幻冬舎新书 考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入门
「考えるとはどういうことか」
このシンプルな问いに、みなさんならどう答えますか? 头を使うこと? でも头ってどうやって使うの?
もっと答えやすい闻き方をしましょう。
「私たちは、考える方法をいつ、どこで学んだのか」
学校で、家で、会社で、私たちはしばしば「よく考えなさい!」と言われます。そのとき私たちは、何をしろと言われているのでしょうか。何をどうすれば、「考えた」ことになるのでしょうか?
実を言うと、私たちのほとんどが「考える方法」を学んでいません。考えることがどういうことかも、どうすれば考えられるようになるのかも知らないのです――私はこのことに、「哲学対话」という実践を通して気づきました。
哲学とは、考える営みそのもので、私はそれを「问い、考え、语ること」と定义しています。哲学対话はそれを复数の人で一绪に行うこと。だから「问い、考え、语り、闻くこと」です。疑问をもってその答えを探し、言叶にして、それを互いに受け止めること。それが共に考えることです。
なかでも大事なのが「问うこと」です。私たちは问いがあって、はじめて考えることができます。考えるためには问いに自覚的にならないといけません。また私たちは闻いてもらうことで语ることができます。だから考えるさいには、他者が必要なのです。
「考える」とは、こんなシンプルなことなのです。ところが私たちは、问うことも、考えることも、语ることも、闻くことも、よく分かっていないし、ふだん経験してもいないのです。
そもそも私たちは「问う」ことに惯れていません。私たちは学校でたくさんの问いに出会います。教科书の中には、无数の问いがあります。でもそれは人から与えられた问いであって、无理やり考えさせられているだけで、自ら问うて考えているわけではありません。
しかもこうした学校の问いは、テストのためにあるので、答えを出したらそれで消灭します。そしてできる限り多くの问いを消すことが目标になります。
问うのは、头が悪い証拠。质问の多い人は、嫌がられ、马鹿にされかねません。东京大学の学生は、いわば、问いを消すのが得意な人たちです。何でも分かっている、质问はない、大丈夫です!――そういう状态を良しとする人たちです。でも、「问いがない」というのは、「考えることがない」ということではないでしょうか。だとしたら、日本の教育も社会も、「考えないこと」を目指しているかのようです。
私はおかしなことを言っているように思えるかもしれません。けれども、哲学対话をいろんなところで――学校、会社、过疎の村――老若男女いろんな人たちとやってきて、「考えること」がいかに难しいか、いかに大事にされていないか分かってきました。そしてそこから、今まで见えていなかった実に多くのこと、问题が见えてきました。
他方で、「考えること」が、どんな人にとっても大切で、誰にでも開かれたものであることも分かりました。そしてどうすれば考えられるようになるのかも見えてきました――本書は、こういうことを平易な言葉で、でも、妥協することなく書きました。だから本書は、誇張なく「0歳から100歳までの哲学入门」なのです。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 教授 梶谷 真司 / 2019)
本の目次
出会い
生まれてから死ぬまで
哲学のイメージが変わった?
哲学=「考えること」の难しさ
「考えること」と「自由になること」
第1章 哲学対话の哲学
1. 哲学対話とはどのようなものか?
&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;「子どものため」は「みんなのため」
&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;考える体験としての対话
いろんな人と話す
輪になって座る
体で感じる哲学
対話は終わった後に始まる
2. 哲学対話のルール
ルールが対話を哲学的にする
何を言ってもいい場はない
語る自由を奪う教育
否定的態度をとらない
話さずに聞いている自由
問うことの難しさ
問わない方がいい?
ダイジョウブという魔法の言葉
知的な安心感とは?
対等に話すための制約
開かれた終わりのない対話へ
第2章 哲学の存在意义
1. 哲学対話の効用
なぜ「何のために」と問うのか?
何のための哲学対話か?
2. 自由のための哲学
自由のいろいろ
感覚としての自由
考えることで自由になる
他者と共に自由になる
3. 責任のための哲学
ポジティヴな意味の責任
奪われる自由と負わされる責任
自由と責任の回復
4. 自分のための哲学
哲学は誰のものか?
哲学は恋愛のようなもの
第3章 问う?考える?语る?闻く
1. 問うことと考えること
問うことではじめて考える
問うことは自ら問うこと
哲学の問いと哲学的な問い
とりあえず問う
問いを問い、問いを重ねる
<基本的な問い方>
<時間と空間を移動する>
<小さな問いから大きな問いへ>
<大きな問いを小さくする>
問いではない問いを問う
答えのある問いの大切さ
2. 考えることと語ること
語ることが考えに形を与える
自分の考えは話さなくていい?
あふれる他者不在の語り
語ってから考える
多ければ少なく、少なければ多く
いろんな人と対話する
子どもと対話する意義
誰でも考えを語れるようになる
3. 語ることと聞くこと
人の話は聞いていない?
「受け入れる」ではなく「受け止める」
「理解する」ではなく「受け止める」
聞くことは場を共有すること
言葉以前の対話的関係
第4章 哲学対话の実践
1. 用途と参加者
哲学対話の用途
人間関係を作ることの大切さ
参加者の多様性
普通はいない人を入れる
子どもを入れる
赤ん坊でもいい
その場にいるだけでいい
2. 場の作り方
会場の選び方と準備
会場の選び方
会場の広さ
必要な物品
会場の設営と片づけ
グループ分けと座り方
質問ゲーム
自己紹介
問い出しと問い決め
いろんな問い出しの方法
(1) ゼロから始める
(2) テーマから始める
(3) 素材から始める
コミュニティボールの効用
3. 対話の進め方
始め方
進行役 (ファシリテーター) の役割
板書とメモ
対話の良し悪し
終わり方
反省せず、何度もやる
おわりに
単純化した極論?
学校教育の否定?
ありがちな日本人論?
あとがき
関连情报
考えるとはどういうことか【考える時間】「考えること」はなぜ大切か? その本当の理由【再掲】 (幻冬社plus 2020年4月1日)
考えるとはどういうことか「「考える」ことは、あなたを、この息苦しい世间から解放してくれる【リバイバル】 (幻冬社辫濒耻蝉 2019年2月12日)
考えるとはどういうことか「この社会には「语る自由」がない【リバイバル】 (幻冬社辫濒耻蝉 2019年2月7日)
考えるとはどういうことか「分からないことを増やそう。どんどん分からなくなろう。【リバイバル】 (幻冬社辫濒耻蝉 2019年2月4日)
考えるとはどういうことか「哲学は物好きや変人がやる怪しいこと?【リバイバル】 (幻冬社辫濒耻蝉 2019年1月29日)
考えるとはどういうことか「「哲学」は、生きているかぎり、どんな人にも必要だ【リバイバル】 (幻冬社辫濒耻蝉 2019年1月25日)
考えるとはどういうことか「谁だって哲学の生まれ故郷に行くことができる」国分功一郎さん推荐! (幻冬社辫濒耻蝉 2018年9月25日)
着者インタビュー:
自分の意见を最后に持ったのはいつですか? 厂狈厂时代に流されない意见の作り方 (办补办别谤耻 2020年1月17日)
书评:
古川雄嗣 (教育学者、北海道教育大学旭川校准教授) / 斎藤哲也 (ライター?編集者) ?空気を読まない?哲学が学校や企業を救う理由 - 日本の?道徳教育?はなぜイケてないのか (東洋経済ONLINE 2019年3月7日)
叠翱翱碍レビュー (福井県教育総合研究所ホームページ 2019年)
デイリー叠翱翱碍ウォッチ 赤ちゃんも「哲学対话」に参加できるワケ (叠翱翱碍ウォッチ 2018年12月4日)
『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入门』 (朝日新聞デジタル 2018年11月17日)
おとなの小论文教室 感じる?考える?伝わる! 山田ズーニー「尝别蝉蝉辞苍898 考えることで人は自由になり、多様性を受け入れる」 (ほぼ日刊イトイ新闻 2018年11月7日)
イベント:
第9回代官山人文カフェ: 梶谷真司「誰もが知っている名作絵本をめぐって哲学対話を体験しよう」 (代官山蔦屋書店 2019年7月26日)
哲学で文章はうまくなるのか?! 問いから鍛える文章講座 ゲスト: 梶谷真司さん 紫原明子さん (ニューQ STUDY Vol.1 2019年6月16日)
第3回 哲学対話 (那覇市泉崎 大学受験予備校「グレイトヴォヤージュ」 2019年1月13日、14日)