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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

津波被災地の白黒写真

书籍名

死者の力 津波被灾地「霊的体験」の死生学

着者名

高橋 原、 堀江 宗正

判型など

348ページ、四六判、并製、カバー

言语

日本语

発行年月日

2021年9月10日

ISBN コード

9784000614894

出版社

岩波书店

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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1. 本书の概要
 
『死者の力──津波被灾地「霊的体験」の死生学』は、東日本大震災の被災地で頻繁に語られる「霊」についての体験に焦点を当てた研究書である。共著者の高橋原とは、宗教学研究室に在籍していた大学院時代からの仲間で、二人とも宗教心理学を研究した後、スピリチュアルケアやスピリチュアリティの研究に進んだという共通点を持つ。本書は、被災地住民と宗教者への聞き取りに基づき、章ごとに以下のような問いを立て、それに答えてゆくという形式をとっている。
 
第一章「物语の力──被灾地の霊的体験になぜひきつけられるのか」、第二章「仪礼の力──被灾地の宗教者は霊的体験にどう対処したのか」(以上は高桥原)、第叁章「绊の力──被灾者たちは亡き人との绊にどう支えられているのか」、第四章「共同体の力──霊的体験の地域差はなぜ生じたのか」、第五章「信仰の力──被灾地の外から来た信仰者は霊的体験をどのように见たのか」。
 
これらの章を通して、「死者の力」に迫る内容となっている。そして、当初、生者を胁かすような力としてとらえられていたものが、死者と生者の共通性が発见された后に、生者が死者とともに生きる力を活性化してゆくという「和解と连帯のドラマツルギー」が、语りや対话の中に见出される。
 
被灾地での霊的体験は、「怪谈」や「幽霊体験」などと表现され、様々な事例をまとめた本が多数ある。しかし、われわれはアンケートやインタビューを駆使した社会调査のアプローチを试みた。また、宗教や宗教者が霊的体験にどのように対処したかに焦点を当て、そこで得られた知见を宗教学や死生学の理论と関连づけた。
 
2. 学术的意义
 
学术的意义としては、宗教学、死生学、宗教心理学をベースとしており、またこれらの分野への理論的貢献をなしていることがあげられる。まず、霊的体験を身近な霊と未知の霊に分類した上で、それが二人称の死、三人称の死という類型や、先祖と無縁仏などの類型とどう対応するかを論じた。未知の霊が身近な霊に包摂されるような地域共同体では、死者と生者の分断、地域内の分断、住民の精神的苦痛が和らいでいることを指摘した。このことを、悲嘆研究における死者との「継続する絆」に関連づけながら、絆というよりも連帯に近いと修正を提案した。また、霊観念は実体的なものではなく、「物語的現実」と呼ぶようなものとして理解されると指摘し、この新しい概念を既存の宗教心理学や哲学の理論と関連づけた。
 
3. 社会的意义:
 
东日本大震灾は言うまでもなく、日本社会を震撼させた大きな出来事であった。発灾から间もない时期には、被灾地で宗教学の観点から调査研究をおこなうことは、被灾者の気持ちを伤つけることにつながるとタブー视されていた。しかしながら、私は、物质的あるいは心理的な面での支援をおこなうボランティアとして被灾地の人々と関わる中で、一部の被灾者が彼らの见闻きした霊的体験を、宗教学者である私に话したがっていることに気づいた。私自身は、宗教者でもないし、心理学や精神医学の専门家でもない。本书では、あくまでも宗教学者として、被灾者支援に携わった宗教者らが被灾者と、霊をめぐってどのような対话を持ち、语りを纺いでいったかを记述することに集中している。その结果、霊的体験は単なるきっかけに过ぎず、それを语ること、または悩まされて宗教者に仪礼を求めること、あるいは「霊」と共存し、绊を温めることを通して、「死者の力」が表象され、「生者の力」を活性化し、外部の宗教者も交えた死者と生者の连帯を形成してゆくことが明らかになった。本书の书评を书いた佐藤启介によれば、「社会的なグリーフケアの可能性」が示唆されているとのことである。
 
本书は死者との関わりを通して、生者がどのように支えられるかを示したものである。それは、地震や津波の被灾地のみならず、无縁社会や孤独死が问题となっている多死社会を生きる都市住民にとっても大きな意味を持つことになるだろう。社会的に孤立し、谁からも顾みられることのないまま亡くなる人を身近な死者であるかのように、われわれの社会は包摂することができるだろうか。もしそれが可能なら、孤立しながら生きている人もまた包摂される、居心地のよい社会になるのではないだろうか。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 堀江 宗正 / 2023)

本の目次

はじめに高橋 原
 
第一章 物语の力──被災地の霊的体験になぜひきつけられるのか……………高橋 原
 メディア报道
 亡き人との再会
 未知の霊、身近な霊(见知らぬ死者、身近な死者)──阪神?淡路大震灾との违い
 たとえ幽霊でもいいから会いたい
 犠牲者遗族の梦
 物语の力
 心霊现象と被灾地復兴のフェーズ
 
第二章 仪礼の力──被災地の宗教者は霊的体験にどう対処したのか……………高橋 原
 仪礼の効用──「楽になりました」
 宗教的応急手当て(Religious First Aid)
 相谈内容──オガミヤとの関係
 仏教教団の霊魂観
 宫城県の宗教者の「心霊现象」観 (一)仏教僧侣
 宫城県の宗教者の「心霊现象」観 (二)神职
 宫城県の宗教者の「心霊现象」観 (叁)キリスト教牧师
 仪礼の力
 むすび
 
第叁章 绊の力──被灾者たちは亡き人との绊にどう支えられているのか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;堀江宗正
 调査に至った経纬──塞翁さんの话
 継続する绊──调査の目的と键となる概念
 日本人にとっての「継続する绊」
 方法论
 霊の実在の肯定か否定か──语られた现実への限定
 悲嘆、记忆、前向きさ
 自然な霊的体験──四分の一が気配を感じ、メッセージを受け取っている
 悲嘆共同体
 震灾后の宗教性の高まり?
 身近な霊に関する心温まる物语の典型
  (夫の霊を近くに感じている女性たち)
 被灾地外の人が体験する未知の霊についての怪谈
  (1 自动车の运転手の话/2 工事関係者の话/3 ボランティアの话)
 
第四章 共同体の力──霊的体験の地域差はなぜ生じたのか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;堀江宗正
 「未知の霊」の「身近な霊」への包摂
 身近な霊と未知の霊の间
  (イエを越えた隣人との绊/地区住民への思い/未知ではないが包摂しがたい霊)
 被灾地内で语られる「未知の霊」
  (宫城県叠市のコンビニ怪谈/岩手県础市の信号待ち怪谈/コンビニ怪谈と信号待ち怪谈の比较/岩手県础市の回答者の状况/宫城県叠市の回答者の状况)
 両市の违いを生む叁つの要因
  (地理的要因/心理的要因/宗教的要因)
 「死者の力」を支える「宗教の力」
 平时の悲嘆と非常时の悲嘆
 
第五章 信仰の力──被灾地の外から来た信仰者は霊的体験をどのように见たのか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;堀江宗正
 被灾地における「宗教」
 スピリチュアルケアの可能性
 復兴世俗主义のなかでの宗教者の活动
 调査の枠组──信仰者たちの视点の异质性
 调査対象者の条件?特徴
 被灾地での霊的体験
  (伝闻への関心の低さと疑い/霊视された被灾地──残存思念?実存思念?未浄化霊?祈りの重层性/面识がある人の霊的体験/被灾者からの供养の依頼──地域の宗教者には頼めないこと/被灾地での信仰者の実体験──复数の现実への开かれ/被灾者への倾聴は、すなわち死者への倾聴/高次の霊、仏、神に関わる信念と体験/祈りの体験──震灾を起こした神の悲しみと浄化)
 霊?霊魂についての见解
  (慎重な態度をとる信仰者/霊を認める仏教者/多宗教の信仰者の共通言语としての「霊」と「魂」)
 霊的体験への対応の仕方
  (凭依への対応──あくまで普通の被灾者の霊として/拝み屋による対応/行方不明者の遗体への関心/なぜ东日本大震灾では「幽霊」が出るのか)
 死者と生者の「継続する连帯」へ
  (苦を通しての连帯──仏教系信仰者の场合/霊としての连帯──スピリチュアリズム系信仰者の场合/悲嘆における连帯──神道系信仰者の场合/再び塞翁さんの话)
 ポスト近代の悲嘆文化
 
结 论&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;堀江宗正
 1 物语的现実としての死者?霊
  (現代日本人の一般的な死後観/物語的現実という概念/死者が「ここにいる」という語り/物語的現実の理論的背景/物語によって生きる人間/変容する物語、変容する自己/死者の変容/重要な他者となる死者──阪神?淡路大震災の先行研究から/日本语の「ものがたり」の含意──「かたり」と「はなし」/生々しい死者の物語、生き生きとした死者の物語)
 2 霊概念の叁モデル
  (辞书に见る「霊」/変容する霊──霊の疫病モデル/霊の电磁波モデル、霊の情报モデル/霊の情报モデルの理论的基础/集合的无意识の喷出とは)
 3 死者の力をめぐって
  (震灾后の死者论/死を経てなお生きる力/和解と连帯のドラマツルギー)
 
あとがきに代えて──片方の调査者から见た主観的现実&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;堀江宗正
 
参考资料
参考文献
 

関连情报

本书には、いくつかの书评が学会誌と新闻纸上に掲载されている。特に学会誌においては、被灾者の霊的体験という、扱いにくいが重要な研究対象に、伦理的配虑を払いながら、慎重にアプローチしたことが评価されている。
 
着者コラム:
堀江宗正「「亡くなった人はここにいる」&丑别濒濒颈辫;震灾被灾地の「霊的体験」が私たちに教えてくれること&尘诲补蝉丑;&尘诲补蝉丑;「多死社会」へのヒント」 (『现代ビジネス』 2021年10月17日)

 
高桥原(东北大学大学院文学研究科死生学?実践宗教学教授)「幽霊を见たという相谈に僧侣にしかできない倾聴と仪礼の力」 (『月刊住职』 2022年2月号)

 
関连记事:
死者の力が被災者支える、心温まる霊的体験…[死と生を見つめて]第1部 <3> (読売新聞オンライン 2023年2月16日)

 
书评:
宮澤安紀 評 書評へのリプライ (『宗教と社会』vol.29 2023年6月)


岩崎美香 (明治大学意識情報学研究所) 評 (『トランスパーソナル心理学 / 精神医学』Vol.22, No.1, p.100-101 2023年3月)


谷山洋三 評 (『スピリチュアルケア研究』Vol.6, p.159-163 2022年)

 
島薗進 (大正大学) 評 (『宗教研究』p.275-281 2022年96巻2号 2022年9月30日)

 
金菱清 評「被災地の霊的体験はどのように位置づけられるのか――物理的ではなく「物語的現実」として死者や霊を捉えようとする」 (『図書新聞』第3533号 2022年3月5日)

 
<东北の本棚>生者を支え 共に生きる (河北新报翱狈尝滨狈贰 2022年2月6日)

 
本よみうり堂:加藤聖文 (歴史学者?国文学研究資料館准教授)「読書委員が選ぶ2021年の3冊」 (読売新聞オンライン 2022年1月7日)

 
佐藤啓介 評 (紀要『グリーフケア』第11号 2022年)

 
书评 (キリスト新闻碍颈谤颈厂丑颈苍 2021年12月30日)

 
若松英輔 評「(東日本大震災の)被災地では集合的無意識が噴出している」 2人の宗教学者の“死者”という現象をめぐる探究 (『週刊文春』 2021年12月23日号)

 
鎌田東二 評 (『週刊読書人』 2021年12月10日)

 

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