口语自由诗の地平を拓いた诗人萩原朔太郎の猫は...... | 広報誌「淡青」37号より
萩原朔太郎の猫は......
近代詩に新地平を拓いた詩人の作品には、数々のいきものが登場します。 中でも鮮烈なのは、猫。一般的な擬音などでは表現し切れない唯一無二の猫世界に、日本近代詩の研究者が誘います。墓場、湿地、異界、街路、夜空……。猫たちはどこにいるのでしょう。
猫と日本文学
エリス俊子/文 Ellis Toshiko 教授 |
どこにいるのでしょう。1917年刊行の第一诗集『月に吠える』で犬の远吠えを响かせていた萩原朔太郎(1886-1942)は、1923年刊行の第二诗集を『青猫』と名付けます。そして次のようにうたいます。
ああこのおほきな都会の夜にねむれるものは ただ一匹の青い猫のかげだ かなしい人类の歴史を语る猫のかげだ われの求めてやまざる幸福の青い影だ。 (「青猫」部分)
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朔太郎いわく、「青猫」とは、英语の产濒耻别の「希望なき」「忧鬱なる」「疲労せる」の意味を含み、「物忧げなる猫」のことだと、そして诗集の题名の『青猫』は、「都会の空に映る电线の青白いスパークを、大きな青猫のイメーヂに见てゐる」のだということですが、都会の夜空には、一体どんな青白いスパークが煌めいていたのでしょう。
『青猫』とその直後の時代、朔太郎の詩にはいくつもの猫が登場します。いずれも、この世ならぬ姿をした猫たちばかりです。緑色の笛の音にのって蜃気楼のようにやってくる幻像は「首のない猫のやう」で「墓場の草影にふらふら」しています(「緑色の笛」)。春の夜に黒髪を床に広げて麝香の匂いを放つ女の屍体は「ひとつのさびしい青猫」となり(「石竹と青猫」)、「蛙どものむらがってゐる/さびしい沼沢地方」では「浦」と呼ばれる心霊の女が「猫の子のやうにふるゑて」います(「沼沢地方」)。そして、しっとりと水気にふくらんだ墓場の景色のなかで「瓦斯体の衣裳」を引きずってさまよう女との逢瀬は、「泥猫の死骸を埋めておやりよ」の一行で終わります (「猫の死骸」)。
猫はどこまでも艶かしく、せつなく、蛊惑的で、墓场の梦の女となって私を诱い、私は、このように形をもたない猫を求めて、薄暗がりの异界の空间を彷徨するのです。「浦」という女の名前はエドガー?アラン?ポーの诗にある鲍濒补濒耻尘别という死んだ恋人を想起させ、一方で、この汉字が表す陆地が湾曲してできた入江のイメージは子宫への梦想を导いて、胎内回帰愿望にもつながります。朔太郎の猫の背后には、ポーのほかにも、毛并みに「エレキ」をはらんで金粉の神秘の瞳をもつボードレールの猫たちや、鋭い爪を匿して女と重なり戯れるヴェルレーヌの猫など、世纪末以降の数々の猫たちが影絵のように飞び交っています。そんな中で朔太郎は、大正から昭和期の日本语の诗に、得も言われぬ魔力をもつ猫たちを登场させました。
『青猫』に先立つ『月に吠える』には、次の一篇があります。
『 おわあ、こんばんは』 『 おわあ、こんばんは』 『 おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』 『 おわああ、ここの家の主人は病気です』 (「猫」部分)
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と叫んでいるのは「まつくろけ」の二匹の猫です。そして、さらに『青猫』刊行より十年余り、1937年には「散文诗风な小説」として「猫町」を発表します。
瞬间。万象が急に静止し、底の知れない沉黙が横たはつた。何事かわからなかつた。だが次の瞬间には、何人にも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい异変事が现象した。见れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いて居るのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを见ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の颜が、额縁の中の絵のやうにして、大きく浮き出して现れて居た。
(「猫町」部分)
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この猫たちが何者か、兴味のある人は、「猫町」を読んでみてください。
あるいは、そっと夜空を眺めてみてください。都会の夜をそっくりと腕に抱く、青白いスパークにかたどられた大きな猫の影が感じられるかもしれません。