研究者が荐める映画.4『博士の异常な爱情』/国际政治学者?藤原帰一
东大の様々な分野の研究者12人に、各々の専门分野の観点からお荐めする作品を绍介してもらいました。映画を鑑赏する际の手引きとして、また、各研究者が进める学术への兴味を高めるきっかけとしてご覧ください。
『博士の异常な爱情』
教授
FUJIWARA Kiichi
ブラックユーモアで捉えた米ソの核开発竞争
国际政治学の议论というのは得てして抽象的になりがちで、掬いきれない部分がどうしても残ります。たとえば、アフガニスタン纷争の际に様々な议论がありましたが、市井のアメリカ人がどう受け止めているのか、なぜ纷争に賛成するのかなど、わからないことばかりでした。最近なら米中の対立を见て「中国政府が」とか「习近平体制が」などと言って考えますが、それでは中国に暮らす人から世界がどう见えているのかはわかりません。相手の社会を知らずに决めつけるのは危険ですが、これは国际政治学では手が届かない部分です。その点、映画は违う。フォーマルな理论とは违う引いた视点から捉えることで见えてくる社会の姿というものがある。そんな思いを胸に映画を観てきました。
アメリカの戦争はどう语られてきたのか。これが私にとっては重要なテーマであり続けています。アメリカで武力を用いた物语といえば西部剧ですが、たとえば『駅马车』が描き出す时代は、决して戦争に肯定的ではありませんでした。第一次世界大戦期には、欧州が舞台の戦争に参加すべきなのかという疑问が広がります。『西部戦线异状なし』は、ドイツの若者が戦场で死ぬ物语。描かれたのは、悪者としてのドイツではなく避けるべき悲剧としての戦争でした。
映画は政治学の手が届かぬ部分に迫れる
それが一転するのが第二次世界大戦です。『カサブランカ』に现れるドイツ人は明らかに悪者でした。アメリカが戦争で世界を安全にし、民主主义という望ましい仕组みを広める、という考え方が根底に见えます。そしてこれがアメリカの正统な戦争认识になりました。映画は社会通念の変転を如実に映し出しています。
一方で、映画にはそれと违う重要な働きもあります。そのことがよく表れているのが『』です。まだ30代のスタンリー?キューブリック监督が米ソの冷戦と核兵器竞争を辛辣に风刺した名作です。
精神に异常をきたした米军の基地司令官が、自分だけの判断で爆撃机によるソ连への核攻撃を命令します。核戦争を避けたい大统领は、爆撃の直前、ソ连の首相に电话するのですが、时候の挨拶から始まる二人のトークが非常に印象的で、私はいまも暗唱できます。结局、爆撃机は呼び戻せず、核爆弾が投下されるのですが&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。
題名につながるStrangeloveという変わった名の博士は、核兵器の専門家としてアメリカに帰化したドイツ人で、V2ロケット開発のフォン?ブラウンを思わせます。車椅子に乗っていて右手も不自由ですが、核爆弾投下後の世界を話し始めると、途端に元気になってナチス式敬礼を決め、歩き出します。そして、キノコ雲が花火のように次々と上がる恐ろしくも美しい映像の後ろに流れるのは“We’ll meet again”と歌う優雅なジャズナンバー。ブラックユーモアに溢れた映画史に残るラストです。
当时、冷戦下で核戦争への悬念が确かにあり、それを前提とした作品ではあります。でも、监督は少し引いて见ている。ここには正义の戦争を行うアメリカは微尘も存在せず、马鹿なことをやるんじゃないぞという意図が见えます。対象を突き放して作り手が独自の表现をする、映画というものの力を感じさせる一作です。
その他のおすすめ 『罪の手ざわり』 2013年、ジャ?ジャンクー监督。4人の罪人の物语を通して、社会の不正に反発しながらそれを表现できない人々のフラストレーションを任侠スタイルで描く(中国では未公开)。 『アウトポスト』 2020年、ロッド?ルーリー监督。アフガニスタン纷争で最も过酷だったとされる米军前哨基地とタリバンの戦闘を描く(実话が元)。これも一歩引いた视点で作られた一作。 『存在のない子供たち』 2018年、ナディーン?ラバキー监督。贫民街に住むシリア难民の12歳の少年が、妹を売ろうとする亲に反発して家出し、亲を告発する。シリア难民の少年が主人公を演じている。 |
※所属や职名は2022年3月时点のものです。