ゲノム人类学の小金渕先生は、縄文时代の人々の粪石から抽出した顿狈础を解析しています。
福井の鸟浜贝塚や茨城の吹上贝塚のサンプルから、肠内にどんな寄生虫がいたのかを探るもの。
研究の源には、古い时代の日本列岛の人々の成り立ちや生活环境を解明したいという思いがあります。
ゲノム人类学&迟颈尘别蝉;粪便
縄文时代の人々の粪石でヒト寄生虫の顿狈础を探索
小金渕佳江
KOGANEBUCHI Kae
理学系研究科 助教
贝塚に捨てられた便が化石に
私は、粪便が化石化した粪石に残る顿狈础から、古代の日本列岛にいた人たちの消化器にどんな寄生虫がいたのかを调べています。通常は腐食して残りにくい粪便ですが、たとえば福井県の鸟浜贝塚では縄文时代の粪石が大量に出土しています。縄文人の粪便が何らかの理由で化石化したものです。
琉球大学时代には琉球列岛の人々のなりたちを调べ、冲縄本岛と宫古岛への复雑な移住过程をゲノム解析から确认しました。一方で、疾患に関する遗伝子多型も调べてきました。东大に移ってゲノム人类学研究室に入り、縄文の人々の食べ物を探るために粪石を持っていた太田博树教授に触発されて研究テーマを考え、当时の卫生环境や古代人の健康状态を粪石のゲノムから调べようと决めました。
古代人のゲノム研究では、骨の顿狈础を调べる试みは多いものの、粪石はほぼ扱われていませんでした。粪石に寄生虫やその卵の形状が残っていなくても、顿狈础は残存しているかもしれません。顿狈础配列がわかれば、现代の生物と比较して种の同定に繋がる可能性があります。人に寄生する生物の轨跡がわかれば、大陆からの渡来人が在来の縄文人と混血して古代の日本列岛人が成立した経纬がたどれるかもしれないと思いました。
混入が少ない中心部を解析
まず最初に鸟浜贝塚の粪石を、続いて茨城の吹上贝塚の粪石を対象にしました。鸟浜の粪石は6500~5600年前のもので、吹上は5000~4000年前のものです。その后、冲縄県?首里城遗跡の约400年前のサンプルも加えました。粪石から顿狈础を抽出する际は、后代の顿狈础混入が少ない中心部の试料を使います。次世代シークエンサーで読み込んで出てきた配列情报を巨大な顿狈础配列データベースと照合し、寄生虫由来のものがどれくらいあるかを调べました。古代の顿狈础なので完全な状态ではありません。生きている生物の顿狈础は配列が壊れても修復机构が働きますが、死ぬと修復されず断片化されます。
调べてみると土壌バクテリア由来のものがほとんどでしたが、精査した结果、复数のサンプルからヒト寄生虫由来の顿狈础が见つかりつつあります。ほかの种を宿主にする寄生虫もいますが、人の轨跡を追うなら人だけに寄生するものを捉えたいところです。今回の调査でヒト寄生虫由来と考えられる顿狈础が出たことで、可能性は见えたと思います。共同研究者により、粪石由来顿狈础による食物解析やウイルス解析の试みも进んでいます。
ただ、事例がまだ少ないので、系统解析ができるレベルまで配列情报を増やすのが次の段阶です。サンプルから得られる顿狈础配列の絶対量を増やすため、欲しいところだけ狙って顿狈础を浓缩して配列解析するターゲットキャプチャーという手法を使います。いまあるのは縄文时代と约400年前のものだけですから、もちろん新しいサンプルも必要です。考古学の研究者と话すと「そういえばうちにも粪石が」と言われることがあります。通常、考古学で注目するのは骨や道具类で、粪石に兴味を示す人は多くありませんが、私は过去を知る重要なツールとして注目しています。调査を重ね、どういう寄生虫がいつ顷から日本列岛に入り込んだのかの全体図を描きたいと思います。