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ロシアのウクライナ侵略と国际秩序 ―― 分離紛争と軍事同盟

掲载日:2022年5月2日

ロシアによるウクライナへの军事侵攻が続き、ドンバス地方では激しい戦闘が展开されています。长年、现地に入ってウクライナ政治を追ってきた法学政治学研究科の松里公孝教授は、2014年と2017年にドンバス地方を访れました。ロシアを后ろ盾とする分离政体(ドネツクとルガンスクの人民共和国)とウクライナ军との攻防が激化していた2014年の夏に访问した时は、宿泊していたホテルのすぐ近くに着弾したこともあったそうです。今回の戦争の直前、「ロシアがドンバスの2共和国を承认することはあるかもしれないと思っていたが、ウクライナ全土で戦争を仕掛けるとは予想外だった」と先生は话します。ロシア帝国史や旧社会主义圏の政治を研究してきた松里先生に、ロシアの军事侵攻の背景にある领土问题や狈础罢翱东方拡大などについて话を闻きました。

© harvepino / Adobe stock

 

袋小路に陥ったドンバス问题

―― ウクライナ東部のドンバス地方とはどのような地域で、なぜロシアは分離政体を支援してきたのでしょうか?

ウクライナ东部のドンバス地方とクリミア半岛

ドンバス纷争に対するロシアの政策は、时期によって変化してきました。

こんにちドンバス地方と言えば、ドネツクとルガンスクの2つの州を指します。両州は、1920年代から30年代にかけて、ウクライナ?ソヴェト社会主义共和国の一部として成立しました。もともとロシア语话者が多い地域でしたが、2014年にウクライナでユーロマイダン革命(ヤヌコヴィチ政権を打倒した政変)が起こると、これに反抗する急进派が両州で州庁舎を占拠しました。急进派は州ごとに「人民共和国」を名乗り、ウクライナからの分离を掲げる住民投票を行いました。その后、ウクライナと戦争になりましたが、2015年までには军事境界线が引かれました。大体、もとのドネツク州、ルガンスク州の総面积の3分の1くらいが人民共和国の実効支配下に入りました。

2015年、露?独?仏の仲介で、ウクライナを连邦化することによって両人民共和国をウクライナに戻すことを目指す第2ミンスク合意が结ばれましたが、これは、连邦化を嫌うウクライナにとっても、ウクライナに戻りたくない人民共和国にとっても、魅力的な解决策ではありませんでした。

プーチン政権の両人民共和国に対する政策は、2014年8月まで、2014年8月から2019年まで、それ以后の3段阶に分けられるでしょう。まず、2014年春に纷争が起こってから8月までは、プーチン政権はドンバスの分离运动に対して冷淡でした。その理由は、第一に、ロシア大统领府と密接な连络を取りつつ展开してきたクリミアの运动とは违って、ドンバスの分离运动は社会のマージナル层が胜手にやったことで、プーチン政権としては助ける义理を感じなかったのです。第二に、ドンバスの分离运动は、「人民共和国」という名からもわかるように、反资本主义、反オリガーク(新兴财阀)の社会革命的な性格を帯びており、これは右派的で保守的なプーチンたちにとって受け容れられるものではありませんでした。

第叁に、一般にロシアの政権は、自力で生存する能力のない外国势力を援助しても仕方がないと考える倾向があるので、ドンバスの分离政体が生き残るかどうかを観察していたのでしょう。1992年のアブハジア戦争、2008年の第2次南オセチア戦争、2020年の第2次カラバフ戦争に际しても、ロシアは、自分が助けるべき相手の生存能力を见极めてから介入するかしないか决めています。

ドンバス写真
2017年8月、数キロ先の前线から爆発音が闻こえるなか、ドネツク市の公园でローラースケートに兴ずる少年少女。
©2022 松里公孝

2014年8月ごろになると、一方ではウクライナ军のドンバスに対する全面砲撃が始まり、他方ではマレーシア机撃坠事件なども起こって、プーチン政権としても纷争を放っておくわけにはいかなくなりました。そこで両共和国を支援しはじめるのですが、その际、(1)ウクライナからの分离运动をそれまで指导していた共产党やドンバス急进派を排除すること、(2)社会革命を止めること、(3)长期的には、ウクライナに戻ることに同意すること――という3条件を突きつけました。これらをドンバスが饮んだのでロシアが支援するという関係が2019年くらいまで続きました。(このあたりの経过については、に掲载された私の论文をお読みください)。

このような比较的穏健な政策をプーチン政権がとったのはなぜかというと、プーチン政権は、大量の亲露票を持つドンバスをウクライナに押し戻すことによって、ウクライナの狈础罢翱加盟を内侧から阻止したかったからです。

次に第3の时期ですが、2019年4月の大统领选挙でゼレンシキー候补が胜つと、ウクライナ政治を内侧から変えることは无理と判断したプーチン政権は、ロシア国籍をドンバスの2共和国の市民に容易に与えるようになりました。これはプーチン政権がドンバスをウクライナに戻す気を失いつつあることを示す危険な兆候でした。その年の12月には、パリで露、ウ、独、仏首脳によるドンバス戦争の和平交渉が行われましたが、ここでゼレンシキーがプーチンに第2ミンスク合意の実施にあまり乗り気でないことを伝え、プーチンは将来的なウクライナ开戦を决意したということが2022年4月1日付の『ウォール?ストリート?ジャーナル』纸に报じられています。

狈础罢翱をポピュリズムのスローガンにする危険性

―― プーチン大统领は、ウクライナの狈础罢翱加盟阻止も戦争目的に掲げたと思いますが?

その通りです。プーチン大统领は、「ウクライナを狈础罢翱に入れない」という确约をアメリカに求め、それを拒否されたことを侵攻の口実にしたのです。

欧州の狈础罢翱加盟国(青色)

冷戦期のオーストリアのように、自国の意思によってではなく、国际条约(1955年)によって狈础罢翱に入れなかった国もあります。现在狈础罢翱が掲げる门戸开放原则(「现加盟国が賛成するなら谁でも入れる」)は、1997年の狈础罢翱マドリード?サミットで採用されたもので、国际法上の主権尊重とは别次元の问题です。

これまで、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリーが、2004年にはその他の东欧7カ国が加盟し、狈础罢翱は东方に拡大してきました。さらに2008年4月に开催された狈础罢翱ブカレスト?サミットでは、ウクライナとグルジア(ジョージア)を将来的に狈础罢翱に加盟させることが决议されました。その直后の第2次南オセチア戦争、2014年のクリミア併合などで、ロシア指导部のグルジアとウクライナに対する执着がバルト3国やルーマニア、ブルガリアなどとは比较にならないほど强いことが明らかになり、狈础罢翱の拡大は钝化しました。

2018年以降、列强による超音速ミサイルの开発が本格化すると、プーチン政権の狈础罢翱拡大に対するアレルギーは一层强くなりました。万一、ウクライナが狈础罢翱に加盟し、超音速ミサイルがハルキフ(ハリコフ)に配备されれば、モスクワまで5分以内で到达すると言われます。ところが、狈础罢翱拡大の军事的帰结の深刻度が高くなればなるほど、狈础罢翱问题はポピュリスト的选挙动员の手段にされてきたのです。

前述のブカレスト?サミットで无谋な决定が採択された背景には、同年のアメリカ大统领选挙に向けて共和党のマケイン候补が苦戦していたこと、グルジアとウクライナで现职大统领(サアカシヴィリとユシチェンコ)の人気が低迷していたことがあったのは明らかです。マケインは人気取りのために対露强硬姿势をとり、サアカシヴィリとユシチェンコは、自国が西侧の一员として认められる日が近いと国内的にアピールしたかったのです。

2019年にウクライナが宪法改正をして、狈础罢翱加盟を宪法条项にしたのは、ポロシェンコ大统领が、目前に迫る大统领选挙でのゼレンシキーの优势を覆そうとする必死の试みでした。ゼレンシキー大统领も、支持率が下がるにつれ狈础罢翱早期加盟を狈础罢翱诸国に强く要求するようになりました。このように、狈础罢翱という军事问题が、どこの国でも选挙政治のネタにされてきたのです。

本音ではウクライナを狈础罢翱に入れる気はない欧米诸国は、なぜ、かつてのオーストリアのように「ウクライナは狈础罢翱に入れない」ことを条约化できなかったのでしょうか。そうすれば、プーチンの口実の一つは溃すことができたでしょう。これは、开戦に至るまでの间、研究の世界でも、ジャーナリズムの世界でも、多くの人が主张したことです。私は、狈础罢翱加盟国の指导者たちが自国内で「ロシアに弱腰」という批判を受けるのを恐れたか、支持率が下がってきたゼレンシキー政権を応援したかったか、いずれかだと思います。


国际ルールに挑戦するプーチン

―― 今后の国际社会への影响をどうご覧になっていますか?

今回の戦争の最大の教训は、分离纷争(この场合はドンバス纷争)を放っておいてはならないということです。2008年の第2次南オセチア戦争、2020年の第2次カラバフ戦争、そして今回の戦争のように、分离纷争を放っておくと、その数倍の犠牲者を生む戦争が必ず起きます。现在の国际システムでは、协议离婚的な方法だけがあって、それが难しい场合に调停离婚に该当するシステムがないのですが、ここが问题です。调停离婚に该当する国际司法システムを作り、しかもゴネ得している国(期限を切って纷争を解决しようとしない国)を罚するような制度も导入すべきと思います。

现在、ロシアのウクライナ侵略に対して、ロシアを厳しく纠弾する欧米、日本と、そうでない中国、インド、中东诸国などに国际社会は分裂しており、その両グループの间で外交的なせめぎあいが展开されています。しかし、ここはせめぎあいではなく、なぜそのような违いが生まれるのか、両グループ间で腰を据えて话し合えば、今后の国际秩序についてのヒントが得られるのではないでしょうか。

*&苍产蝉辫; アブハジア戦争、南オセチア戦争は、ともにグルジア(ジョージア)北部地域の分离纷争、カラバフ戦争はアゼルバイジャン内のアルメニア人自治州をめぐる纷争。

 

松里先生写真

松里公孝
法学政治学研究科教授

东京大学大学院法学政治学研究科修了、法学博士。北海道大学スラブ研究センター教授などを経て、2014年より现职。着书に、『』(共着、2016年、东京大学出版会)、(2021年、ちくま新书)など。

 
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