東大映画研究Now/韓 燕麗 中国系移民の映画とアイデンティティ――ナショナル?シネマの枠组みを突き破って
カンヌやベルリンでやっているものとは违う、大学ならではの映画祭です。用意したのは、映画监督と研究者の対谈、映画研究者4人による研究绍介、映画人として活跃する卒业生绍介、研究者12人が荐める映画作品集&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。映画と大学の掛け算の成果をご覧ください。3、2、1、アクション!
中国语映画研究 |
中国系移民の映画とアイデンティティ――ナショナル?シネマの枠组みを突き破って
教授
HAN Yanli
韩先生の着书
『ナショナル?シネマの彼方にて』
(晃洋书房)2014年
大学院时代、恩师から「自分の生き方と関连するような研究をしなさい」と言われた时、内心忸怩たるものがありました。映画史専门の私は、冷彻な目で歴史的记述ないし映像を分析することこそが研究だと考えていました。しかし振り返ってみますと、中国大陆以外の场所に居住する中国系移民によって製作された中国语映画とそのアイデンティティの问题について研究してきた自分は、无意识のうちに恩师の言叶から大きな影响を受けていたかもしれません。
国籍を指标として映画を分类し批评することが、映画研究の主流でしょう。しかし国を単位とする映画研究のアプローチでは、もはや把握しきれない映画史の问题が存在しています。中国语圏の映画で考える场合、トーキー映画が大きな人気を博した1930年代初头前后から、アメリカや东南アジアなど中国大陆以外の场所において、中国系の移民たちが自らの母国语を使って异境の地で映画を作り始めていました。例えば1933年のサンフランシスコのチャイナタウンで、中国系移民による映画製作会社が设立され、自社専用の映画馆までチャイナタウンの中で建てられました。1950年代までに数十本の広东语映画がかの地で作られましたが、これらの映画は、映画の前に国名を冠するいかなるナショナル?シネマの枠组みにも収まらないものであります。
アメリカとは限らず、移民たちのアイデンティティの构筑ないし変容するプロセスが、各时期に各地で製作されたこれらの国籍を持たない中国语映画のフィルムにさまざまな刻印を残していました。知られざるこれらの中国语映画のテクストそのものに注目することによって、歴史学や人类学だけでは究明できない中国系移民の复雑な心像地理を探ることができます。その考察は海外で暮らしている私自身にとっての内省の旅でもありました。中国で生まれ育ち、中国语による教育を受けた汉民族の中国人である私は、自らが「中国人」だと名乗る意味を、研究を通じて再考する机会が与えられたのです。移民のアイデンティティが构筑されていったポリティックスは、中央集権的な国民アイデンティティへの同化に埋没されない「个」としての生き方を模索するわれわれに、新たなアイデンティティを把握するための座标轴を提供してくれればいいと、切に愿います。