大日本古文书 家わけ第十七 大德寺文书别集 德禪寺文书之一
日本史学は史料を分析することによって研究を進めるわけであるが、その史料のなかで大きなウェイトを占めるのが古文書である。『大日本古文书』は1901年の第一冊刊行以来、史料编纂所が編纂、刊行を続けている基幹史料集である。編纂とは、現代人にとっては難解なことも多い、主に墨筆で書かれた文字を、楷書体を基本とする現在通用している字に翻刻し、人名や地名、作成された年号のない文書には可能な限りそれを推定した注釈を加えることである。そして、それを刊行することで、古文書を利用しようとする人々に供与することを目的としたシリーズが『大日本古文书』である。そのなかで、『大日本古文书 家わけ第十七 大德寺文書』は、鎌倉時代の禅僧、大灯国師宗峰妙超が京都紫野に開いた大徳寺に伝わった古文書を編纂している。本冊からはその別集として、宗峰妙超の弟子である徹翁義亨が開いた徳禅寺の所蔵する文書を編纂?刊行する。
徳禅寺の文书には一つの大きな特徴がある。それは异なる性格を持つ二つの文书群によって构成されている、という点においてである。徳禅寺文书は、いわゆる「一般的」な、すなわち现在まで保存されるべきものという意识のもと残されてきた文书群と、语弊を恐れずに言えば「廃弃」された古文书が、偶然にも现在に残された文书群とによって构成されているのである。
廃弃された、とはどういうことかといえば、この文书群は袄の里侧から出てきたのである。1984年、徳禅寺が所蔵する狩野探幽の手になる袄絵を修理した际、その下张から大量の古文书が発见された。原型を保っている古文书も一部存在するが、そのほとんどが破られた状态であった。袄の仕立ての都合上破られた可能性が高く、决して単に破り捨てられたというわけではないのであるが、いずれにしても、袄が製作された江戸时代に不要のものとして廃弃され、その仕立てのために再利用されたという事実に変わりはないであろう。
そのため、徳禅寺文書は残される意識のもとに現在に伝わった他の文書群とは異なる様相を示し、例えば現代で言うところのレシートや注文書、請求書や家計簿のような、日常的な文書を多く含んでいることが一つの特徴である。実は襖の裏から出てくる文書 (下張文書) において、こうした帳簿のような史料が多いことは既に知られているのであるが、ほとんどの場合、江戸時代以降のものである。この点、徳禅寺の襖下張文書は、古いものでは12世紀頃からの、中世文書を多く含むという点、また通常であれば保存される文書、大徳寺山内においても他では保存されるような性格の文書が、下張にされてしまっているという点において、極めて特異な下張文書群なのである。
このように徳禅寺文书は分析対象として非常に兴味深い内容を持つものであるが、袄下张ゆえの难しさがあるのも事実である。仕立てに际し破られたことで、多くの文书が断片化しており、そこに书かれた情报をどのように読み取るか、とくに分析にあたって、どの时期のものであるのかを特定することが重要であるが、これが简単ではない。しかしこうした困难を乗り越えることが研究の醍醐味である。初学书とはいえないが、ぜひ手に取っていただき、分析にチャレンジしてみていただきたい。
(紹介文執筆者: 史料编纂所 助教 小瀬 玄士 / 2021)
本の目次
目次
〔德禪寺方丈袄下张文书 一表〕
一 〔年月日未详〕 某注文(断简)&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫; 一
二 明徳叁年八月 纪伊高家西荘文书文书案&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫; 二
(下略)
関连情报
所報 刊行物紹介 (『東京大学史料编纂所報』第55号p.50-52 2019年)