极圏、砂漠、火山岛に无人岛、
5640尘の高山から5780尘の深海まで
カーリングの町として知られる北海道の常吕は、実は东京大学と深い縁を持っています。
2021年から现地で考古学调査を进めてきた太田先生が、土器の圧痕调査などを通じて道北?道东の植物利用や文化交流の歴史を探っている取り组みを绍介します。
考古学 オホーツク海沿岸
オホーツク文化と擦文文化が出会う场所で进む土器圧痕调査と考古学実习
太田 圭
OTA Kei
人文社会系研究科 助教
1955年に始まった常吕との縁
东大と常吕の縁は、文学部の服部四郎先生が樺太アイヌ语の研究で当地を访れた1955年から始まりました。地元の考古爱好家と话して热意に打たれた服部先生は、考古学研究室の驹井和爱先生に连络。现地视察で重要性を理解した驹井先生は、1957年から発掘调査を始めました。地元の支援を受け、大学として长期的に调査を行うことが决まり、地域连携を轴に调査研究を进めるが1967年に设置されていまに至っています。
私の考古学との出会いは、小学生の顷に近所で新东名高速道路の工事に伴う発掘调査を见たことでした。大学院生时代は発掘调査のため年に4か月程は常吕へ。それまでの研究テーマは东日本の縄文时代の土器や住居でしたが、オホーツク海侧の歴史をみるなかで、本州东北部から伝わった文化要素が発展して形成された擦文文化や、海に高度に适応し、动物仪礼の痕跡が顕着な大陆(北方)由来のオホーツク文化、両者が接触?融合して生じるトビニタイ文化など、この地にユニークな现象に兴味を持ちました。なにより地元の人たちとふれあいながら研究できることに魅力を感じ、2021年に常吕に赴任しました。
植物の利用法を探る圧痕调査
近年行っているのはレプリカ法による土器圧痕调査です。土器の表面の穴にシリコンを入れて型を取り、穴を形成したものが何かを同定するもの。型取りしたレプリカを顕微镜で调べて现生标本と比较し、根拠となる部分が确认できれば、科や属を同定できます。
考古学で先史?古代の植物利用を探る场合、出土した炭化种実を分析するのが基本です。日本の酸性の土壌では埋没した种実は分解されてしまいますが、火を受けて炭化した场合などは种実の検出场所や形状?状态から人々の利用方法を推测することが可能です。道北?道东では炭化种実のデータが少なく、新たに大规模発掘调査でも行われない限り新しいデータの获得は困难ですが、土器は採集品も含めてどの地域でも出土するので、炭化种実データが少ない地域でも土器圧痕调査により植物利用に関するデータが得られます。
オホーツク海沿岸には多くの竪穴住居跡が埋まらずに洼みとして残り、その规模は日本最大级。擦文文化の竪穴が半数を占めます。カマドや纺锤车などの遗物をみると、擦文文化は东北地方の影响を受けていることがわかります。道央部で擦文文化が展开する8世纪顷にはムギやキビなどの穀物やその利用方法も伝わったと考えられ、10世纪以降は道北や道东にも拡大します。8世纪顷にオホーツク海侧で広がるオホーツク文化でも穀物を利用していたことがわかっています。この时期、本州と大陆(北方)の2系统の文化要素が流入し、常吕周辺はその接触地域でした。接触の结果はトビニタイ文化として评価され、土器と住居から文化の接触が考えられてきましたが、私は文化の接触?融合の姿を穀物とその利用方法からより具体的に検讨することを目指しています。文化の交わりを遗物?遗构に触れながら検讨できるのが、ここで研究する面白さのひとつ。博物馆学実习や考古学実习の学生とともに毎夏を过ごす傍ら、いま常吕にいるからこそできる研究に励んでいます。