわらざるをえない。そうした議論をライトモチーフとしてきた本書は、最終的に「出会うこと」をめぐる形而上学へと逢着する。そのもっとも重要な導きとなるのが、哲学者?九鬼周造による「偶然性」をめぐる思索である (第7章)。そこから本書は、芸术家?北大路魯山人 (第8章) と詩人?石原吉郎 (第9章) というまったく異なる人物の軌跡を通じて、事物や死者たちと共に──あるいはその傍らで──生きることについて考える。
 
本書を締めくくるのは、世に知れたポン?ジュノの映画『パラサイト』である。わたしの知るかぎり、この映画において、ほんとうの「パラサイト」とは誰か、ということは一度たりとも明示されない。にもかかわらずわれわれ鑑賞者は、誰が (より) パラサイト的な存在であるか、ということを直観的に把握できてしまう。すくなくとも、この映画はそのような前提でつくられている。本書が示す「寄−生」のパラダイムに何らかの意義があるとすれば、それはこの映画における「真の」パラサイトは誰かを見抜けるような、そんな新たな眼を養うことにある。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 准教授 星野 太 / 2023)

本の目次

第一章 共生
第二章 孤食
第叁章 口唇
第四章 食客
第五章 海贼
第六章 异人
第七章 味会
第八章 坐辺
第九章 饮食
第十章 寄生 (プロローグ)
あとがき

関连情报

着者インタビュー:
第90回| 食客论 (FUTURE IS NOW 2023年9月6日)


书评:
橋場麻由 評「食客として生きる寄生の宿命」 (『表現者クライテリオン』2024年3月号、205頁)


鈴木亘 評「新刊紹介 星野太『食客论』」 (表象文化論学会『REPRE』第49号 2023年10月17日)


國分功一郎 評 (『教養学部報』第647号 2023年7月3日)

 
朝吹真理子 評「無数の他者」 (『新潮』2023年5月号、228-229頁)

 
湯澤規子 評 (共同通信社 2023年4月22日)
 
永江朗 評「古今東西、傍らで食べる寄生者」 (毎日新聞 2023年4月15日)

 
小川さやか 評「「共生」を強いられる私たちの理想的な生き方」 (『週刊文春』2023年4月6日号、101頁)

 
王欽 評「从共生到寄生」 (『Artforum China』2023年4月4日、中国語)

 
関口涼子 評「傍らで食べる不可視の他者」 (『群像』2023年4月号、558-559頁)

 
书籍绍介:
四方田犬彦「2023年下半期読書アンケート」 (『図書新聞』第3620号2面 2023年12月23日)

 
八木寧子「2023年上半期読書アンケート」 (『図書新聞』第3601号3面 2023年7月29日)


宮台由美子「2023年上半期の収穫から」 (『週刊読書人』第3499号1面 2023年7月22日)


着者エッセイ:
星野太「《『食客论』紹介エッセイ》批評における「わたし」とはだれなのか」 (『群像』2023年5月8日)

 
対谈记事:
星野太×國分功一郎「「寄生の哲学」をいかに語るか」 (『群像』2023年8月号、218-231頁)

 
星野太×山本圭「現代社会の「寄生者」とは誰のことなのか?」 (『群像』2023年6月9日)

 
松浦寿輝×星野太「書くことの味わいをめぐって」 (『群像』2023年4月号、134-151頁)

 
星野太×藤原辰史「「寄生」再考のレジスタンス」 (『週刊読書人』3482号 2023年3月24日)

 
関连记事:
纪伊国屋じんぶん大赏2024――読者と选ぶ2023年の人文书ベスト30 (纪伊国屋书店 2024年)


関连イベント:
【イベント&オンライン配信(Zoom)】『食客论』(讲谈社)刊行記念 星野太×國分功一郎トークイベント「「寄生の哲学」のポテンシャリティ」 (代官山蔦屋書店 2023年5月12日)

 
パラサイトとは谁か?星野太さん&迟颈尘别蝉;山本圭さん (丸善ジュンク堂书店池袋本店 2023年3月26日)


 

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