研究者が荐める映画.10『太阳の墓场』/ロシア史研究者?池田嘉郎
东大の様々な分野の研究者12人に、各々の専门分野の観点からお荐めする作品を绍介してもらいました。映画を鑑赏する际の手引きとして、また、各研究者が进める学术への兴味を高めるきっかけとしてご覧ください。
『太阳の墓场』
准教授
IKEDA Yoshiro
破局から立ち上がる创造の力がヒロインに现出
歴史研究者が论文を书くことと映画监督が作品を创ることは似ています。どちらも関係の网の目からなる世界の全体を、部分を组み合わせることで再构筑するのです。部分というのは史料であり、フィルムです。人物の配置、场面のつなぎ、物语の展开、これらは部分の组み立ての如何によって、结局世界を见る目の力によって决まります。立ち上がる作品世界はいずれも虚构ですが、部分を组み直す力によって虚构のリアリズムも决まります。私はこの认识を、山际永叁监督の作品、および彼の映画批评を学ぶことで手に入れました。いま、自分の専门であるロシア史研究とは别に、山际研究に取り组んでいる最中ですが、これまでの成果は「山际永叁『狂热の果て』とリアリズムの探求」「山际永叁『炎1960~1970』と映画运动」として东大文学部の『』に発表しました(インターネット上で読めます)。
その山際の盟友であり、同じような情熱をもって世界の再創造に取り組んだのが大島渚です。『愛と希望の街』(1959年)は破局の予感が破局へと落着し、『青春残酷物語』(1960年)は破局のエネルギーを全編追い、そして『太阳の墓场』(1960年)にいたって破局の中から立ち上がる創造的な力がヒロイン炎加世子の姿に現出します。大阪のドヤ街の二人のやくざ、ほとんど擬似恋愛の関係にある津川雅彦と佐々木功は、彼女の肢体に衝突して崩壊します。「血液銀行」「戸籍売買」という日本の生々しい現実が、ドヤ街の住人を翻弄します。その中でひとり炎加世子は地母神のように立ち、人を殺し、揺らぐことなく生き続けます。彼女の勇猛な姿はフェリーニ『8 1/2』(1963年)の地母神サラギーナを先取りするようです。『青春残酷物語』の主人公たちの破滅に対して、そのさらに先に行くにはどうすればよいのか。この問いに賭けてつくられたのが山際永三『狂熱の果て』(1961年)です。絶望の先に広がる魂の荒野をさすらうヒロイン星輝美の小さな姿と、『太阳の墓场』における炎加世子の疾駆する躰とは、1960年前後に噴出した叩きつける創造力をフィルムにとらえたもので、60年後の今日も剝き出しの荒々しさでぶつかってきます。