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スマホで自在に楽しむ贵重史料のアーカイブ 「琉球国絵図」と「倭寇図巻」を细部まで閲覧可能に

掲载日:2021年12月22日

「倭寇図巻」に描かれた、明軍が倭寇と戦っている場面 画像:史料编纂所-CC-BY 4.0.

東京大学史料编纂所には、古代から明治維新期にいたる前近代日本史関係の膨大な史料が所蔵されています。しかし、国宝を含むこれらの貴重な史料には縦横それぞれ数メートルに及ぶものが含まれており、展示?公開したり研究したりすることは容易ではありませんでした。

(左から)黒嶋敏准教授、須田牧子准教授、中村覚助教 写真:東京大学-CC BY 4.0.

编纂所は今月初めに、所蔵する「琉球国絵図」と「倭寇図巻」のデジタルアーカイブを公开しました。これにより、このような大型絵図であっても、同研究所のウェブサイトで简単に、そして惊くほど详细に閲覧することが可能になりました。また、史料に含まれる文字や画像の精緻な検索も可能となり、研究者のみならず、歴史に関心のあるすべての人にとって便利なアーカイブとなっています。

プロジェクトの统括者である黒嶋敏准教授は、コロナ祸で史料のデジタル公开へのニーズが高まったと话します。

「史料编纂所では、研究者が史料の原本が保存されている場所に赴き、正確な複製を取ることを長らく行ってきました。近年はデジタル画像による公開が主流になっています。しかしながら、コロナ禍で史料へのアクセスが制限される中、デジタル化されていない史料は研究の対象になりにくいため、デジタル化が非常に重要な課題でした」

千叶県佐仓市の国立歴史民俗博物馆の展示室で、大型絵図を広げる编纂所の研究者ら 写真提供:黒嶋敏准教授

ただ、デジタル化にはさまざまな课题があったと振り返ります。国宝に指定されている「正保琉球国絵図」は、17世纪半ばに江戸幕府が命じて作らせた絵図の一部を模写したもので、地域ごとに3舗からなり、それぞれ幅が约3メートル、长さが6~7メートルにわたります。デジタルスキャンを実施する前に、小さく折りたたまれた纸の絵図を広げて、无数の皱をやさしく伸ばす作业が必要で、これには编纂所の保存修復の専门家を动员して1ヶ月半もの时间がかかりました。そのあと、絵図を特注のダンボール箱に入れ、编纂所の阶段を使って慎重に下ろし、トラックで千叶県佐仓市の国立歴史民俗博物馆に移送して、大きな部屋に広げてスキャンしました。

「倭寇図巻」は、绢製で皱がなかったため、编纂所の写真の専门家に依頼して、全长5.2メートルの作品の全体を高解像度で分割撮影し、その画像を业者委託してデジタルでつなぎ合わせた、と倭寇研究を専门とする须田牧子准教授は话します。

しかし、本当に大変だったのは、研究成果を魅力的に、かつわかりやすく绍介するためのデータベースを作ることでした。つなぎ合わせたデジタル画像はあまりにも高画质でサイズが大きすぎたため、自分の笔颁では开けなかったと须田先生は振り返ります。そこで登场したのが、情报学が専门の中村覚助教でした。

中村先生は2020年、編纂所史料のデジタル化を加速させるため着任。画像の管理?共有の国際規格であるIIIF(International Image Interoperability Framework)に基づいて、すべてのファイルをフォーマットしました。

「滨滨滨贵を採用することで、非常に大きなサイズの画像を简単に表示できるようになりました。一つの大きな画像を、グーグルマップのように部分的に拡大して细かく见ることができます」と中村先生は话します。

また、「図巻の各所に注釈を入れたい」という须田先生の要望にも応えました。17世纪前半までに中国で制作されたとされる「倭寇図巻」は、日本の一般的な絵巻と违って词书と呼ばれる説明文が一切ついていません。図巻では倭寇が中国の村を略夺し、明军との戦いに败れる様子がいくつかの场面にわたって描かれていますが、アーカイブでは図巻の理解に役立つさまざまな情报を付加して提供しています。

「倭寇図巻」に描かれた船の上部の旗(左)と、赤外線撮影した同部分の詳細画像。赤外線画像には「弘治四年」と書かれているのがおぼろげに写っており、1558年を指すことがわかる。この画像から、16世紀半ばの倭寇を描いた作品であることが確認された 画像:史料编纂所-CC BY 4.0.

実は、「倭寇図巻」にはまだ知られていない点が多く、研究の余地が多く残されています。须田先生自身も、2010年に赤外线撮影による调査で大きな発见をしました。约100年前に编纂所が购入して収蔵した「倭寇図巻」は、14世纪から16世纪にかけて朝鲜半岛や中国の沿岸部で活动した海贼?密贸易集団である倭寇を题材にしているとされてきましたが、物语はどの年の戦いを描いているのか、また倭寇が谁と戦っているのかがはっきりわかっていませんでした。ところが编纂所の写真の専门家に依頼して赤外线撮影を行なってみたところ、倭寇の船上の旗に日本の弘治四年(1558年)という年号が、现在絵具で涂られている部分の下に书かれていることがわかったのです。また、别の旗には「天兵」と书かれているのも発见され、相手が明朝の官军であることも确认できました。

学术的に重要な部分を明らかにしたこれらの赤外线画像は、アーカイブに埋め込まれており、利用者は図巻に描かれた旗と赤外线撮影された旗の画像を容易に比较することができます。

「情报学の成果から歴史学の方に研究课题が投げかけられています」と话す须田先生。例えば、デジタル化によって、図巻には350人もの人物が描かれていることがわかりました。「このプロジェクトを始めるまでは、図巻に描かれている人物の数を数えようなどとは考えもしませんでした」

琉球国絵図を研究している黒嶋先生は、このアーカイブを研究者だけでなく一般の人にも活用してもらいたいと语ります。

「スマートフォンやタブレットで简単に见ることができるので、冲縄の子どもたちは、现代の地図から自分の故郷の昔の风景を知ることができます。また、冲縄を访れた観光客は、観光中にアーカイブを呼び出し、380年前の海岸线と比较しながら见ることができます。多くの方にこのアーカイブを利用していただき、どのように改善していけるか、ぜひ教えていただきたいと考えています」

デジタルアーカイブは以下の鲍搁尝からご覧いただけます:
「琉球国絵図」:
「倭寇図巻」:

高さ3.5メートル、幅7.3メートルの琉球王国の絵図。史料编纂所のウェブサイト上で公開されたデジタルアーカイブで詳しく見ることができる。絵図と現代の沖縄の地図を重ね合わせて比較することもできる 画像:史料编纂所-CC-BY 4.0.

取材?文/小竹朝子

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