大日本古文书 家わけ第十八 东大寺文书之二十四
『大日本古文书』は、中世文書を中心に所蔵点数の豊富な寺社?武家の古文書を翻刻した史料集である。本書はそのうち、大仏で有名な奈良東大寺に伝来した文書(1万点以上)を対象とする。1944年第1冊目から76年間継続した刊行事業は24冊に及ぶ。
中世东大寺は主に中部?近畿?山阳地域にある荘园を経済的基盘とした。関连文书は中世荘园研究の素材として利用されてきた。また寺院という组织の経営资料(たとえば法会运営资料など)も豊富であり、中世における组织のひとつのあり方を研究するための素材としても高い価値を持っている。
1万点以上という数量が素材としての魅力ではあるのだが、一方で大きな困难さもある。下书きや当事者だけが了解できる内部资料の多さである。特に后者は年次无记载のものが多い。また东大寺の场合、内部にいくつもの活动组织があって本来、组织単位に文书が蓄积されたのだが、江戸时代?明治期に一カ所に集められて、整理し直されたため、その搅乱によって本来の「出生」が不明となっている。さらには复数の纸に书かれたものが1枚ごとバラバラになって断简になっているものが少なくない。一部には、明治时代以后に、寺外に流れ出ているものもある。东京大学もそうした文书を所蔵する。
『大日本古文书東大寺文書』は、ひとつひとつの文書を「遺物」としてとらえて、内容分析や周辺との他の「遺物」との突き合わせを通して、その本来の「出生」を明らかにするよう心がけている。泣き別れになった「遺物」同志を接続復元することも少なくない。たとえば、豊臣秀吉が死去する慶長3年(1598)、東大寺が現在の山口県防府市にあった領地につき、現地責任者と年貢決算をめぐるやり取りの文書がある。本来11紙であったが糊剥がれによって7分割?散逸したものを復元した。領主と領民の日常的な交渉の一端が明らかとなった。
残念ながらシリーズとしての『大日本古文书東大寺文書』の意義と魅力を、本冊のみ切り出して説明することは不可能である。なぜならば、攪乱された膨大な遺物整理の中間報告の性格が強いからである。それを補うために、日本古文書ユニオンカタログ?古文書フルテキストの2つのデータベースを史料编纂所は公開している()。これまでの成果とこれからの対象全体を覆うものであり、これらを駆使することで、研究者は刊本のみでは果たせない、多くの気づきにいたるはずである。
『大日本古文书』は、崩し字ではないとは言え、古文書を読む技量が必要される。初学者にはとっつきにくい史料集であるが、本冊からは説明の文章を現代風に変えるなどして、この点の改善を図っている。本書の個別の内容は、も参照されたい。
(紹介文執筆者: 史料编纂所 教授 遠藤 基郎 / 2020)
本の目次
〔寺领部 雑荘〕
2149号 正応2年10月 東大寺衆徒等重申状案
2150号 慶長3年3月7日~5月15日 周防牟礼令年貢并反銭勘文相違問答文書
(略)
2355号 (長禄2年カ)2月22日 播磨大部荘百姓等申状
2356号 (康正3年)9月14日 遠江蒲御厨西方諸公文等申状
関连情报
刊行物绍介 (『東京大学史料编纂所報』第55号)