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指导者プーチンとロシアの歴史

掲载日:2022年12月21日

今年2月に始まったロシアによるウクライナへの军事侵攻は、今なお先行きが见えません。ロシアのプーチン政権、そして长引くロシア?ウクライナ戦争の背后にある歴史観とはどのようなものなのでしょうか。近现代ロシア史を専门とする、人文社会系研究科の池田嘉郎准教授に、统治构造や体制の违いを越えたロシアの政治文化について闻きました。

©Alizada Studios - stock.adobe.com

―― ロシア史研究者として、今回の戦争をどうご覧になっていますか?

このたびの戦争は、プーチン大统领が自分の歴史観を前面に押し出して始めたもので、その点で歴史と非常に関わりの深い戦争であるといえます。プーチンの考えは、ウクライナは広い意味でのロシア世界の一部であって、それを取り戻すだけだというものですが、帝政ロシア?ソ连の歴史や歴代の指导者たちの考えをふり返ると、彼の発言は単なる方便ではなく、この戦争が、歴史の中で积み重なってきたいろいろな动机を背负ったものであることがわかります。

今回の戦争には、ロシアでもおよそ20%の人々が反対していると言われていますが、个々の指导者から切り离された客体としての国家が不在ともいえるロシアにおいて、自律的な市民社会が戦争を阻止するまでには至りませんでした。法治より人治が优先されてきたロシアの政治文化においては、强い指导者のもとで过去の歴史が利用され、现在の政治と直结させられる倾向があるのです。

どの时代が専门であれ歴史研究者は、今回の戦争を、ロシアの歴史の断面が丸ごとむき出しになった出来事として理解し、向き合う必要があると思っています。

変容するロシアとウクライナの関係

―― ロシアとウクライナはどのような関係にあったのでしょうか?

帝政时代からソ连时代、そしてソ连解体后も、ロシアには100以上の民族が暮らしていますが、その中でもウクライナはロシア人にとって最も関係が深い存在です。

Map (Ukraina and surrounding nations)
ウクライナと近隣诸国

歴史をさかのぼると、9世纪にルーシと呼ばれる古代ロシア国家ができた当时、现在のウクライナの首都であるキエフ(キーウ)はその中心地の一つでしたが、その顷はロシア人もウクライナ人もまだ分化していませんでした。その后モンゴル帝国の支配をへて、ロシア地域とウクライナ地域に分かれるようになり、さらにウクライナ地域はポーランドの支配下に入ります。そして17~18世纪にロシア国家が大きくなってくると、ポーランドを圧迫してウクライナ地域をロシアに併合していきました。

「ウクライナ」という地名は、ルーシから13世纪に分离した后、16世纪前后にできます。この语は一つは「くに」や故郷、もう一つは地方、辺境という二つの意味をもっています。ウクライナ人はもちろん「くに」の意味でとらえていますが、ロシア人は「辺境」と见なし、自国の辺境の一地方だととらえてきました。ロシア帝国の时代には、ウクライナという地名やウクライナ人というまとまりは公式の単位としては认められておらず、ウクライナ语も、ロシア语の一方言として扱われていました。

―― 19世纪以降、ロシアとウクライナの関係はどのように変化したのでしょうか?

19世纪后半から20世纪初め、国民国家の时代になると、ロシアのような多民族帝国はうまくいかなくなります。イギリス、フランス、ドイツ、それに日本などでは、身分制の意义が相対的に弱まり、国家に属する意识をもつ国民であれば能力次第で谁でも活跃できる时代になり、军事的にも工业的にも発展していきます。これに対し巨大なロシア帝国では、强固な身分制のもとで身分や民族ごとに役割や立场が决まっており、それらバラバラな诸身分や民族を皇帝が统合していました。近代国民概念を取り入れることができなかったロシアは、20世纪に入ると日露戦争で败れます。

その后、ロシア革命を経て建设されたソ连は连邦制をとり、ウクライナ、ベラルーシなどそれぞれの民族が国をつくることを认めた上で、上部机関としてソビエト连邦を设けて统合しました。ソ连时代の70年の间に、共产党の支配という前提のもとではありますが、ソ连市民という意识と両立する形で、たとえばウクライナ人といった民族意识が育つようになりました。身分を越えた一体的なロシア人意识が育つのもソ连时代です。ただ、ロシア人は「诸民族の长兄」と位置づけられたので、ソ连全体を主导しているという自意识も强かったのです。

そのソ连が解体してお互いが独立した国家となると、関係が変化していきます。ロシアとウクライナの指导者たちは、当初は共产党支配や社会主义体制から脱して新生したいというモチベーションを共有しており、両国の関係は悪くはありませんでした。ところが、21世纪に入り、プーチンの権威主义体制が强まると、ウクライナの指导者がロシアから距离を取って贰鲍に接近するようになり、関係が悪化します。

强国ロシアの再建と歴史の利用

―― プーチン政権は自らの正当性を主张するためになぜ歴史を利用しているのでしょうか。それはどのようなものでしょうか?

个人を离れた制度による统治や法の支配が根づいていないロシアでは、皇帝、书记长、大统领といった最高指导者に権力が集まる倾向が一贯してあります。このため、支配を正当化したり国民に诉えかける手段の一つとして、常に歴史が过去から引っぱり出されて利用されてきました。今回の戦争では、先に述べた「ウクライナは広い意味でのロシア世界の一部だ」という歴史観と、「第二次世界大戦でロシアはナチスと戦って胜利した。ウクライナはそのナチスに支配されている」という认识が持ち出されています。

そもそもロシアの君主や指导者たちには、ともすれば西方からの牵引力が働いてウクライナを取られるのではないかという意识が常にあり、ウクライナが自律性を高めることを警戒してきました。プーチンは、歴代の指导者たちのそのような意识を踏まえて、「ヨーロッパやアメリカは常にロシアが大国になることを恐れ、手先を送り込んで革命を起こそうとしてきた。しかしロシアはそのたびに立ち直り、悲剧を乗り越えてきた」という见方で、この戦争とその背景の构図を説明しようとしています。

その际に持ち出される戦胜史観が强调されるようになるのは、ソ连时代の1960年代后半からです。社会主义路线が経済の低迷で人々をひきつけられなくなると、「ロシアは大きな犠牲を払ってナチスを倒し、世界を救った」という説明が、政府と国民が共有できる数少ないナラティブとなります。1952年生まれのプーチンは、まさにこのような戦胜史観に触れて育った世代に当たります。

ソ连解体后の1990年代は、いったんソ连时代の歴史は全否定されましたし、财政も逼迫していたので、当时のエリツィン政権は自国の歴史をどう语るかということには力を入れていませんでした。しかし2000年にプーチンが大统领になると、それまでとは対照的に、ロシア国家を立て直すとともにそれを支える歴史観も立て直そうとする姿势を强く打ち出し、そのような歴史観を国民に対して発信するようになります。ロシア帝国またソ连全体を主导してきたのはロシア人だ、という见方もあらためて强调されるようになります。

―― 指导者の歴史観はどのような方法で国民に向けて発信されてきたのでしょうか?

指导者の歴史観を広く国民に浸透させるための手段は、财源と人脉、教育のネットワークに支えられています。

プーチン政権2期目(2004~2008年)に石油価格の上昇で中央政府に财源ができると、「我々の伟大な国家ロシア」という歴史観を强く打ち出し、それを広めるための教育ネットワークが幅広く构筑されました。ソ连时代からあった学外启蒙団体「知识(ズナーニエ)」を2010年代后半に再编し、学校にインストラクターを送り込んだり、歴史関係のコンクールを开催したりするなどしています。教科书も国定教科书に近いものになり、全国の学童が访れる歴史博物馆にも指导者の歴史観が反映されています。そのような中で戦胜史観が国民を统合する共通の记忆として再び用いられ、戦胜记念の军事パレードも復活しました。

(左)ロシア歴史公園の展示館「ロシア―私の歴史」(右)展示館に設けられたロシア軍事史協会の書籍コーナー。同協会は2012年に設置された官製団体で、愛国歴史教育や記念碑建立を進めている。モスクワ、2017年8月撮影 ©池田嘉郎

この先プーチンが何らかの形でいなくなった时も、多かれ少なかれ强力なリーダーが出てくるだろうと思います。そのような、歴史と一体化した强い指导者による统治という、ロシアの政治文化を理解する必要があります。また、戦争を支持する80%の人々、戦争に反対する20%の人々、いずれもロシアの现実であり、ロシア史の一部です。彼らの姿を见つめ続けていかなければならないと、自分は思っています。

过去がそのまま现在とつながっている今回の戦争では、现状がすでに歴史の一部といえます。そうした「歴史としての现状」を考える际に、个々人の记録や事跡をたどり、一人ひとりの境遇や思いに焦点を当てる歴史学、ひいては人文学が果たせる役割は大きいと思っています。

募金活動
ウクライナ東部で親ロシア派が独立を主張している「ドネツク人民共和国」 「ルガンスク人民共和国」への支援を呼びかける募金。モスクワ、2015年3月撮影 ©池田嘉郎
 
池田先生写真

池田嘉郎
人文社会系研究科准教授

东京大学大学院人文社会系研究科修了、文学博士。东京理科大学准教授を経て、2013年より现职。着书に(2007年、山川出版社)、『ロシア革命 破局の8か月』(2017年、岩波书店)、訳书に(ミヒャエル?シュテュルマー着、2009年、白水社)などがある。

 
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