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饲いネコの始まり | 広報誌「淡青」37号より

掲载日:2018年12月11日

饲いネコの始まり
遗跡が伝える新石器时代の人猫交流

2004年、キプロスで「最古の饲いネコの墓」が発见されました。発见者と共同研究をしていた縁でその墓を本郷の博物馆で绍介した先生に、饲いネコの起源について、考古学の见地から解説していただきました。最新の调査では中国でも兴味深い発见があったようです。

猫と考古学

西秋良宏/文
Yoshihiro Nishiaki

教授

もう10年ほども前のことになるが、総合研究博物馆で西アジア考古学の展覧会を担当した。テーマにしたのは、1万年ほど前の新石器時代、農耕牧畜生活が始まった経緯と顛末である。農耕牧畜の開始は現代文明の大きな基礎を作ったといっていい。この変革がなかったら今の私たちの食生活はないし、都市が享受する経済や社会の仕組みができたかどうかも疑わしい。その研究は私の専門でもあるから、成果の一部を公開する展示であった。

当时の人々は、まず穀物やマメ类の栽培化に成功し、间もなく、ヒツジやヤギなどの家畜化も达成した。本特集の主役、ネコも当时、饲い惯らされた动物の一员だったらしい。ネコの骨は考古学遗跡でなかなか见つからないのだが、2004年、キプロスでフランスの研究者たちが兴味深い発见をした。30歳くらいの男性とネコが一绪に埋葬されたお墓を発掘したのである。约9500年前のものである。それまで、ネコが饲い惯らされた最古の証拠は4000年前顷の古代エジプトの図像表现とされていたから、段违いに古い。元来、ネコはキプロス岛にはいなかった。したがって、海を渡ってつれていかれたことは确実である。男性の足下に埋められていたこともあって、饲いネコではなかったかと考えられるというわけである。

现在、各地で饲われているネコの遗伝的な祖先は、西アジア起源のリビアヤマネコとされている。お墓の発见はヒトとネコのつきあいのルーツが西アジアにあることを考古学的にも里付けたとしてたいへんもてはやされたものである。発见者が私たちの共同研究者であった縁で、「最古の饲いネコ」の墓の树脂型どりを展示に出品してもらった(写真1)。

(写真1)キプロス、シロロカンボス遗跡で见つかったネコの墓の型どり。

さて、これで一段落かと思っていたのだが、最近になって新たな発表があった。中国の研究者たちが中国内陆部でも独自の饲い驯らしがあったというのである。约5500年前の遗跡の话であるから时代は新しいが、その発见によれば、西アジアとは异なる种(ベンガルヤマネコ)が初期农村に住みついていたという。遗伝学では现代の饲いネコは一种とされている。だとすれば、いろんな解釈が可能になる。このヤマネコはムラに住みついてはいたが饲いネコにはならなかったのかも知れないし、饲いネコになっていたとしても、その后、西アジアから拡がったネコに置き换わったのかも知れない。あるいは遗伝学の见解を见直す必要があるのだろうか。饲いネコの起源は西アジアにあるという点では异论も少ないが、现在の状态は歴史の产物でしかない。そこにいたるいきさつの研究はまだまだ続きそうである。

ただ、いずれにしても饲いネコが现れたのは新石器时代であったとみる意见にかわりはない。食料生产にもとづく新しい社会は人々と动物とのかかわりを大きく変えた、ネコとのつきあいもその一部だったという见方はなお有力であろう。

(写真2)シリア、エルコウム遗跡で见つかった新石器时代のネズミ骨偶(レプリカ)。

ところで、ネコといえばネズミである。ネズミの骨は人々が1万5000年前ごろ定住を本格化させて以降、ひんぱんに考古学遗跡から见つかるようになる。栽培が始まり穀物を屋内に蓄えるようになると、ネズミは人々にとってやっかいな存在になったに违いない。実际、この时代になるとネズミの偶像も作られるようになる。ネコは当时からネズミ対策に一役かっていたのだろうとの想像もこめて、先述の展覧会ではネコのお墓に添えてネズミの骨偶を展示した(写真2)。

 
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2007年に开催した展覧会の本
『遗丘と女神 -メソポタミア原始农村の黎明』
(西秋良宏编/东京大学出版会/2008年刊)
※内容はこちらで読めます

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