シンポジウム抄録/宇佐美圭司《きずな》から出発して | 広報誌「淡青」38号より

シンポジウム抄録/宇佐美圭司《きずな》から出発して
2018年9月28日、东京大学は安田讲堂でシンポジウムを开催しました。
本郷?中央食堂の壁面に展示されていた絵画作品《きずな》が、改修工事の过程で廃弃処分されたことを深く反省し、《きずな》をはじめとする宇佐美圭司氏の作品、戦后日本美术史、さらに学内外の文化资源について考察しようというものです。
计10万9000字に及んだ话し合いの模様を、誌面の许す限り抜粋して掲载します。
宇佐美圭司《きずな》(1977年)
情报共有の不彻底と文化财への理解不足によって2017年に廃弃されるまでの40年间、中央食堂の壁面から、学生や教职员らの食事と语らいの场を静かに见守ってくれました。
宇佐美圭司 1940年大阪府吹田市生まれ。画家。独学で制作を始め、1963年南画廊の初个展で注目を集める。1965年のワッツ暴动の报道写真から抜き出した4つの人型を用い、グラデーションの帯や人体を内包する円を导入しつつ、记号化された人体からなる世界の构造を考察する絵画を制作した。主な着书に『絵画论描くことの復権』(筑摩书房/1980年)、『デュシャン』(岩波书店/1984年)など。2012年逝去。 |
プログラム
开会の辞 | 五神真(东京大学総长) | |
趣旨説明 | (司会)叁浦篤(総合文化研究科教授) | |
特别讲演 | 高阶秀尔(东京大学名誉教授/大原美术馆馆长) | |
第一部 | 宇佐美圭司《きずな》について | |
讲演 | 铃木泉(人文社会系研究科教授) | |
讲演 | 加治屋健司(総合文化研究科准教授) | |
ディスカッション | 铃木泉+加治屋健司+髙岸辉(人文社会系研究科准教授) | |
第二部 | 宇佐美圭司と戦后日本美术 | |
讲演?ディスカッション | 冈﨑乾二郎(造形作家/武蔵野美术大学客员教授)+林道郎(上智大学国际教养学部教授) | |
第叁部 | 东京大学と文化资源 | |
讲演 | 木下直之(人文社会系研究科教授/静冈県立美术馆馆长) | |
讲演 | 佐藤康宏(人文社会系研究科教授) | |
ディスカッション | 木下直之+佐藤康宏+小林真理(人文社会系研究科教授) | |
全体讨议 |
开会の辞
五神真
东京大学を代表して、宇佐美圭司氏と御遗族、関係者、また贵重な作品に触れる机会を失ってしまった全ての方々にお诧び申し上げます。中央食堂竣工から40年间、その空间に溶け込んでいた作品を、情报共有の不彻底と文化财への认识不足により失ってしまいました。食堂を管理する本学としては、所有者である生协と密にコミュニケーションを取り、作品の価値について共有するべきでした。
私は1978年からずっと本郷キャンパスで过ごしていますが、研究室の近くにある中央食堂は、昼食や夕食、学生と共に语らう场として亲しんできました。リニューアル后の食堂を见て、あの作品がどうなったのか気になっていましたが、廃弃されたと知り、惊くとともに落胆しました。
私にとって、宇佐美氏は着书『デュシャン』を通じて思想家として心に残っています。教养学部生だった顷、私はデュシャン「大ガラス」のレプリカ制作の计画を闻き、难解で复雑な作品を复製するという大胆な试みに心を夺われました。1984年、宇佐美氏が『デュシャン』を出版したと知り、私はすぐに购入しました。《きずな》はこの本の执笔準备をされる中で制作されていましたが、先日この本を読み直し、当时気鋭の画家であった宇佐美氏の思いに再び接して、今回の作品消失について一层の责任を感じています。
このシンポジウムを第一歩として、学内の学术文化资产について、情报共有と适切な保存?管理を彻底し、同様の过ちを繰り返さないよう努めてまいります。
特别讲演
宇佐美圭司氏と《きずな》の思い出
高阶秀尔
1977年顷、文学部の教员だった私に东大生协から连络があり、新しい食堂に壁画を入れるならどんな作品がよいかと相谈されました。鑑赏のための场ではなく、学生が食事のために集まる场に相応しい作品について思いを巡らした私は、3つの条件を定めました。1.优れた作品であること、2.现代性があること、3.知的刺激を含むこと。そこで自然に头に浮かんできたのが、かねてより亲交もあった宇佐美さんでした。
特段意识はしなくてもちらりとそれが见える関係にあること、それが食堂の壁画として重要な点だと思います。食堂の学生と壁の作品が、互いに无视しながら、しかし无意识に认识するという不思议な関係性。それを生み出すのが芸术作品の一つの力です。施设の中や街の中にあって、単なる装饰ではなく、そこにいる人々を不思议な形で结びつける。人间関係を结びつけるものを绊と呼びますが、《きずな》はまさにそのような作品だったと思います。
第一部 讲演
《きずな》について私が知っている二、叁の事柄
铃木 泉
作品は物质ですからいずれ消灭しますが、作品が散文的な仕方で廃弃されたことに白々としたものを感じます。歴史上、文化财の破壊は主に政治的や宗教的な理由で行われてきましたが、今回の破壊はただただ散文的でした。制度や组织の问题、単なる无知の问题です。白々とした知性の劣化は、新しい食堂の白々と明るい空间に通ずるかもしれません。知性の劣化を惊き、耻じ入るばかりです。
《きずな》には、大きさ、転换点、円形と特徴的な要素があります。4&迟颈尘别蝉;4尘という非常に大きな作品であり、身体モデルへの回帰へつながる転换点の作品であり、これ以降の作品では表现される身体が円形に密封されることになります。もしかすると中央食堂の丸みのある壁面に触発されたのかもしれません。形式面から见ても《きずな》は宇佐美作品の中で特异で重要な作品でした。そして、この时期に至るまでの理论的言説も、制度に対する抵抗を美术の侧から提起する先駆的かつ重要なものでした。
安田讲堂事件から50年がたちます。东大ではあまり触れられない歴史ですが、この建物にある记忆は共有すべきです。《きずな》にはベトナム戦争、ワッツ暴动、安田讲堂事件が连锁するように表れています。安田讲堂の下で见る以上、それらの出来事とのつながりを意识せざるを得ない。そのような大切なモニュメントを失ってしまったわけですが、この作品が中央食堂に存在していたことは奇跡的な侥倖でした。
美术史のなかの《きずな》
加治屋健司
宇佐美さんは1963年に初の個展を南画廊で開きました。現代美術を牽引した画廊で無名の新人が個展をできたのは、稀有な才能があったか らこそです。その後、1965年のワッツ暴動の写真をもとに、人型を使う作品の制作を始めます。かがむ、たじろぐ、走る、投げる、と4つの動作を表しますが、いずれも頭はなく、人の形自体への関心が窺えます。レーザーで人型を表す先駆的な作品も手がけました。複数の鏡でレーザー光を反射させ、鑑賞者が間に入ることで光の錯綜が消えて人型の関係が変わります。絵画と違い、レーザー作品では作者の制御が限定的です。完結した構造から作品がいかに抜け出るかを考えたのではないでしょうか。
1971年に行った个展では、分节化された人型の部分が构造(ゴースト)を求めて彷徨うという「ゴースト?プラン」シリーズを発表します。《きずな》もこのシリーズの一つ。この作品では、先述の4动作の人型がいくつも描かれ、各々が形の共通项に応じて色つきの线で结ばれます。共通项は完全に、それ以外は不完全に描かれています。共通性を持つものが完全であり、単独のものは不完全である。そうした関係性から《きずな》の题名がついたと考えられます。シリーズの他作品よりも简略化されており、学生が考えやすいようにという教育的な意図が见て取れます。宇佐美さんは、学生たちが食事をしながら関係性を筑く场に作品があることを想定して制作したのではないでしょうか。
第一部 ディスカッション
宇佐美圭司《きずな》について
铃木 泉+加治屋健司+髙岸 輝
- 髙岸 両先生からは、《きずな》へ収敛する宇佐美さんの哲学者の部分、実作者としての部分が语られました。
- 铃木 普通に鑑赏しただけでは、知的操作が施されていることに気づきませんが、加治屋先生の分析でそれがわかりました。《きずな》は内因性を持ちますが、自立性を持ちつつも闭じてはいない。闭じた内在では外との関わりで生じる制度や构造の変化が见えてきません。作品が自立的であること、开かれることを、彼はどう考えていたのでしょうか。
- 加治屋 宇佐美さんは哲学や社会問題、建築、音楽など、美術以外の事象に関心を持ち、様々な分野の人と交流し、それらを作品に取り入れていました。外部へ開かれた人だったと言えます。一つ铃木先生に聞きたいことがあります。昔から哲学者の関心を惹き付けるアーティストがいますね。宇佐美さんはもっと哲学者の関心を集めてよいアーティストではなかったかと思うのです。いかがでしょう。
- 铃木 宇佐美さんの考えは非常に先駆的で、70年代当时は伝わらなかった可能性があります。当时のパラダイムでは十分には理解できず、絵の构造理解の枠组みも多くの人にはわからなかったでしょう。むしろ今こそその言説が読まれるべきだと痛感します。作家と批评家、哲学者が一人の中に併存する稀有な人でした。
- 髙岸 《きずな》は难解さを比较的噛み砕いた作品だったとのこと。宇佐美さんは中央食堂で何を提示したかったんでしょうか。
- 加治屋 神戸须磨离宫公园などの例を见ると、场のためというより自身の制作の展开の中で作品を作っています。学生や教职员が集まる大食堂という「関係」の场と、「関係」や「连帯」という自分の考えがつながったのではないでしょうか。
- 髙岸 宇佐美さんの着书は难解ですが、古美术に言及する着作では目から鳞が落ちる视角が频出します。たとえば「平治物语絵巻」に関する记述では、御所を袭撃する武士の跃动と、斜め45度に画面を区切る门の不动とが対照的だ、と兴味深い指摘をしている。グリッドや时间の重なりで画面を展开することを古美术から吸い上げようとしていたと思います。
- 铃木 今回の出来事は追悼や谢罪だけで终えてはいけません。いくつも読み甲斐がある重要な作品がここにあったことを伝えるため、复製を残すことを一教员として提案させていただきます。
第二部 ディスカッション
宇佐美圭司と戦后日本美术
冈﨑乾二郎+林道郎
- 林 宇佐美さんと冈﨑さんは以前から深い関係にあり、生前最后のインタビューも冈﨑さんによるものでした。教师と生徒という関係を超えた、作家同士の読み応えある対话でしたね。
- 冈﨑 宇佐美さんとは1977年顷に初めて会いました。彼には作品を描かなくなった时期があり、それは僕のせいだと冗谈で言われたものです。《きずな》はそんな时期に作られた作品です。
- 今回の事件発覚の契机は、和歌山県立近代美术馆が宇佐美作品を调べて东大生协ウェブの蚕&补尘辫;础栏を読んだことでした。作品の行方を讯ねる学生の质问に、破弃したとの回答が记されていた。これは情报空间の出来事です。その情报を信じていま话していますが、物的証拠はない。いわば言説の中で出来事が展开している。観客が知らないうちに组织されるという仕组みが宇佐美作品の特徴ですが、似たものを感じます。彼に仕込まれて话している感覚さえあります。
- 宇佐美圭司はときにデザイン的といわれます。ゆえに言説が积み重ねられず、それが破弃につながった可能性がある。70年代美术の回顾で宇佐美圭司は出てきません。出てくるのは「もの派」。宇佐美さんたちの影响を受けた僕は「ポストもの派」といわれる。それが美术史です。胜手な言説の影响が今回の颠末に表れています。
- 林 もの派は现象学の枠から抜け出ておらず、それを构造主义的に考える宇佐美さんのような言説は70年代にはなかった。美术史や美术批评の责任だと思います。
- 冈﨑 絵画の復権が起きて本物を见る目があるのはどちらかという単纯な议论になり、多様性を持つものは不纯とされて排除されてしまう。それが《きずな》ができた顷の闭塞感で、「闭锁系」という宇佐美さんの言叶とつながります。
- 林 作品が内因的で転回可能な构造を持つことが彼にとっては闭锁系。それをまず追求しなければ、という问题意识があり、その后、闭锁系の闭锁性に気づいたという感じがします。
- 冈﨑 システムは自分が认识できるものしか认识できず、异质なパラダイムは理解できない。それが一般的な闭锁系で、バリエーションはシステムに予告されるという议论となる。どう外すかというと、システムを别のシステムへ対峙させ相同関係やズレを発生させる话になる。僕はそれを正しいと思わないですけどね。
- 林 冈﨑さんの話で、宇佐美圭司の読解の可能性がまだいろいろあることがわかったと思います。
第叁部 讲演
ものがそこにあることとそれが美术であることについて
木下直之
私はキャンパス计画室の一员でした。中央食堂の改修もそこで协议したはずですが、絵画の问题は出てきませんでした。建物の外部は计画室が确认しますが、内部は管辖外です。外から见える形に重心が置かれがちで内部に対する认识が弱いことは、この事件の一因かと思います。
私は1998年に「博士の肖像」展を开催しました。学内の随所にある肖像画や肖像彫刻は、谁かの身代わりであるがゆえに忘れられ、移动します。その现実を知り、立ち位置を调べました。肖像が様々な扱いを受ける理由は、所有権が曖昧であることです。大学侧が管理は行いますが、基本的には有志が置いていったもの、という意味合いが强いのです。
明治9年、明治政府が初の美术学校として开校した工部美术学校は、工学部という形で东大に吸収され、明治初期の作品が伝わりました。授业で使った作品には贵重なものも含まれます。落书きされるなどひどい扱いを受けていましたが、建筑学科の先生を中心に収蔵物の调査を行って保存の方针が立ち、现在はアーカイブとして公开されています。
大学は美术馆と违い、作品鑑赏の场ではありません。様々なものが様々な理由で存在を始め、多くが见えなくなる状况の中、今后どうすべきか。语ることです。シンポジウムの趣旨が「失われたが语り継ごう」であれば、それは《きずな》だけの问题ではありません。见えてはいるがわからないものに関心を向け、何であるかを考えることが重要です。
美术が捨てられるとき
佐藤康宏
美術は歴史の荒波のなかで捨てられてきました。8世紀の聖像否定運動、ナチスによる新しい芸術の追放、最近だとバーミヤンの石像破壊 ……。ただ、《きずな》はこれらと事情が違います。近い例を紹介します。
一つは伊藤若冲による金比羅宮奥書院の障壁画です。劣化が進んだこの絵は、1844年に一部を残して撤去されました。若冲の絵ですら捨てられた。日常の中の絵が傷んで捨てられる例は無数でしょう。次に旧東京都庁の壁画です。岡本太郎の作品は、庁舎移転の際、建物とともに壊されました。タイルを取り出すのが困難という理由でしたが、保存の意志があればできたことです。3つ目はジェラール?ミンコフのVideo Blind Piece。TV受像機14台を地面に秩序づけて埋めた作品は、ゴミだと思った庭師に撤去されました。美術と見なされなかったゆえの廃棄。これは本質的です。中央食堂に関わる多くの人は《きずな》を備品と見ていた。もう一例。高知県立大学は新図書館建設にあたり、建物の狭さから3.8万冊の蔵書を焼却しました。大学名入りの本の売却ができず、譲渡用の一時保管場所もなかったそうですが、他の道はあったはずです。
本や絵画は単なるモノでなく人の精神に影響するものだと教えるのが大学です。書物を焼き、美術を捨てるのは、精神に関わる事柄など無視していいという態度を表明し、そうした毒草の繁茂に力を貸すことに等しい。美术が捨てられるときは大学が壊れるときでもあります。
第叁部 ディスカッション
东京大学と文化资源
木下直之+佐藤康宏+小林真理
- 小林 この事件を知って感じたのは、「所有権の絶対性」です。所有権があれば何をしてもいいという原则が、资本主义社会の确立につれて共有されてきました。この絶対性を制限する働きを持つ「文化的な価値」を軽んじる出来事が大学で起きたのが问题です。《きずな》が大事な作品だったのはよくわかります。では、无名な人の作品なら廃弃してよいのか。大学という场で何を残すのか。専门家は学内にいるのに情报が共有されない现状があるようです。こうした问题を起こさないためにどうすべきでしょうか。
- 木下 组织は问题を起こさない仕组みづくりに进みがちですが、完璧な仕组みは絶対できません。思うのは、まず何が起こったのかという検証が必须だということ。本当に廃弃されたのか、どのように廃弃されたのか。佐藤先生の演题は「美术を捨てるとき」ともいえます。美术と认めずに捨てたのでなく、美术として认めた上で捨てた可能性も、美术だから捨てた可能性もある。考えるべきことはいろいろあります。
- 佐藤 学内文化资源についての教育が必要でしょう。文化财保护の法律は未来の享受者を想定しています。いまあるものを使い果たさず、后世の人も使えるようにしよう、という考えを広める必要があると思います。
- 小林 重要文化财を指定する场合は、所有者に可否を确认します。所有権の絶対性があるためです。指定されて自由に扱えなくなることを嫌がる所有者もいる。その意识を凌驾するような文化的価値の可能性を、文学部の我々が普及させるべきでしょう。制度整备より、文化を大事にする意识を醸成すべきです。东大の文化资源を将来のために活かすにはどうすればよいでしょうか。
- 木下 文化资源を探し出し、评価し、それが何であるかを考える。その试みを繰り返すことでしょう。それをいろいろな人がいろいろな観点から进めるしかない。
- 佐藤 すでになくしてしまったものは多くあります。学内の文化资源を调査して総目録化する必要があると思います。
- 小林 私の研究室では、事件后、东大にどんな面白いものがあるかを调べる试みを始めました。学生たちが自発的にいろいろなものを探し出しています。文化资源に関する相谈窓口も必要ですね。
全体讨议
《きずな》と东京大学
- 叁浦 それぞれの话を闻いた上で感じたことなどを一言ずつお愿いいたします。
- 高阶 宇佐美作品の知的分析が见事だった一方、感性の侧面、色彩の问题についてはあまり触れられませんでした。私はあの色彩は世界の戦后美术の中でも独特だと思うのです。知的构成であると同时に、広い意味での饰り、装饰的な力があったと思う。それは日本的な特性だという気もするのです。
- 髙岸 4尘四方の画面が公共的な场の壁面にかけられた状况から私が连想したのは、密教の両界曼陀罗でした。人の形をした仏菩萨が秩序に従って并んでいるものです。宇佐美作品の色彩が日本美术の伝统とつながるかは难しいところですが、仏画の本来的な色である紺丹緑紫の4色が繧繝彩色のようにパステル调になっていくのは曼陀罗に共通するようにも感じました。
- 冈﨑 宇佐美さんのアトリエでは、刷毛をすべてきれいにしていました。常に洗っていないとだめなくらい、非常に精密な色使いをしていたんですね。色环を构造主义的に考えると、赤と青を结ぶ紫の部分が难しかったでしょう。あと、后期になって色の使い方が変わりましたね。悲壮感が漂う色调や、古典絵画を思わせる色を使うようになりました。
- 林 以前はライトブルーと明るい赤とレモンイエローが主でしたが、《きずな》ではオレンジに近い赤が使われていて、その后の作品につながるようです。ご本人は、形で色を闭じ込めることを始めた、という言い方をしていました。
- 加治屋 色彩が注目される时代ではなかった70年代にあのような表现がなされたことに意味があると思います。「ゴースト?プラン」の他作品では水色の印象が强いですが、《きずな》はもっと落ち着いた印象があります。
- 冈﨑 初期の人型では青が特徴的ですね。「新桥ブルー」という日本のメーカーの色です。それに合う朱色も使っていて、ある意味日本的な色使いだったかもしれません。
- 铃木 今日の话で一番気になったのは、美术作品をどういうレベルで保护するか。优れた美术作品は当然残すわけですが、そうでない作品はどうするのか。まさに美术という制度の问题です。
- 冈﨑 作品を捨てると损することを一人ひとりが知ればいいと思うんです。おまえが捨てるなら俺は保存する、宇佐美圭司美术馆をつくるぞという覚悟が足りなかったと反省しています。现代美术は、言説で一般的な知として语ろうとするせいで、议论を避け、ジャーナリスティックな言叶だけが増えるのが问题です。振り返ると、80年代以降の宇佐美圭司はすでにオーソライズされていて、若い人の议论対象ではなかった。当时すでに宇佐美圭司の议论はされていないんですよね。
- 林 私が大学に入学した顷は、宇佐美さんの本が出るたびに兴奋して読みました。85年に日本を离れ、15年して戻ると事情が変わっていた。若い顷の记忆では重要な人だったのに语られなくなっていて、言説の変化を実感しました。
- 叁浦 驹场では、価値のある美术作品かどうか迷ったら美术博物馆に相谈するという惯习が以前からあります。それが本郷になかったのが残念です。中央食堂に作品名などを记すプレートがなかったのも问题でした。
- 木下 実は后ろの小杉壁画も何も表示がないですね。学内にあるものが何であるか、チェックする仕组みがないのは问题です。でも、彻底的に台帐をつくって序列をつける话になりかねず、作品の优劣を谁が决めるのかが问题になる。个别の议论を积み重ねるしかないでしょう。
- 冈﨑 「なんでも鑑定団」という罢痴番组に出せばよかったんです。何もせずにただ捨てたというのが信じられません。
- 小林 専门家に闻けばいいのにそうしなかったのは、东日本大震灾を机に、科学などの専门家に対する信頼が揺らいだせいもあるのかもしれません。今日の话は相当难しかったので思うのですが、美术と社会をつなぐ人が必要でしょう。
- 佐藤 改めて思うのは《きずな》は本当に放置されていたということです。保存措置が讲じられず、逆に伤つけたりもされなかった。両方の意味でかわいそうな状态でした。作品について一つ妄想を述べますと、《きずな》を含む人型のシリーズは、四次元空间に住む男が叁次元空间に现れたらどう见えるかを描いている、と见ることができないでしょうか。私たちが二次元世界では厚みを失い、平面として写るように、四次元の人は、例えばこんなふうに见えるんじゃないか。胜手な解釈ですが、そう见ることもできる作品でした。
- 叁浦 今日は美术馆の馆长が二人いますが、美术馆における现代美术の保存はいかがでしょうか。
- 高阶 现代の作品には复数の素材が使われていて、保存は大変难しい问题です。一つの素材は长持ちしても、もう一つは长持ちしないということです。そして、作家によっては时间とともに状态が変わって构わないという人がいる。そういう作品の状态を保つかどうかという问题もあります。日本美术では、银が焼けて黒ずむことを作家が予想して作る场合もありました。作品に応じて考えるしかありません。
- 木下 静冈県立美术馆の収蔵库はすでにいっぱいです。日本の多くの美术馆が直面しているのはスペースの问题ですね。美术馆とは壁を持つ建物ですが、今は别に壁を必要としない表现はいくらでもあります。美术馆は美术の拠点の一つにすぎず、美术は美术馆だけではカバーしきれない、という感じがします。
- 冈﨑 今のテクノロジーを思えば、美术作品を美术馆だけで持たなくていい。グーグルアースに美术情报がアーカイブされて公开されればいい。问题は「情报の共有」です。この时代に《きずな》ではなぜそれができなかったのか、疑问です。
- 叁浦 贵重な作品を语り続けて记忆にとどめること。そして、学内の文化资产をどのようにチェックし、残すかを厳しく検讨していくこと。この2つを本日の共有认识として、シンポジウムを终了いたします。
※东京大学は、本シンポジウムのディスカッションを受け、文化资产に対する学内教职员の意识启発を、研修等の机会を活用して进めていきます。また、学内に保有する文化资产について适切に把握し、それらの取扱いについて确认?相谈できる体制を整备する予定です。