Humanities Center Booklet 関东大震灾と东大医学部第二外科 東京大学ヒューマニティーズセンター オープンセミナー第57回より
1923年の9月1日に、関东地域は関东大震灾に袭われた。东京や横浜のような大都市は完全に破壊され、死者数は10万人を超すものであった。多くの市民は自暴自弃となり、1000人を超える朝鲜人移民を杀戮した。この大震灾に関する学术书や一般书は多数存在し、都市の破壊、兴奋した市民たち、そして杀された朝鲜人移民に光があてられている。その一方で、その反対侧の状况の研究は进められていない分もある。日本においては长期间にわたって地震による破壊が频繁にあり、日本の人々は破壊された都市や伤ついた人々を救う习惯も存在している。特に19世纪末からは、负伤した患者たちを助けるために、自分たちの地域の外に医疗チームを组织して送り込む习惯がある。関东大震灾の折にも、东京や横浜の破壊の数日后には、东京などの外の地域に存在した医学校が、东京、横浜などに医疗チームを送り込み、负伤した人々を救っていた。东京帝国大学の医学部と病院は、地震によって破壊され火灾に袭われていたのでしばらくは机能しなかったが、およそ10日后からは紧急医疗対策に参加するようになった。そこでなにがされたかを示す非常に価値が高い史料が残っている。东京大学の健康と医学の博物馆の馆长である大江和彦教授が、歴史学者と社会学者が関东大震灾に関连する东京大学医学部旧第二外科の史料を読むことを许してくださった。その史料を分析して、大震灾时の医学部の教授たち、医师たち、看护妇たち、そして患者たちがアーカイブに残した贵重な记録を読むことができた。
このブックレットには鈴木淳と鈴木晃仁の二つの講演が収められて、関東大震災における医療のはたらきと、患者がどのように反応したかが論じられている。鈴木淳は東京の東側が破壊と火災で大きな被害を受けたことを論じた。また、関東大震災の中核となる火災は、東大とかなり近かったことが論じられた。鈴木晃仁は、患者の病床日誌がドイツ語と日本语の二つの言语で書かれていることを論じた。また、外科手術を経験した二人の患者を取り上げ、彼らの対応が異なっていることを論じた。この講義のあと、専修大学の廣川和花先生、武蔵大学の北村紗衣先生という二人の若き俊英にお願いし、医療と身体についてコメントをいただき、鈴木淳と鈴木晃仁からの対応があった。そのあと、多くのコメントをいただき、二人の鈴木が回答をした。おそらく最も重要で意味がある貢献は、4人の大学院生がしてくださった。ことに病床日誌が手書きであること、多くのドイツ語が現れるテキストであり、それらを読んでくださった小田泰成君、堀弥子さん、正月瑛君、山中愼太郎君に感謝を申し上げる。
これは、东京大学の医学部と大学病院の活动を、歴史学と社会学の力を使って明らかにする运动の第一歩である。このテキストを含めて2册のブックレットを出版してきた。もう一册は「」であり、YouTubeにアップロードされている。講義は赤川学と鈴木晃仁。コメントは、俊英の高林陽展先生 (立教大学准教授)、中尾麻伊香先生 (広島大学准教授) が行ってくださった。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 鈴木 晃仁 / 2023)
本の目次
鈴木 淳
2 関东大震灾の外科カルテ:患者と医师とドイツ语カルテ
铃木晃仁
3 総合讨论
广川和花
北村纱衣
関连情报
第82回HMCオープンセミナー「関东大震灾と东大医学部第二外科 II」 (主催:東京大学ヒューマニティーズセンター 2022年9月23日)
関连シンポジウム:
大正関東地震100年シンポジウム「関東大震災と東京大学――教訓を首都直下地震対策に活かす」 (『学内広報』no. 1573 2023年8月25日)
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