ちくま新書: ケアを考える 医疗ケアを问いなおす 患者をトータルにみることの现象学
わが国は超高齢社会を迎え、社会全体が、地域包括ケアによる「地域ケア社会」へと移行していくことを要请されている。そのために、医疗や介护のシステム、そしてそれらを支える法や経済、社会のシステムの整备?拡充が重要であることは、言うまでもないが、本书は、それらとは少し别の、「现象学」という哲学の视点から、そもそも「病いを患う」とはどういうことか、「病いを患う人をケアする」とはどういうことなのかを根本的に问おうとする试みである。
「病いを患う」ことは、たんに身体的な疾患に罹ることではなく、心理面を含め、心身の全体にわたるトータルな経験であるため、たんに病体を診るだけでなく、患者の心身をトータルに <みる> のでなければ、「病いを患う人をケアする」ことにはならず、十分な医療ケアにならない。また地域医療においては、患者を特定の疾患をもつ患者として診るだけでなく、家族や地域の人々とのつながりも含め、日常生活のさまざまな文脈の中でトータルに <みる> ことがきわめて重要になる。そこで、患者を心身ともにトータルに、また日常生活のなかでトータルに <みる> ためにはどのような視点が必要なのかを、「現象学」という哲学の視点から考察し、医療ケアを問いなおそうとしたのが本書である。
第1章では、「疾患」と「病い」という、医疗人类学や看护学でしばしば用いられる区别に言及することから始めて、现象学への导入が図られる。「疾患」が医学的に把握され诊断されるのに対して、「病い」は意味経験なので医学的には捉えられない。しかし患者の「病い」を受けとめなければ、患者をケアしたことにはならない。そこで、当事者の「意味経験」の成り立ちを明らかにする「现象学」という哲学が要请される。
第2章では、「现象学」という哲学について、とりわけ创始者であるフッサールの思想と、フッサール现象学を受け継ぎ独自の仕方で展开させたハイデガーとメルロ=ポンティの思想について、本书の考察に必要な限りで解説が行われる。
第3章では、主としてフッサール现象学をベースにしたトゥームズの『病いの意味』を手がかりに、医学という学问の见方と患者の日常の见方との违い、ずれに现象学的な视点から光が当てられる。
第4章では、主としてハイデガーとメルロ=ポンティの现象学に基づいて洗练された现象学的看护理论を展开したベナーが、ルーベルとの共着『现象学的人间论と看护』において「现象学的人间観」として提示していることがらを参照しながら、患者をトータルにみるためのいくつかの视点について、具体例も交えながら论じられる。
最终第5章では、ベナーらが看护の目指す目标として掲げている「安らぎ」としての健康の概念を手がかりにして、患者をトータルにみることこそが「安らぎ」の実现につながることを明らかにしたうえで、患者をトータルにみることが、患者も医疗者も、ともに人间であり伤つきやすい仲间であることの自覚をも促すこと、そしてこの自覚こそが、患者に向き合い寄り添う医疗ケアを可能にすること、さらに患者に向き合い寄り添う医疗ケアが、医疗者の安らぎにも繋がることが示される。
なお、本書で展開された「現象学」の解説やベナー / ルーベルの現象学的人間観と看護理論に関する論述は、看護を中心とする医療者と著者との15年以上にわたる交流の経験を踏まえてなされたものであり、哲学 (現象学) 研究者によって医療者や一般読者向けに書かれたものとしては、他に類を見ないものであると思われる。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 榊原 哲也 / 2019)
本の目次
第1章 「疾患と病い」
第2章 「「現象学」とはどのような哲学か」
第3章 「医学の視点と患者の視点」
第4章 「患者の病い経験を理解するために―ベナー / ルーベルの現象学的人間観」
第5章 「患者をトータルにみるということ―安らぎを目指して」
终わりに―患者になりうる者として
関连情报
[退職教員インタビュー] (1) 榊原哲也先生 フッサールから看護の世界へ (東大新聞オンライン 2020年3月27日)
试し読み:
医師は「疾患」を診断し、患者は「病い」を経験する (好書好日 | じんぶん堂 2020年4月28日)
书评:
「法的?経済的?社会的観点」だけでない医疗のとらえ方 (闯-颁础厂罢ニュース 2019年9月19日)
西村ユミ「<ケア> の問いなおしで明らかになる、医療者の安らぎ」 (『看護教育』第60巻第1号75頁 2019年1月号)
ケアを考えるシリーズ2作目 (ボスフラ 2018年12月13日)
榊原哲也 「现象学という哲学の视点から、医疗ケアを考える」 (飞别产ちくま 2018年7月17日)