视覚都市の地政学 まなざしとしての近代
本書は、著者が1987年に出版した『都市のドラマトゥルギー』(弘文堂) 以来、そこで取り扱ったテーマを発展させる形が書き溜めてきた諸論考を集成したものである。この本に収録されている最も古い論考は、東京ディズニーランドにおける視線の政治を分析した「シミュラークルの楽園」で1992年に書かれた。その後、著者は多くのテーマで著書を出版してきたが、本書は約30年ぶりに原点回帰し、もともと1987年の著作で考えていた現代都市とまなざしの関係史を、<戦後東京における可視性の地政学> という観点から描き直すものとなった。
『都市のドラマトゥルギー』で著者が探究したのは、集まりの場であると同時に視線の場でもある現代都市の構造転換であった。著者はそこで、<家郷から大都市への人口流入> と <都市における視線の再編> という2つのモメントによって都市の意味生成の仕方が変容してくことを捉えた。この展望を発展させ、本書は大都市が人々の視線を組織していく諸戦略に照準している。この人々の視線と都市の関係をより深く捉えるために、本書では「百貨店」「映画館」「テーマパーク」「家電のある家」「テレビのある茶の間」といった空間を次々に取り上げ、その歴史的な変容を、そこに集った社会的身体との関係から浮かび上がらせている。そのことにより個々の文化装置とそれをまなざす人々の関係をより精密に分析しようとしたわけである。
同时に本书は、ジェンダーやコロニアリズムをめぐる视点を、中心的な分析轴として埋め込んでいる。着者は、20世纪を通じた都市の変容は、スクリーン的なまなざしの装置が都市の地政学的秩序のなかで増殖していくプロセスと、スクリーン的に构成されるリアリティのなかに都市の地政学が溶解していくプロセスの両面を含んでいたと考える。この力学の両面を明らかにするには、それぞれのまなざしの场についての详细な分析が必须であった。
たとえば1950年代までの东京で、人々のまなざしを强力に集めていたのは百货店と映画馆であった。本书はこのいずれもが、ジェンダーや阶级の分割と结びつきながら出现し、増殖していたことを明らかにする。関东大震灾を挟んで1910年代から20年代にかけて大発展する帝都东京が、そうした分割线とどう结びつき、それをどのように再编したかも论じている。さらに1960年代以降、家庭にテレビが爆発的に浸透していくなかで、都市の中のまなざしのあり方は激変した。家庭のテレビは街头テレビとはほとんど别のメディアである。この高度成长以降の都市のリアリティを先导したのは広告であり、広告のなかの家电製品や都市风景を分析していくことで、当初は明确だったモダニティのイメージは虚构化していった。东京ディズニーランドは、そのような虚构化した都市の仕组みを集中的に示す空间として考察できる。
(紹介文執筆者: 情報学環 教授 吉見 俊哉 / 2018)
本の目次
第I部 拡大するモダニティ
第1章 帝都東京とモダニティの文化政治
第2章 近代空間としての百貨店
第3章 映画館という戦後
補論1 占領地としての皇居
第II部 飽和するモダニティ
第4章 テレビが家にやって来た
第5章 メイド?イン?ジャパン
第6章 テレビ?コマーシャルからの証言
第7章 シミュラークルの楽園
補論2 空から見た東京
第III部 認識するモダニティ
第8章 都市の死 文化の場所
第9章 都市とは何か
終章 戦後東京を可視化する
関连情报
吉見俊哉 (東京大学大学院情報学環教授) + 南後由和 (明治大学情報コミュニケーション学部専任講師)
毎日新聞: 今週の本棚 (会员限定有料记事 2016年5月1日)
川本三郎?評『视覚都市の地政学−まなざしとしての近代』=吉見俊哉?著
週間読書人ウェブ (2016年12月23日)
2016年回顧 社会学都市民族誌の集大成吉見俊哉『视覚都市の地政学』好井裕明 (日本大学文理学部社会学科教授)