データであぶり出す移民と日本社会の関係 一般の人の心に潜む差别や偏见を统计分析で明らかに
日本に住む外国人が増えると日本はどう変わるのでしょうか?
政府はこれまで、大规模な移民受け入れ、特に単纯労働者の受け入れには否定的な姿势を取ってきましたが、少子高齢化、労働力不足が深刻化する中、すでにさまざまな制度の下で多くの外国人が来日し、暮らしています。その数は、厳密な统计は存在しないものの、日本の人口の1.2パーセントから2パーセント、150万から250万人ほどと推计されています。
このような「移民」の増加に関するこれまでの一般市民対象の意识调査では、文化が多様化する、社会が活性化するなど、肯定的に考える人がかなりいる一方、犯罪発生率が高くなる、社会保障负担が増えるといったことから慎重な意见を持つ人も多いことが明らかになっています。インターネット上では、移民流入増加への不安を背景に、一部、外国籍の人たちへの差别的な主张を繰り返したり拡散したりする排外主义的な言説も広がっています。
永吉希久子社会科学研究所准教授は、移民受け入れをめぐる日本社会の意识にあたる対外国人感情を研究しています。移民问题に関してはフィールドワークやインタビュー调査をする研究者が圧倒的に多い中、永吉先生は、统计データを集め、他国との比较も含めて分析することで、一般の人たちが持つ态度とその源泉を検証するアプローチを一贯して続けています。
「できるだけ问题に触れない」意识
大阪府で生まれ育った永吉先生は、小さいころから、被差别部落などについて学校教育で教わることと、身近な人たちとの意识のギャップに兴味を持ち、それが现在の研究の源泉になっていると话します。
「同和地区が近くにあったり、职业や経済状况、民族的なバックグラウンドなどの面でも、多様な人が暮らす地域でした。そうしたこともあって、学校の授业の中では差别の问题について积极的に取り上げられました。学校や地域で积极的に差别的なことを言う人がいるわけではなかったのですが、できるだけ関わらない方がいい、というようなことは闻くことがありました。授业で言われる『差别はよくない』『みんな平等に』というメッセージを真に受けていたので、なぜ现実とのギャップが生まれるのか、兴味を持つようになりました」
大阪大学人間科学部で社会学を専攻する中で、「哲学や理論社会学のように言葉の力だけで人を説得する」より、データで問題を明らかにするアプローチの方が自分に向いていると感じた、と話す永吉先生。同大の大学院に進学し、統計を使った社会学の研究を始めます。 折しも、先生が大学生だった2000年代前半、インターネット上の匿名掲示板「2ちゃんねる」を中心に、排外的な言説が広がりを見せ、研究者の関心が集まりつつありました。
「こうした排外主义の広がりの研究は、差别する人を『间违った考えを持つ、特殊な人』としてとらえたうえで、そうした考えを生じさせるパーソナリティや社会的な要因が検讨されていました。けれども、私自身が身の回りで见てきた『そうした人と関わるとややこしい』という态度は、差别をする相手への否定的感情や考え以上に、『差别されている人と関わると自分もトラブルに巻き込まれる』というような、社会が被差别者をどのように扱っているのかについての认识がもとになっているように思えました。つまり、个人に何か问题があって差别をしているのではなく、そういうことを生む土壌が社会全体にあると考えないといけないんじゃないか、と思っていました」
当时、国内には対外国人感情の统计分析をする専门家が少なかったため、博士课程中にスウェーデンのウメオ大学に留学。ミカエル?イェルム教授に従事し、他国との比较分析や、社会政策の人々の态度への影响についての研究方法を学びました。
2011年に東北大学で教員となってからは、徳島大学(当時、現早稲田大学)の樋口直人教授らと共同研究を行い、インターネット上に排外主義的、もしくは歴史修正主義的な意見を書き込んだり拡散したりする「ネット右翼」について調べるため、8万人の世論調査を実施しました。その結果を分析した共著『ネット右翼とは何か』(2019年)では、非ネット右翼層と比較して、ネット右翼層に世帯収入、婚姻状態、相談相手の有無で違いは見られず、それまでの「ネット右翼イコール社会的に孤立した弱者」というイメージが当てはまらないことを明らかにし、注目を浴びました。 ただ、永吉先生は、ネット右翼のような一部の人たちよりも、マジョリティーの一般の人たちが持っている外国人への感情の方により大きな関心があると話します。
移民の権利に関する态度
世界各国で実施されている「国際社会調査プログラム(International Social Survey Program)」や「世界価値観調査」によると、日本は他の国と比べて移民の受け入れに否定的ではないものの、「不法移民はもっと厳しく取り締まるべきか」と聞くと多くの人が「はい」と答えるといいます。また、「仕事が少ないときには移民より自国民に仕事を優先すべきだ」との意見に対して、日本では過半数が「賛成」と答え、「反対」と答える人はごく少数ですが、移民の受け入れが多い他の国では、「自国民を優先すべき」とする割合は日本よりもむしろ低くなっているそうです。これらのデータから示唆されるのは、「移民に対して極端に排外的ではないが、あくまで『お客さん」として捉える」という日本の傾向だと話します。
「日本では、日本に暮らす外国人をあくまでも『お客さん」としてみているので、その范囲内では受け入れてもいいけれど、それを超えた権利は与えなくてもいいという感覚が考え方の根底にあるのではないでしょうか。それを极端に突き詰めていけば、すべての外国籍者を生活保护から排除しろ、とか、日本から出て行け、といったところまで行くわけですけど、その発想の根本は、そういうことを言わない人も共有している部分があるのではないでしょうか」
移民の人たちは、すでに実态として存在し、今后も増えることが予想されます。他方で、日本社会は移民の受け入れに対し、様々な悬念を示しています。2020年2月に出版した『移民と日本社会』では、移民受け入れの社会や経済への影响に関する市民の意识と、実态との乖离をデータで示しながら、今后の议论のための材料を提示しました。
例えば、早稲田大学の田辺俊介教授を代表とし、永吉先生も参画する研究プロジェクト「国际化と市民の政治参加に関する世论调査」2017年版によると、移民増加により「犯罪発生率が高くなる」「治安?秩序が乱れる」と答えた回答者は全体(3880人)の6割以上に上ります。『移民と日本社会』では、これらの悬念を、「移民自体が犯罪行為を行う」悬念と、「移民増加による地域状况の変化が、受け入れ社会住民も含めた犯罪率を上げる」との悬念の二つに分け、掘り下げていきます。
移民を受け入れると治安は悪化するのか
法务省の犯罪统计などを基に、国内に滞在する外国籍者に不法残留者を足した人数の犯罪率を计算すると0.4パーセントで、総人口における一般刑法検挙人员数割合の0.2パーセントを上回ります(ともに2017年)。この数値を见ると、外国籍者の犯罪が日本国籍者よりも多いと思うかもしれません。ただし、この数値から、そのように结论付けることはできません。例えば、移民と自国民では人口学的な构成が异なります。移民には一般的に犯罪率が高いとされる男性、若年?壮年层が日本国籍者よりも多くなっています。こうした分布の违いも犯罪率の违いに反映されるため、この数値から移民だから犯罪を起こしやすくなるとは言えません。
また、犯罪を犯したほうが「割に合う」と思うような劣悪な社会経済的环境に置かれた场合に犯罪に流れやすいことを考虑すると、移民をより困难な経済的环境に置く社会状况があることが、犯罪率の差を生んでいるのかもしれない、と论じます。
日本国内で犯罪を犯す人は日本人でも外国籍の人でも全体のごく一部です。しかし、犯罪は多くの人の関心を集めるので、メディアに取り上げられやすくなります。さらに、メディアで取り上げられる际には、日本人が犯罪を犯した场合には「日本人犯罪」とは言いませんが、外国籍者の络んだ场合には国籍名や「外国人」が见出しに使われるなど、犯罪行為者としての外国人イメージが强调され、ステレオタイプが强化される倾向があると话します。
二番目の、地域状况の変化が犯罪率上昇につながるとの悬念については、日本ではデータがほとんど存在しないものの、アメリカの研究では、移民が住民间の结びつきを弱めるという「社会解体论」は否定され、犯罪率に影响を与えない、むしろ减少させるとの结果が出たと言います。その理由として、移民の流入が、衰退に向かっていた地域を活性化させる「移民の活性化効果」説が浮上しています。日本で同様のことが起こるのかは、十分に研究が进んでおらず、明らかではありません。ただしアメリカの例は少なくとも、移民の増加が必ず犯罪の増加につながるわけではないということを示しています。
着书で外国人と犯罪の问题を取り上げることに関しては迷いもあったと话す永吉先生。デリケートなトピックであり、数値が与えるインパクトの大きさを考えれば、取り上げることでかえってステレオタイプを助长するのではとも考えました。
「ただ、多くの人たちが悬念を示しているときに、そうした悬念をもつこと自体を偏见の现れとして否定することで、悬念が払拭されるかというとそうではないと思います。データから分かることを冷静に书く必要があると思いました」
永吉先生が今后取り组みたいことの一つは、ネット上での排外主义の広がり方の分析です。外国人をめぐる言説がどう広がるのかを追うことで、移民と受け入れ社会侧の分断の解消に贡献したいと话します。
「厂狈厂上での言説の拡散行动がその言説への共感を意味すると考えると、それを分析することで、どのような形をとったときに排外主义が受容されるのかを検証できる」と话す永吉先生。一般的には感情を刺激するようなものが拡散されやすいと言われていますが、むしろそこでの主张が正当化しやすいような、たとえばニュース记事にもとづいた、客観的に见えるもののほうが広がりやすい可能性もあると指摘します。
「発信主の影响力が大きい场合、『犯罪』『生活保护』など社会全体へのネガティブな影响を想起させるキーワードが付く场合、特定の国籍に関する场合、などの条件を见ていくことによって、どのような条件のときに排外主义的な主张が同意できる、正当なものとして受け入れやすいものになるのか、考えたいと思っています」
取材?文/小竹朝子