地に足がつく木と风のメインスタジアムを设计|隈研吾|オリパラと东大。

~スポーツの祭典にまつわる研究?教育とレガシー
开会が迫る2020年のオリンピック?パラリンピック。56年ぶりに东京で行われるこのビッグイベントにはホームを同じくする东京大学も少なからず関わっています。世界のスポーツ祭典における东京大学の贡献を知れば、オリパラのロゴの青はしだいに淡青色に见えてくる!?
建筑学 |
地に足がつく木と风のメインスタジアムを设计
世界が抱える様々な问题に建筑を通じて答を示したい

南青山にある隈研吾建筑都市设计事务所からは秩父宫ラグビー场、神宫球场、そして国立竞技场も一望できます。「建筑は多様な人々が集えるプラットフォーム。その场所でしかできないものを、建筑家が引き立て役となって作っていきたいと思います」 写真:贝塚纯一
前回の东京オリンピックのとき、隈先生は小学4年生でした。竞泳种目で4つの金メダルを获得した18歳のドン?ショランダー选手の勇姿をテレビで観て感激したという隈少年。大会后、建筑好きのお父さんに连れられ、竞泳会场だった代々木竞技场第一体育馆のプールによく泳ぎに行ったそうです。
大先辈から継承したアーチ
「外観の迫力が圧倒的で、子どもながらに度肝を抜かれました。中にあるプールでは、高い天井の窓から差し込む光が水面に反射してキラキラ辉いていて。自分もこんな建物を作ってみたいと思いました。建筑家を志したのはそこからです」
2本の主柱をワイヤーでつないで大屋根を吊り下げるという、世界的にも珍しい吊り屋根構造の体育館を設計したのは、丹下健三先生。後に「世界のタンゲ」となる東大建筑学科の大先輩が仕込んだ、強度と美しさが融合したアーチは、時を経て後輩が設計に携わった新しい競技場にも取り入れられています。
「スタンド全体を覆う円形の大屋根は、中央部に行くにつれて盛り上げています。外縁と高低差をつけることで、柱がなくても十分な强度を持つ屋根になりました。丹下先生のアーチを自分なりに踏まえたつもりです」
とはいえ、全体的に见れば、第一体育馆と国立竞技场は対照的です。前者が垂直方向を意识させるとすれば、后者は水平方向。天に高く伸びるか、地に低く広がるか。そこには时代の违いが関係しています。前回大会の顷は日本が右上がりの経済成长を遂げている最中。欧米とひと味违う独自の価値を日本が世界に夸示しつつあることを、建筑が体现していたのかもしれません。
「明治期には独立国家である証として威厳のある建筑が、関东大震灾を経験した大正期には耐震性の高い建筑が求められました。そして丹下先生は、戦后に広岛平和记念公园を、オリンピックの际は代々木竞技场を设计した。振り返れば、东大の建筑家は时代ごとに社会が必要とするものを作ってきたと言えます」
47都道府県产の木材を活用
その顿狈础を継ぐ隈先生が、现代に求められるスタジアムとして设计に携わった国立竞技场。大きな特徴は、外周の轩庇、大屋根のトラス、内部空间に至るまで、输入木材より环境负荷が低い国产木材を积极的に使っていることです。森林认証を得た47都道府県产の木材を调达したのは、明治神宫造営の际に全国から集まった献木が杜を形成した歴史も鑑みたもの。部材のほとんどをモジュール化したのは、やがて経年劣化する木材の交换を容易にするためです。

「法隆寺の五重塔の垂木は、もともとサイズが长めに设定されていて、露出した先端が伤んだら削り、内侧から送り出して使われてきました。それを见习った形です。コンクリートと鉄を前提にスクラップ&补尘辫;ビルドを繰り返す时代ではありません」
同様に五重塔にヒントを得たのが、庇が重なる外観のデザイン。一番上と3层目の间に空间を设けたのは、そこに风を通すことでピッチとスタンドの温热环境を整えるため。蓄积した现地の风の年间ビッグデータを彻底分析することで风の大庇の角度と密度を丁寧に割り出し、设备机器に頼らない気流循环を可能にしています。
自然の力を最大限に利用する姿势は风に限りません。大屋根の先端部に设置されているのは、日本の技术が生んだシースルー薄膜太阳电池。ガラスのような太阳电池が电力供给の一助となります。屋根や舗装に降った雨は地下の水槽に集め、フィールドの芝生や、最上阶の回廊式游歩道に植えられた110种もの在来植物の灌水に利用されます。
前の人が立っても翱碍の车椅子席
関係14団体とのワークショップを経て、「史上最もユニバーサル?デザインに配虑したスタジアムになった」と设计者が胸を张るバリアフリー仕様も见逃せません。450席以上ある车椅子席では、前の人が立っても视界を妨げない环境を実现。トイレの全个室にスピーカーを、主要なトイレや休憩室にフラッシュランプを设置し、视覚や聴覚に障害がある人にも紧急事态を知らせる仕组みを整えました。
「环境问题を笔头に、世界が抱える様々な问题に対し、建筑を通じて何らかの答を提示することが、いま求められていると思います」
折り纸をモチーフにした屋根の、组み合わせたポリタンクの壁の中を水が循环する「」、15本の伞をつないでドーム型の家を形成するなど、多种多様な答を示してきた隈先生。50年の歴史を持つ日本庭园の再生プロジェクトで访れたポートランドでは、现地の関係者から思いがけない话がありました。

「庭园の近くに湖があるんですが、そこで泳いで强くなった金メダリストがいると言われたんです。少年时代の僕のヒーローと会えることになりそうで、楽しみにしています」
プールで建筑家を志してから56年后に再び东京で迎えるオリンピック。隈先生は风が吹き抜けるスタンドで大会が観戦できる日を待っています。この杜のスタジアムが、次代の隈少年にとっての第一体育馆になることを愿いながら。