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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

ダークブラウンの表紙

书籍名

大日本古记録 實躬卿記 (九)

着者名

判型など

364ページ、础5判、上製、函入

言语

日本语

発行年月日

2020年3月27日

ISBN コード

9784000099899

出版社

岩波书店

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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三条 (藤原) 実躬 (1264―ca.1325) は、鎌倉時代後半に活動した貴族です。彼の子孫は、大事な財産として代々の先祖の日記を伝えました。その中には彼の日記、『実躬卿記』も含まれています。現在は子孫の手を離れて、自筆本70数巻および複数の写本が複数の所蔵機関に残されています。鎌倉時代後半は、変革の時代でした。いろいろな事件が起こり、やがて次の時代を準備していきます。ところが必ずしも史料が豊富とは言えず、研究も遅れがちでした。そのようななかで、『実躬卿記』は弘安8年 (1285) から徳治2年 (1307) までがまとまって残されており、自筆本の大半は国重要文化財にも指定されており、大変貴重です。朝廷での儀式や日々の出来事から、鎌倉幕府からもたらされた大事件にいたるまで、この時代を研究するうえで欠かせない多くの歴史情報に満ちています。そこで、東京大学史料编纂所が古記録 (日記) 研究の成果を公開するシリーズ「大日本古记録」(岩波书店) の一書目として、1991年から翻刻出版を開始しています。
 
今回は、その第9冊目を出版しました。実躬や当時の多くの貴族は、日記を巻子本 (巻物) に仕立てています。その際に、当時は貴重であった上質な和紙を再利用し、反古となった文書を貼り継いでその裏に日記を記しました。表側の日記の記事もさることながら、裏側に残された文書 (紙背文書) もまた、本来は子孫に残すつもりではなかった様々な歴史情報の宝庫です。すでに第8冊までにも、多くの紙背文書を翻刻して収めてきましたが、第9冊は、編纂の途中で新たなに見出された自筆本の紙背文書を補遺としてまとめて収録したものです。
 
まず目立つのは、当時の暦です。この時代、暦もまた巻子本が一般的でした。年が明ければ不要となった古い暦を捨てずに、裏をそのまま利用すれば、貼り継いで巻物を仕立てる手間も省けるというわけです。日記の記事の日付と比べると、だいたい前年から数年前の暦を日記の料紙に再利用していたことが分かります。ところが面白いことに、冒頭の一巻のみは20年以上経ってから清書したらしく、ずいぶんあとの時代の暦が残されています。どうも実躬は、息子である公秀 (1265-1363) が朝廷に仕える際の参考にさせるため、自分の若いころの日記を整理し直して清書したようなのです。ぎゃくにそのあとに続く巻には、実躬が父公貫 (1238-1315) から譲り受けた反古の暦も混ざっているようです。親から子へ、日記を記すということを通して、朝廷への奉仕を教えていった様子が浮かんできます。
 
このほかに、文永4年 (1267) に伊勢国阿曽山において、「悪党」と呼ばれた武士遠弘とその一党が、隣国志摩国丹島の荘園現地の管理事務所 (政所) を襲撃した強盗傷害事件についての訴訟文書も多く含まれています。大規模な悪党らの名簿 (交名注文) や被害状況の報告書もあり、そこには、襲われたうちの一人は、へその上を突き刺されてハラワタが露出したが、「馬尾」で縫い付けたといった、生々しい記述も見られます。
 
以上の文书はすべて、今回はじめて学界に翻刻绍介するものです。シリーズ既刊分とあわせて、ぜひ今后の歴史研究にお役立てください。
 

(紹介文執筆者: 史料编纂所 准教授 菊地 大樹 / 2020)

本の目次

武田本第一卷纸背文书
早稻田本弘安六年自正月至四月别记纸背文书
武田本第二卷纸背文书
武田本第叁卷纸背文书
武田本第四卷纸背文书
武田本第五卷纸背文书
武田本第六卷纸背文书
武田本第七卷纸背文书
武田本第八卷纸背文书
武田本第十卷纸背文书

 

関连情报

书籍绍介:
大日本古记録 實躬卿記九 (『東京大学史料编纂所報』第55号 2019年)

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