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初めての东大女子入学生は19名

  • (写真1)

1946年2月1日の「女子教育刷新要纲」により女子にも东大の门が开かれ、最初の女子受験生は109名と多くの女性がチャレンジしました。109名の内訳は、东京女子大学25名、津田塾専门学校12名、帝国女子理学専门学校12名、东京女子师范学校11名、日本女子大学卒といった学歴をすでに持っていた人々が多かったようです。すでに职业についていたものあるいは结婚生活に入って子供のいる人も混じっていて、现代の社会人入学の趣があります。

しかし、合格者19名(内訳は文学部8名、法学部4名、経済学部3名、理学部2名、农学部1名、医学部1名。なお、法学部の1名は家庭の事情で入学3か月后に中退した)。全入学者898名の内の2.1%という少数派の出発をしました。入学式は5月1日。この日の女子学生の様子を「帝国大学新闻」が次のように报じています。「?????背水の阵の他帝大からの転入者、军学校出身者、初めて帝大に入学を许される女子を含めて専门学校出身者とおよそ帝大始まって以来の雑多な群が讲堂につめかける。????远い彼岸のやうに思っていた帝大入学という梦が急に现実に眼の前につきつめられたものめづらしさと真剣さ、别世界に入った一种の憧憬が喜びをおさへた紧张の雰囲気をかもし出す女子新入生は流石に面映ゆさうに一箇所にかたまる。?????」。

この中に、すでにピアニストとして活跃し、东大卒业后国会図书馆に勤务された藤田晴子さんがいました(写真1参照)。
そして、1949(昭和24)年、16名が卒业。理学部の1名と旧制4年制であった医学部1名は1950年に卒业しました。
※『文部省往復(叁)昭和二十一年』をもとに一部修正しました(2024.5)