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美術に関わる東大の研究 佐藤康宏の日本美术史 | 広報誌「淡青」38号より

掲载日:2019年4月16日

日本美术史

「好きなのは阪神ですが、研究はサッカーにたとえてみます」
――强引な突破も辞さぬ美术史の世界

日本美术史、特に伊藤若冲や曾我蕭白をはじめとする絵画の研究で知られる佐藤先生。一方で応援歴が50年に迫るという阪神タイガースファンでもありますが、ここではサッカーになぞらえて自身の研究を語ります。先生が得意とするのは、精確なシュートというよりは大胆なドリブル突破でした。

佐藤康宏/文
Yasuhiro Sato

教授
写真
『若冲伝』
(河出书房新社/2019年/2,400円+税)

大学3年生のときに18世紀の京都で活躍した伊藤若冲という画家を知ったことが、日本美术史を専門とするきっかけになりました。最近書いた『若冲伝』(河出書房新社、2019年)という評伝には、私自身のこれまでの若冲研究も盛り込んでいます。

若冲の絵画はきれいだし力がある。そういう感覚的な歓びが出発点でした。しかし、自分はこう感じるというところにとどまって思索するのでなく、向こう侧に、若冲の侧に立って物事を考えたい、というのが美术史です。若冲のことをわかろうとすると、たとえば彼がどんな絵画を発想源として自分の作品を作ったのか、具体的に検讨してみる必要があります。どこまでが既成の素材や描き方でどこからが彼の个性といえるのかを明らかにしないと、彼の表现を个性的だとはいえないわけです。

江戸时代の画家は现代の画家とは违います。自分が描きたいように描いてその作品の买い手がつくのを期待できる、そういう制作のあり方は、例外的でした。たいていの场合は注文を受けて、顾客の好みに合う作品を作るのです。青物问屋の主人を引退して职业画家となった若冲も、基本的にはそういう制作をしていました。一方で、若冲の代表作である着色の细密な花鸟画30幅、「动植綵絵」(宫内庁叁の丸尚蔵馆)は、彼が相国寺に寄进したものでした。一介の商人がどうしてそんなことをしたのか気になりますね。

制作途中で「动植綵絵」を见た人の汉诗を见つけ出し、「綵絵」という言叶の使用例を探し、寄进と制作の経纬を考え、私の导き出した推论は、父亲を供养する意図がこの事业には含まれていたというものです。また、若冲は、「动植綵絵」が永远といっていいほどの远い未来に向けて见られ続ける価値があるというたいへんな自信を持っていたこともわかりました。さらに表现の分析から、このシリーズは若冲自身と当时の京都市民の心理に潜む不安と欲望の造形という一面があるのではないかとも推测しています。絵画は、画家个人の表现であるとともに、それが生きていた社会が织り成すものと见ます。

写真
伊藤若冲
「雪中锦鶏図」
动植綵絵(宫内庁叁の丸尚蔵馆蔵)
积雪を表す白色の絵具(胡粉)は树叶の緑青と重ならず、穴を含む复雑な形态を涂り分ける。それにより、白い酸がこの世界を溶かしているかのような不安な美しさが生まれている。

过去の造形に関しては、踏み込んだ解釈を証明してくれる决定的な証拠は残っていない、という场合がほとんどです。私は、『汤女図』(ちくま学芸文库、2017年)で、画面が半分なくなった絵画についてそれを復原する荒业をしました。『絵は语り始めるだろうか』(羽鸟书店、2018年)に収めたいくつかの论文も同じで、いつでも断片的にしか残っていないジグソーパズルのコマを集めて并べ替えては、実际に起こったのはこういうことだったのではないかと想像をめぐらしているといってもいいかもしれません。

そういう研究を実証的ではないと见なして避ける研究者もいますが、私はとにかく调べられるだけの事柄は彻底的に调べて、そこからかなり大胆な解釈を试みる方です。研究というのはひとりでやっているわけではありません。过去の研究からパスを受け、自分でドリブルやパスによって次の研究へとボールをつなぎ、最终的にゴールを目指すものです。つまり私自身が歴史の中のひとつのコマなのであって、ゴールに向かってボールを进めるためにはときに强引な突破を仕掛ける必要もあるということです。

写真
『絵は语り始めるだろうか』
(羽鸟书店/2018年/12,000円+税)

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