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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙に孔子と夏目漱石の顔のイラスト

书籍名

犀の教室 儒教が支えた明治维新

着者名

判型など

276ページ、四六判、并製

言语

日本语

発行年月日

2017年11月

ISBN コード

978-4-7949-7033-6

出版社

晶文社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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西暦2018年は明治維新 (1868年) の150周年にあたるということで、前年から多くの関连书籍が出版されていた。2017年11月刊行の本書もそのひとつである。ただし、「明治維新は日本の夜明け」としてこれを礼賛するたぐいのものと本書との間には、大きな溝がある。本書では時期をさかのぼって、日本の歴史のなかで儒教が果たしてきた役割を整理している。
 
儒教については、日本国内で広く知られているようでいながら、偏った见方?误解が蔓延している。教科书レベルの「孔子?孟子が説いた教え」とする理解は、まちがいとは言いきれないのでまだよい。しかし、「中国?韩国の哀れな现状を见れば明らかなように、近代社会にそぐわない封建的な思想」という、明治の福沢諭吉が唱え、昭和の司马辽太郎らが継承し、今も商业出版の世界で幅を効かせている俗説は、事実误认も甚だしい。
 
この列島に生まれた政治組織 (かつての教科書では大和朝廷、いまの教科書ではヤマト政権と呼んでいる政府) が、「日本」という一人前の国家になっていくにあたって参照したのは、隣国、というよりも当時の人々の認識では世界の中心である、大唐帝国だった。その政治秩序?社会組織をまねして8世紀初頭にいちおう完成したのが、いわゆる律令国家である。そして、教科書レベルでは明言されていないのだが、中国で律令制度を作り上げていた理念は、儒教の思想だった。日本人と儒教との付き合いは、まずは国家の仕組みの受容から始まった。
 
その後、中国の儒教は宋学 (朱子学はその一流派) の登場で変質する。政治?社会の根幹である点はそのままに、あらたに個々人の人格修養が重視されるようになる。13世紀に宋から伝わった禅宗には、教養の一環として朱子学についての知識が入り込んでいた。17世紀、江戸時代にいたって日本の朱子学は禅宗寺院から自立する。すぐ引き続いて儒教のなかから朱子学を批判する思潮も誕生する。教育施設 (藩学など) が設立され、19世紀には儒教の教義内容が武士の間に広く浸透して国政改革への志を育んでいた。明治維新はこれを思想資源としている。
 
中国や韩国では、古来より朱子学を修めた人が科挙に受かり国を束ね、服装や冠婚葬祭のやり方など、社会のすみずみに儒教が行きわたっていた。一方、日本には科挙がなく、葬式なども仏教が担っている。しかし教养として朱子学は、明治维新を支える思想として、武家の间に広まっていた。儒教的教养の水脉は、吉田松阴、西郷隆盛、伊藤博文らに受け継がれて日本の近代化を用意したというのが、本书の主张である。
 
なお、本書同様、著者 (小島) による既発表の文章を集めた続編として、『志士から英霊へ――尊王攘夷と中華思想』が同じく晶文社の <犀の教室> シリーズから2018年6月に刊行されている。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 小島 毅 / 2018)

本の目次

はしがき
 
明治维新を支えた思想
朱子学?阳明学の日本的受容と幕末维新――现代の鑑としての歴史に学ぶ
中国生まれの志士的思想
江戸时代の儒教受容――冈山をめぐって
保科正之とその同志たち――江戸儒学の黎明期
东アジアの视点からみた靖国神社
 
朱子学、日本へ伝わる
日本的朱子学の形成――文化交渉学の视角から
日本の朱子学?阳明学受容
五山文化研究への导论
梦窓疎石私论――怨亲差别を超えて
 
东アジアのなかの日本
日本古代史の见直し――东アジアの视点から
日本と中国
豊臣政権の朝鲜出兵から考える日本外交の隘路
东北アジアという交流圏――王権论の视角から
中华の歴史认识――春秋学を中心に
 

関连情报

JAM THE WORLD いま気になるニュース?時代の動きを掘り下げる UP CLOSE (J-WAVE 2018.03.13オンエア)
今なぜ儒教が注目を集めているのか? (ゲスト: 東京大学大学院人文社会系研究科教授 小島毅さん)

 

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