现代アートはどうして难しいの?→松井裕美|素朴な疑问惫蝉东大
「なぜ?」から始まる学术入门
言われてみれば気になる21の质问をリストアップし、その分野に详しそうな鲍罢辞办测辞教授阵に学问の视点から答えてもらいました。知った気でいるけどいざ闻かれると答えにくい身近な疑问を足がかりに、研究の世界を覗いてみませんか。
Q.19 現代アートはどうして難しいの?
いたずら书きのような线とか絵の具を涂りたくっただけとかただの便器とか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。现代アートってなんであんなにわかりにくいの?确信犯?MATSUI Hiromi
准教授
美术史学 |
芸术の概念を変えたデュシャンの影响
现代アートとは何か。时代的には主に20世纪に创られた作品を指しますが、加えて、现代的な特徴を持つことも重要な要素です。その特徴とは何かを考えるのに欠かせないのが、デュシャンです。ピカソは絵画や彫刻などのジャンルの概念を変えましたが、デュシャンは当然と思われている価値体系や日常生活の根底にあるシステムを问い直し、芸术自体の概念を変えました。そうした问いから出発した芸术が现代アートの主流の一つであると言ってよいと思います。
既製品の香水ボトルに颜写真をつけた《美しい吐息》という作品があります。颜写真は自分が女装したもの。作者名はデュシャンの女性の分身であるローズ?セラヴィ。撮影したのは写真家のマン?レイ。商品と作品の违いは何かという问いとともに、作者は谁なのかという问いを示し、オリジナリティの概念をひっくり返しています。ところが、2009年にオークションでこの作品に10亿円以上の値がつきました。オリジナリティとは何かを问う作品がオリジナルとして高い価値を得、本来の意味が変わりました。
东大の驹场博物馆には、デュシャンの《大ガラス》の、1980年のレプリカがあります。レプリカ作りに参加し、デュシャンが残した説明书をもとに复製に取り组んだ当时の人たちには、自分がしていることにはどんな意味があるのか、どうして作者はこんな表现をしたのかなど、ただ作品を観ただけの人とは违う问いが生まれていたでしょう。このレプリカ作りは、美术馆で距离をおいておとなしく観ないといけない通常の姿势とは违う形の、デュシャンが望んだ作品との本来の関わり方を示していたのではないでしょうか。
日常生活とは别の视点から何かを问う
現代アートはなぜ難しいのか。それは問いを立てさせるためだと思います。何かの答えや気持ちよさを与える作品もありますが、それだけではなく、いったい何を意味しているのか、何がここで問われているのかといった問いを考えさせるのが現代アートの特徴です。答えを出すのではなく、問いを引き出して考えさせるから難しい。日常生活とは别の视点から何かを问うことができるのが現代アートです。現代アートのファンの中には、作品がもたらすひらめきや居心地の悪さや答えがすっきり出ないことなどを楽しんでいる人も多いと思います。ファンでなくとも、感性だけでなく知性に訴えるものを求めたい性分が人にはあるのではないでしょうか。
现代アートが苦手な人は、気持ちよくなるわけでもないものをさも価値があるように见せられて怒るのかもしれませんね。実は私も昔は苦手でした。感性的に楽しめるもののほうが好きで、ピカソのキュビスムの作品はピンと来なかったんです。でも、作品を観てどうしてこの构造になったのかと考えるうちに、知的な兴味が掻き立てられました。留学して外国语を使うことの难しさに直面したとき、それがキュビスムの絵を観たときの难しさに重なるように感じました。自分の问题と重なると思うと、作品の难しさは特别な意味をもって迫ってきました。絵を観ているうちにふと问いが飞び込んできて、それが自分の问题とかぶさり、作品が寄り添ってくるような感じがしたんです。
自分の问题と重なれば作品が近づく
アートがどの段阶から难しくなったとか、どこから现代アートになるのかなどということは、本质的な问いではありません。美术馆の中でも外でも、何か気になるものがあって诉えかけるものがあったら、それを大事にすることが一番よい体験になります。また、美术馆に展示された作品すべてを理解するのが重要なわけではありません。一つでも自分に近い问题と感じられることのほうが重要だと思います。
私はキュビスムを研究してきました。最近は、昔から芸术家が取り入れてきた解剖学の知见がキュビスムの作品でも使われていたことを敷衍し、シュルレアリスムの作品で解剖学イメージがどう使われているかを调べています。60~70年代のコンセプチュアルアートにも刺激を受け、特に当时の女性芸术家が作者としてどう考えていたのかに兴味があります。芸术の世界も男性本位でしたが、それに违和感をおぼえ、确立された価値基準を崩しながら男性中心のアートシーンや社会を问い直した女性アーティストもいました。特に注目するのはメアリー?ケリーの《产后资料》という作品です。出产をテーマに、使用済みのおむつとか子どもの落书きとか会话などの记録に自身のコメントを加えて展示したもの。母として、また芸术家としての葛藤が、紧张感をもって表されています。精神分析やフーコーの言説を取り入れているため、知识がない観客を寄せつけない作品だとの批判もありましたが、私にはやはり自分の问题と重なるものとして迫ってくるのです。
础.ギャップや対话が楽しいから、かも
絵を描くことは自分の内にあるものを外に出す行為ですが、その都度、自分の中にあったイメージとは少し违うものになるはず。自分のイメージと絵とのギャップが楽しいから、というのが私の一つの答えです。お絵かきする子どもが楽しそうなのはまさにそれ。头にあった○のイメージを絵にしたら少しいびつな○ができたりして、ギャップが楽しい。そこにイメージと絵の対话が生まれ、さらに、その絵を目にしたほかの人との対话も生まれます。自身との対话が生じ、ほかの人との対话の媒介にもなる。だから人は絵を描くのではないでしょうか。难解な现代アートも様々な対话を生むと思います。