サイエンスへの招待/人工知能 vs. 脳 ラットが教える本质的な违いとは? | 広報誌「淡青」40号より


人工知能 vs. 脳 ラットが教える本质的な违いとは?
第叁次础滨ブームといわれる现代。製品を分解して构造を明らかにするリバースエンジニアリングの手法で脳研究を続けてきた高桥先生によると、知能の贤さには2种类あり、我々の脳と人工知能の间には本质的な违いがあるそうです。ラットの実験で见えてくるキーワードは「无駄」。脳の特徴を理解すれば、础滨を无駄に恐れることも无駄ではない!?

准教授
「脳をリバースエンジニアリングする」という副题がついた着书『メカ屋のための脳科学入门』(2016年/日刊工业新闻社)は、工学部で行っている人気讲义を书籍化したもの。2017年には続编も刊行済み

贤さとは何でしょうか? 人工知能がさまざまな业界を席巻すると予想されていますが、そもそも「知能」とは何でしょうか? それは、脳に宿る贤さと同义でしょうか? これらの素朴な疑问に答えるべく、笔者は工学部机械系学科で脳の研究を続けてきました。
我々と同じように、ラット(ドブネズミ)も日々の経験に応じて贤く学习します。たとえば、特定の音の提示中にスイッチを押せば饵をもらえるという环境にいると、音提示中のスイッチ押し行动が次第に増えます。このような自発的な学习は、オペラント条件付けと呼ばれ、古くから调べられてきました。学习中の様子を観察してみると、どのラットも学习序盘では无闇にスイッチを押しますが、そのうち无駄なスイッチ押しをしなくなります。ラットにも个性があるので、こんなに単纯な课题でも、个体ごとに成绩はばらつきます。たとえば、学习序盘で好成绩を残したとしても终盘で伸び悩む个体や、その逆に学习序盘でパッとしなくても终盘で一気に伸びる个体が散见されました。このような実験结果を眺めていると、贤さは少なくとも2つの轴で説明すべきではないかと思うに至りました。すなわち、最初に试行错误する能力とその経験から适切な解を见つける(最适化する)能力です。无駄を作り出す能力と无駄を省く能力と言い换えてもいいかもしれません。
この学习に伴う脳の変化を调べると、聴覚野で音に反応する领域は、学习序盘で広くなり、学习终盘には小さくなります。さらに详しく调べてみると、音に反応する领域の大きさは、神経细胞の多様性と相関を示しました。つまりラットの行动と同様に、个々の神経细胞も、学习序盘には细胞ごとにさまざまな反応を示すようになりますが、学习终盘には无駄を省き、みな似たり寄ったりの反応になることがわかりました。

学习を支える脳の特徴として、笔者の最近の関心は自律性です。脳は、入力无しでも自律的に(胜手に)活动しています。このような脳の自発活动は、热ゆらぎ(雑音)から生じると考えられています。つまり脳は、常に无駄な雑音を作り出しながらも、その中で何とか情报処理しなければならない宿命を负っています。一方、人工知能で用いる计算机は、できるだけ雑音を排除するように设计されています。ここに、脳に宿る贤さと人工知能との本质的な相违があります。雑音を抑え込むことなく、热ゆらぎと闘いながらも适切に动作する脳は、究极の省エネルギー技术のお手本となるでしょう。また、雑音から生じる自発活动こそ、创造力の源泉かもしれません。脳の贤さは、自ら无駄を作り出しながらも、その利用方法を见つけることにあるように思います。
何でも効率化が求められる昨今、人工知能は主に自动化の技术として重宝されています。一方で自発活动してしまう脳は、决して自动化には向いていません。脳の自発活动は、一见すると无駄を作り出しているように见えますが、そのような自律性こそ明日の幸せの种です。豊かで楽しい人生を送るためには、人工知能(自动化)の恩恵に与るだけでなく、脳に宿る贤さの源(自律化)も最大限に生かしたいものです。そのためには无駄を省く工夫だけではなく、无駄を许容する大らかさも必要でしょう。
