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书籍名

日本史リブレット人 036 足利尊氏と足利直义 动乱のなかの権威确立

着者名

判型など

104ページ、础5判変

言语

日本语

発行年月日

2018年12月

ISBN コード

978-4-634-54836-7

出版社

山川出版社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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日本史を彩る100人を取り上げる「日本史リブレット人」シリーズ全100册のうちの1册。室町幕府初代将军である足利尊氏と、その弟で政権を担った足利直义、14世纪前半に生きたふたりを取り上げる。

足利尊氏は、弟直义と対立的に理解されることが多い。政治の実务は直义が担った。尊氏は、武士への恩赏给与など、武家の栋梁として果たすべき最小限の责务を果たしていた。しかし、室町幕府设立から13年ほどのち、直义は、兄尊氏を支える人々と政治的に対立するにいたる。直义は、失脚と復活を短期间で繰り返したのち、尊氏军の攻撃に败走して鎌仓で死去する。この直义晚年の印象が强いため、尊氏と直义は竞合する存在として理解されることが多いのだろう。

しかし、対立が表面化するまでの间、京都周辺は、南朝方との対立という状况にもかかわらず、思いのほか平穏を保っていた。尊氏と直义は、政権を安定させるべく、互いを尊重しながら共同して政権を运営していた。そこで、本书では、ふたりの生涯を追いながらも、よく知られる室町幕府设立期、およびふたりの対立の様子は略述するにとどめ、その中间期にみられる、ふたりによる共同统治を分析することに努めた。

共同统治の课题として、政権担当者としての正当性の确立という点に注目した。足利氏は、由绪正しい血筋とはいえ、鎌仓幕府のもとでは、御家人の一员に过ぎなかった。武家の栋梁、将军としての地位を确立し、武家政権を担うべき存在と认知されるために、尊氏、直义、そして二人を支える人々は苦心したに违いない。

正当性を主張する根拠として、源氏の嫡流であること、すなわち頼朝の後継者であること、そして鎌倉時代の実権者である北条氏、さらには建武政権を担った後醍醐天皇の後継者であること、などが挙げられる。そこで、尊氏らが頼朝?北条氏?後醍醐天皇の追善 (死後仏事) を担い、後継者としての示威を行ったこと、尊氏は頼朝の後継者であるという主張が多様な場面でなされたこと、足利氏は源氏の嫡流であるという主張が、先祖からの伝承に仮託され、あるいは神仏の付託というかたちで、さまざまな言説として登場していたこと、などを分析している。

さて、尊氏、直义の个性を论ずる场合、尊氏にしばしばマイナス思考がみられることが注目される。尊氏が政治の表舞台に立たなかったことをこの性向と関连付けて理解することも多い。ただ、尊氏は思虑のうえでそのように振る舞ったのではなかったか、という疑念は拭えず、尊氏の政権构想はなお検讨が必要だと考える。

最后に、尊氏?直义が、死后に子孙たちにどのように扱われたのか、を検讨した。尊氏?直义の施策は、足利义満以降にあまり継承されず、権威确立の努力も、新たな段阶に移行してしまう。その理由は多様に想定されるけれども、排斥する结果となった直义という存在を、足利氏の中で反主流として位置付け、忘却すべきものとして封印する、という意识があったであろうことを指摘している。

 

(紹介文執筆者: 史料编纂所 教授 山家 浩樹 / 2019)

本の目次

ふたりによる统治
1. 生誕から政権樹立まで
2. 足利氏権威の向上
3. 政策とそれぞれの個性
4. ふたりの対立とその後
5. ふたりの死後 

関连情报

书评:
本郷恵子 (中世史学者 東京大教授) 評「幕府草創期の内実に光」 (『読売新聞』 2018年4月8日)

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