ちくま学芸文库 汤女図 视线のドラマ
『絵は語る』シリーズの1冊として平凡社から1993年に刊行された本を、ちくま学芸文库本で再刊したものです。わずかに増補、改訂、レイアウトの変更を加えています。湯女 (ゆな) というのは、江戸時代初期の風呂屋で客の垢取りや洗髪をし、酒食の相手や売春までした女たちのことです。当時の風俗画として著名な「汤女図」(MOA美術館) という1幅の画を、この本は多角的に、徹底的に論じます。
まず、異本や類品との比較を通じて画面の復原と様式分析を行ない、その結果、現在の画面を四曲屏風 (4枚折りの屏風) の一部が残ったものと見なします。通説では二曲屏風の残欠と考えられていましたが、違う見解を出しています。
まったく不明とされていた「汤女図」の作者については、江戸における岩佐又兵衛 (いわさまたべえ) (1578―1650) 周辺の画家を想定します。江戸時代には浮世絵の元祖といわれていた又兵衛の確実な風俗画は知られていません。この本は、彼の印章のある複数の故事人物図と署名?印章を持たない舟木本 (ふなきぼん)「洛中洛外図」(東京国立博物館) との図様の継承関係を指摘し、又兵衛がこの異色の洛中洛外図に関与した可能性が高いと説きました。今日では舟木本「洛中洛外図」を描いたのは又兵衛だと広く認められていますが、そういう意見を形成するのに、この本の具体的な検討は貢献したと思います。そして、舟木本及びほかの又兵衛風諸作品の人物描写の型と特徴が「汤女図」に受け継がれていること、現実の人間を道釈画の寒山の図像を借りて表す <見立て> の操作において又兵衛画との類似を持つ点から、又兵衛と近い作者が「汤女図」を描いたと考えるのです。
湯女風呂の歴史、特に公娼制の成立によって生じた公娼と私娼の対立を文献史料にたどり、失われた右側の画面には吉原の遊女が描かれていたのではないかと推測するところが一応の結論となっています。当時の風俗画?美人画に頻出する、男に見られる女というモチーフと、「汤女図」の女たちの激しい視線の齟齬が、この解釈に導くひとつの論拠です。
17世纪前半の社会状况を絵画の中に読み取ろうとする解釈は、大胆であり斩新でした。ただ、その结论の妥当性を度外视しても、1幅の画の分析から歴史の大きな転换の様相に迫ろうとするこの本の姿势は、日本美术史研究の新たな意欲を示す例だったといえます。
もとの本も、こちらの文庫本についても、1点の絵画をめぐる謎解きがまるで推理小説のようにおもしろいという批評をしばしばちょうだいしました。ありがたいことですが、むしろ著者は、美術史学は推理小説よりおもしろいことを実証したかったのです。そういう願望と挑発は、もとの本の宣伝文「絵は語り始めるだろうか」(『月刊百科』 363号、1993年) に述べられています。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 佐藤 康宏 / 2017)
本の目次
1 汤女図が汤女図であること
2 分析と復原
3 どんな画家が描いたのか
4 歴史の中の湯女たち
5 歩み去る者、見返す者
湯女風呂関係史料
コラム 図像間の対話
岩佐又兵衛
注
参考文献
あとがき
文庫版のためのあとがき
関连情报
2017年1月22日『毎日新闻』朝刊 广海伸彦「この3册 岩佐又兵卫」
2017年5月13日『日本経済新闻』朝刊