叁岛惫蝉东大全共闘の讨论会を热と言叶のドキュメンタリーに/豊岛圭介さん
カンヌやベルリンでやっているものとは违う、大学ならではの映画祭です。用意したのは、映画监督と研究者の対谈、映画研究者4人による研究绍介、映画人として活跃する卒业生绍介、研究者12人が荐める映画作品集&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。映画と大学の掛け算の成果をご覧ください。3、2、1、アクション!
淡青色の映画人 1 |
半世纪前に驹场で行われた伝説の讨论会を热と敬意と言叶のドキュメンタリーに
1969年5月13日、驹场で一つの讨论会が行われました。东大全共闘の学生の求めに応じて900番教室に乗り込んだのは、叁岛由纪夫。市ヶ谷驻屯地で割腹自杀する1年半ほど前に、1000人超の聴众と4时间にわたって热く真挚に言叶で対决する伝説の讨论会となりました。
このときに罢叠厂が撮影した记録映像を轴に、当时の関係者13人の証言を集めて全貌を伝えるドキュメンタリー作品を撮ったのが、教养学部出身の豊岛圭介监督です。浜松で育った映画好きの少年が东大を志したきっかけは、本学の研究者が书いた一册のブックレットでした。
「高3のとき、书店でという本を手に取りました。小津安二郎监督の作品を予备校生向けに解説した讲演のまとめ本でしたが、そのなかに、表象文化论という新しい学科を立ち上げたから兴味を持ったらぜひ来てほしいと书いてあったんです。着者は莲实重彦先生でした」
上京して予备校に入り、「気が狂いそうになるほど」勉强し、文科叁类へ。1年生の顷から映画関连の授业を履修し、叁木秀则さん(现?主任)やさん(现?京都大学教授)との交流を通して自主映画を撮るようになった豊岛さん。4年生となり、松浦寿辉先生の指导で书いた卒论のテーマは、エルンスト?ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』。ドイツのワルシャワ侵攻时に『ハムレット』を上演する剧団员がナチスに扮して逃げるという世界史的にも重要な作品に向き合いましたが、いまも心に刺さるのは、审査の场で莲实先生に言われた言叶でした。
「第一部で歴史的な位置付けを、第二部で映画の构造を分析したんですが、『この先の第叁部を书かないと意味がない』と言われました。新しい発见を试みないとダメだ、と。僕は器用なほうでどんな分野でもある程度対応する自信がありますが、映画でも「第叁部」を书けていないのではないか、といまも自问自答しています」
卒业后にアメリカの映画学校()に留学し、帰国后はホラー、コメディ、アイドルものなどジャンルを问わず职业映画监督として活跃してきた豊岛さんですが、ドキュメンタリーの分野は手付かずでした。社会问题の现场に长期间入り込んで撮る小川绅介监督や佐藤真监督のやり方を在学中に知り、自分にはとても手に负えないものだと思っていたのです。学生运动に関わる世代ではなく、叁岛作品の大ファンでもありませんでした。それでも、同窓ながら学生时代は面识がなかったプロデューサーの刀根鉄太さんから打诊を受けた豊岛监督は、企画を引き受けます。叁岛自决のインパクトを知らない世代の视点で作りたいと言われたのが决め手となりました。
「监督としてできることは限られます。登坛者のなかでも特に印象が强烈な、赤ん坊を抱いた舌锋鋭い青年の现在の姿と感情の动きを撮らないと映画にならないと思いました。现役の演剧人で独特の宇宙を持つ芥正彦さんの取材は一筋縄ではいかず、叱られているような感触の4时间でしたが、一方で「撮れてる!」と手応えも感じていました」
13人の取材と映像の編集を通して豊島監督が仮想敵のように意識するようになったものがありました。それは、醜い言葉が匿名で発せられ、拡散され、人を傷つけることも少なくないSNSのコミュニケーションです。 「討論の中身を現代の我々がすべて理解できるとは思いません。でも、三島だ、全共闘だ、ときちんと名乗りを上げ、相手の呼吸が感じられる距離で言葉をぶつけ合う姿に、コミュニケーションの正しさを感じました」
本编のナレーションに监督が组み入れたのは「讨论会にあったのは热と敬意と言叶である」という一节でした。「第叁部」の存在は、ここからも确かに伝わってきます。