东京大学コレクション??「プロパガンダ1904-1945――新闻纸?新闻誌?新闻史」展记者発表

东京大学コレクション??「プロパガンダ1904-1945――新闻纸?新闻誌?新闻史」展 |
日々発行される新闻はすぐに読まれ、たちまち用无しとなる。纸面の大半が速报性に重きを置く情报からなりたっていることを考えるなら、この消费サイクルの短さも不思议ではない。纸としての新闻すなわち「新闻纸」が现代社会における消费财の代名词ともされるのはそのためである。
用済みになった新闻の回収は、たしかに高度循环型社会の実现のために必要ではある。しかし、だからといって、「新闻纸」をリサイクル资源としか见なし得ないとしたらどうか。确かなことは、新闻纸が膨大な文字?画像?物性に関する情报を有しているということ。この点において、新闻纸総体の资源価値は他のどの印刷メディアに比しても逊色がない。ことに古い「新闻纸」はそうである。近代社会のなかに生まれ、急速な発展を遂げた新闻の古い纸面は、発行された时代のすべてがそこに凝缩されているという意味で、他のものに代え难い歴史的な価値を有している。
にも関わらず、明治初期から太平洋戦争での败戦にいたるまでの古新闻を、系统的に、かつまた利用可能な状态で保存している公的机関は多くない。この忧うるべき现状の拠って来る理由は纷れもない。新闻は日常生活と密着しすぎているため、いとも简単に処分される。もとより大量消费财としてある新闻は、多くが廉価な纸に刷られ、しかも判型が大きいため邪魔にされる。恒久保存についても、発行元である新闻社や公共机関への一方的な期待感が先行し、他人任せになりがちである。结果として、创刊からのち今日まで存続している全国纸の中央版ですら「纸」としての完全保存がなされてこなかったし、ましてやそれらの各県版、明治初期の「大新闻」と「小新闻」、廃刊になって久しい大新闻、短命に终わった小新闻、国内各地のローカル新闻、特殊な业界新闻、旧植民地で発行された现地语版新闻や现地语併用版新闻となると、様々な経纬が灾いして実物の存在を确认することさえ容易でない。
东京大学総合研究博物馆は、そうした新闻史料保存の危机的な现状を鑑み、明治の初期からこれまで馆内资料部植物部门の押叶标本の保存乾燥用とされてきた新闻纸を回収し、それらのシステマティックな资料化と取り组んできた。二〇〇二年に始められた「古新闻纸」の资料化事业は、博物馆工学ゼミの参加を得て二〇〇叁年に本格化し、これまでのところ明治二〇年代から昭和二〇年代に至るあいだの新闻纸约一万点の回収整理を终えている。とはいえ、これでも想定される全体量の五分の一から一〇分の一に过ぎず、今后なお画像のデータベース化を含む资料化事业を、长期にわたり継続して行かねばならない。
これまでの作业を通じて、本馆の有する新闻史料は、なによりもまず蓄积量が膨大であること、现存の确认されていない稀少新闻が大量に含まれていること、植物标本の付随物として标本室で保管されていたことから保存状态が抜群に良いこと、纸面が半裁されているという欠点はあるものの、栏外余白など発行时の原型を完全にとどめていることなどの诸点に特长がある。
本展の眼目はこれまでまったく知られていなかった新闻资料体の存在を公にすることにある。と同时に、大学博物馆が取り组むべき重要な研究课题すなわち、理科系の研究资料として蓄积されてきた学术标本を文科系研究资料としてリサイクル活用する方法の、その具体的な例証のひとつにしたいと考える。
东京大学総合研究博物馆