ケアの実践とは何か 现象学からの质的研究アプローチ
本书は、看护を中心としつつも広く多様な「ケア」の営みに、质的なアプローチを行い、その豊かな実践の诸相を明らかにしようと试みた诸论考を収めた书物である。いわゆる「质的研究」にはいくつかの方法论があるが、本书では、质的研究の方法は、考察される事象そのものの方から定まってくるという立场がとられている。探求の方法が、探求される事象そのものの方から定まるという考え方は、第一部第1章「现象学と现象学的方法」で述べられるように、「现象学」という哲学本来の精神であるので、その意味では、本书に収められた多くの诸论考は、既存の现象学的哲学を参照していないものも含め、広い意味で、あるいは语の本来の意味で、「现象学的」なアプローチによってケアの実践の诸相を明らかにしたものと言うことができる。また、「现象学」という哲学は、経験の意味に着目し、それを改めて问い直し、普段は自覚していない意味経験の成り立ちを、记述分析によって明らかにしようとするが、第一部第2章「ケアの実践を记述すること/自らの视点に立ち帰ること」で述べられるように、本书第二部に収められた诸论文は、看护师や养护教諭などの「ケア」にかかわる実践者が、自らの実践、あるいは自らの専门领域の実践を改めて捉え直し、これまで自覚していなかった次元から、自己の実践にかかわる意味现象がいかに生み出されているのかを问い、実践の意味の成り立ちを开示しようと试みているので、その意味でも、これらの诸论考は「现象学的」な方法态度によるものだと言ってよい。
本书の构成は以下の通りである。
第一部ではまず、编者である榊原と西村によって、现象学的研究の方法论が明らかにされる。そもそも「现象学」とはどのような哲学なのか、また看护や広くケアに関する现象学的研究とはどのようなものなのかが明らかにされ(第1章)、さらに现象学的研究にとってその中心となる「记述」の営みがどのようなものであるのかについて、解説がなされる(第2章)。
続く第二部では、看护、助产、リハビリ、养护など多様なケアの営みの诸相が、広い意味で现象学的な方法态度において明らかにされる。ここに収められた诸论考の执笔者たちは全员、编者二人が讲义や演习を通じて関わった立命馆大学大学院応用人间科学研究科修士课程の修了者であり、寄せられた论考の多くは、修士论文をもとにしたものである。各论文についての解説は、第一部第2章で行われている。
第叁部は、编者である西村と榊原が、それぞれの研究をベースにして、往復书简のような「対话」を通して行った共同研究の一つの试みである。このような共同执笔は、看护研究においても现象学研究においてもほとんど前例がみられないが、そこでは、具体的な看护実践の构造が、フッサールの志向性概念を手がかりにして明らかにされるとともに、看护実践という事象そのものの方からフッサール现象学に新たな光が当てられており、「対话」という形で看护と现象学とが相互に学び合う新たな现象学的看护研究の形が示されている。すでに现象学的看护研究に驯染んでいる読者や、哲学としての现象学に関心をもつ読者には、兴味深いだろう。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 榊原 哲也 / 2018)
本の目次
第一章 现象学と现象学的研究(榊原哲也)
一 はじめに
二 疾病と病い
叁 自然科学(医学)的なものの见方はどのような特徴をもつのか
四 体験(意味経験)と看护ケア
五 「意味」はどこから?いかにして生じてくるのか――「现象学」という哲学
六 フッサール――意识の志向性と态度
七 ハイデガー――现存在の気遣い
八 メルロ=ポンティ――身体的志向性
九 さまざまな现象学的看护研究
一〇 方法は「现象」そのものの方から
第二章 ケアの実践を记述すること/自らの视点に立ち帰ること(西村ユミ)
一 実践を问い直すこと
二 问いが生まれる
叁 问いに応じる方法
四 个别の経験を捉え直す意义
第叁章 ドナーをめぐる関係性の変容――生さぬ仲の生体肝移植(一宫茂子)
一 はじめに
二 先行研究から见た本研究の位置づけ
叁 対象と方法
四 ドナーはどのようにして决まっていったのか
五 ドナーの経験がその后の生の営みに及ぼした影响
六 结びにかえて
七 本研究の意义と限界
第四章 助产师が语る「忘れることができない」ケアの経験(戸田千枝)
一 はじめに
二 方 法
叁 结 果
四 考 察
五 まとめ
第五章 看护师の実践を支える経験――経験を积んだ看护师の语りを通して(籔内佳子)
一 看护师の职业継続と离职
二 长年経験を积んだ看护师の语り
叁 看护师実践を支える构造
四 患者の存在に支えられる看护実践へ
第六章 统合失调症疗养者の子をもつ亲の体験――亲自身が必要とする支援に関する一考察(田野中恭子)
一 はじめに
二 方 法
叁 结 果
四 考 察
五 本研究の限界と课题
第七章 养护教諭のまなざし――メルロ=ポンティの身体论を手がかりに(大西淳子)
一 はじめに
二 养护教諭と保健室の歴史
叁 研究の视点としての身体论
四 养护教諭の経験:语らない础さん
五 结 び――养护教諭のまなざし
第八章 看护の人间学――铃木大拙の思想を通して(尾﨑雅子)
一 今、看护を见直す意味
二 ある老女との出会い
叁 看护のうちに潜む矛盾
四 存在していること――虚と実
五 生きていること
六 共にある関係
七 看护再考――新たな看护のあり方に向けて
第九章 リハビリ看护试论――生の意味を问う(村井みや子)
一 はじめに
二 看护経験から见た医疗の変迁
叁 中途障害者の事例を通して生の意味を问う――中年男性の障害から「生」を考える
四 リハビリ看护の考察
五 おわりに
第十章 看护実践の构造――フッサールの志向性概念との対话(西村ユミ?榊原哲也)
一 はじめに
二 困ったけど困ってしまわない看护実践
叁 「意志」と「行為」の现象学――フッサールに即して
四 看护実践の现象学
五 「私/私たちはできる」の身体化
六 看护実践からの现象学に向けて
七 おわりに
あとがき(西村ユミ/榊原哲也)