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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙にオレンジの線画イラスト

书籍名

光文社 古典新訳文库 白夜 / おかしな人间の梦

着者名

フョードル?ドストエフスキー (著)、

判型など

249ページ、文库判、ソフトカバー

言语

日本语

発行年月日

2015年4月9日

ISBN コード

978-4-334-75308-5

出版社

光文社

出版社鲍搁尝

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ドストエフスキーと言えば、暗く重く辛い作品ばかりだと思われているかもしれない。けれども、この中?短编集に选んだ作品は一味异なり、どれもせつないながらも、そこはかとなく明るい気配が漂っている。
 
「白夜」だけは、极く初期の作品だが、あとの叁つの短编は、作者が晩年、十年近く书き続けた膨大な『作家の日记』の中に収められたものだ。
 
「白夜」は若き梦想家と十七歳の少女、そしてもう一人の男性が织り成すラヴ?トライアングルの物语である。主人公の梦想家の爱の形は、エゴイズムとは无縁で、どうかすると滑稽なピエロに见えるかもしれない。しかし彼は、哀切なる梦幻であった恋爱の刹那を、「至福の瞬间」と捉え、そこに自身の生の完全性を见出しているのである。ほんの一瞬とはいえ、あの一瞬は长い一生にも匹敌する完璧なものだったと&丑别濒濒颈辫;。
 
『作家の日记』から选んだ叁つの短编は、それぞれ魅力的な特性を持つが、あえて一つだけ选ぶとすれば、「おかしな人间の梦」は、バフチンが「ドストエフスキーの主要なテーマのほとんど完璧な百科事典」と书いたほど、ドストエフスキーのさまざまな作品のテーマ、モチーフ、登场人物に遭遇できる。自分だけが大いなる真理を知っている贤人だと思いこんでいる『罪と罚』のラスコーリニコフやこの世の何もかもが「どうでもよい」という圧倒的な虚无感に袭われ、自杀を决意する『悪霊』のキリーロフ等々&丑别濒濒颈辫;。
 
ところが「おかしな人间」はひょんなことから自杀を免れ、その代わりに见た梦の中で、自杀の先の生を体験することになる。これはいわば自杀后のキリーロフの体験と言ってもいいものだろう。「おかしな人间」が梦で见たのは、地球と瓜二つの远い惑星にある楽园―ドストエフスキーが若い顷から梦见た黄金时代のユートピアである。その楽园では堕罪に汚されていない人々が、万物との完璧な调和状态の内に暮らしている。
 
こうしたユートピアについてドストエフスキーがもう一つ论じているのが、「一八六四年のメモ」である。これは、最初の夫人マリアの死の直后に、彼女の遗体の前で书かれた短いテクストだが、彼の思想の根干に触れることができるものなので、この翻訳集に収めた。その中でドストエフスキーは、「キリストの教えに従い、己の如く他者を爱することは不可能である。この地上ではが障害となるのである」としながらも、「个我の最高にして究极の発达は、を完全に万人にそっくりそのまま与えてしまう状态である」と述べている。「个我」と訳した単语リーチノスチは、西洋近代の「全体から独立した个」とは异なり、全体の中にあって初めて十全に生かされる自身という概念である。「一八六四年のメモ」ではそれが达成されるのは、この世の终末の时とされているが、「おかしな人间の梦」では、たとえ梦の中であれ、それは既に达成されているのである。
 
本书に収められた作品は、いずれもこの世ならざる至福の瞬间の体験によって、永远を垣间见た物语と言えよう。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 教授 安岡 治子 / 2017)

本の目次

白夜
キリストの樅の木祭りに召された少年
百姓のマレイ
おかしな人间の梦
一八六四年のメモ
解説
年谱
訳者あとがき
 

関连情报

光文社コラム:〈あとがきのあとがき〉ドストエフスキーの中編?短編から 巨大な作品世界のテーマを覗いてみる / 『白夜/おかしな人间の梦』の訳者?安岡治子さんに聞く (2015年5月19日掲載)

 

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