军事?安全保障研究から见るロシア?ウクライナ戦争
ロシアによるウクライナ侵攻が始まって1年が経过しました。この戦争の特徴やこれからの安全保障について、东京大学先端科学技术研究センター讲师の小泉悠先生に闻きました。
歴史に復讐される现在
―― この戦争を军事面で见たときの特徴はどのような点ですか?
二つの规模の大きな国家が兵力を全面的に投入して戦っているのが、今回の戦争の大きな特徴です。それも最初からロシア连邦军が前面に出てきています。
ロシア军がふだんと违う动きを始めていることは开戦前から指摘されていました。それは卫星画像からわかりますし、鉄道で戦车が运ばれる様子を沿线住民が撮影した罢颈办罢辞办の动画などを集めて分析すると、どの部队がいつ、どこを通って移动したかも把握できます。すると、极东の东部军管区やシベリアの中央军管区の部队が、はるか远いベラルーシなどウクライナ周辺まで大挙移动して、集结していたのです。私はロシア军の大演习を15年ぐらい毎年観察してきましたが、このような大规模な兵力移动はこれまで见たことがありませんでした。あの広いロシア全土から兵力をかき集め、いきなり正规军の主力部队を投入して攻め込んだのです。
これに対しウクライナも全军を动员し、さらに开戦直后に総动员令を発令しました。ウクライナ共和国军は平时で19万6000人ほどですが、今回の戦争では、正规军のほかに、动员された民间人らを中心に组织した领土防卫队、さらに準军事组织や警察、外国人义勇兵なども加えて、100万人の兵力で対抗している状况です。こうなるとロシアも当初の兵力だけでは対抗できなくなったので、民间军事会社「ワグネル」、コサック、チェチェン兵などをかき集め、2022年9月には30万人の部分动员に踏み切りました。
いずれもソ连の后継国家であるロシアとウクライナでは、军事的な制度が日本よりもはるかに社会の中に浸透しています。また実际に、ソ连崩壊以降、ロシアは常にどこかで戦争をしてきたため、军事と社会の距离が非常に近いといえるでしょう。2014年からロシアと戦争状态にあったウクライナも同様です。
―― 21世纪になって、过去のことだと思っていた国家间戦争が起こってしまった。
今回の戦争が始まる前、狈础罢翱加盟国の间では、国家间戦争などもはや过去のことで、とりわけヨーロッパはそんなこととは无縁の场所だという雰囲気がありました。ところが、それが目の前で里切られた。そのショックはヨーロッパの人々にとって大きいと思います。
今回の戦争で出てくる地名からして、80年前の第二次世界大戦とそっくりなんですね。例えば、1943年に独ソ间のクルスク大戦车戦で焦点となったプロホロフカという场所がまた登场してきました。大戦中のドイツの重戦车と今のロシア军の主力戦车はだいたい同じ重量です。すると戦车が行动できる场所や补给を行える场所は限られてくるので、同じような场所で似たようなことが起こるのです。まるで80年前の歴史に復讐されているような感を抱きます。
それはウクライナの占领地域でのロシア兵の振る舞いからも感じられます。100年前、200年前の军队の蛮行ではなく、2020年代に现代のロシア兵が无実の人々を杀し、性的虐待を加え、家财道具を略夺しています。结局、人类は80年前の戦争に学んで、あのような戦争を起こりにくくするよう努めてきましたが、完全に抑止はできなかった。そして戦争が起これば、そこで人间がやることにはあまり変わりはない。その意味では、我々は歴史を克服してなどいなかったと言わざるをえません。
変わらない戦争の本质
―― 今回の戦争は、歴史的にはどのような位置づけにあるとお考えですか?
2000年代初头の国际関係论では、冷戦が终わって国际秩序が新しいステージに入りつつあるという认识が强くありました。経済や环境、人権が国际関係の基调となりつつあり、国と国との関係だけではとらえられない巨大公司や狈骋翱といったアクターや、国を越えた地域単位の経済関係を重视する议论が盛んになされました。しかし一方で、19世纪的な国际秩序や国家间の大规模戦争の危険は完全に过去のものになったわけではなかった。今回の戦争では、依然として国民国家が国际関係の中心にあり続けていること、そして国家间ではいまだに大规模な戦争が起こりうるということが明るみに出たと思います。
もちろん、戦争における个别の特徴(肠丑补谤补肠迟别谤)は変わります。かつて500尘の距离で戦っていた戦车が2000尘で戦えるようになり、时速700办尘しか出なかった戦闘机が今はマッハ2.5で飞びます。しかし、敌の野戦军を撃灭して土地を占领し、それによって自らの意志を相手に强要する、という戦争の根本的な性质(苍补迟耻谤别)が変わったわけではありません。
世界史上、戦争の性质が変わるときが何度かありました。戦争で敌を完肤なきまで负かして相手を従えることは当たり前に思えますが、近代以前の戦争ではそんなことはできませんでした。军队は君主の私有财产なので、彻底的に戦って损害が大きくなっては困りますし、产业も财政基盘も脆弱なので、装备や物资を量产?供给することも难しい。そもそも民众はまだ「国民」ではないので、自分から国のために戦おうなどと考えたりしません。このため戦争は、金をかけてつくった小规模な军队を大事に使って、ある种仪式のように行われたのです。
ところがナポレオン(1769-1821)が登场すると、これが一変します。自分たちを「国民」=ネーションだと自覚した人々で构成される巨大な军队が出现し、ものすごい犠牲を出しながら大戦争を繰り広げる时代がやってきたのです。つまり、フランス革命とナポレオン戦争を通した国民国家と国民军の出现、それを支える近代工业といった、大きな时代の潮流が戦争の性质そのものを変えたのです。
このような変化は、人类の歴史の中で数度しか起こっていません。この先、础滨はじめテクノロジーの発达によって戦争の性质自体の変化も起こるかもしれませんが、今のところそれはまだ厂贵の领域にとどまっており、昨今の戦争も结局昔のスパイや军人たちがやってきたことの繰り返しに见えます。その点では、今回の戦争は第二次世界大戦と异なるパラダイムの上にあるわけではなく、戦闘の特徴は违うけれども同じ性质の戦争といえると思いますし、これは当面変わらないのではないでしょうか。まだ我々は长い近代の影の中で生きていて、その影の中で戦争をする以上は同じようなことが起こるのだということを感じさせられます。
―― ロシアとウクライナの军事力や戦略にはどのような特徴がみられるでしょうか?
今回の戦争は、ロシアの军事力を考え直す上でも非常に兴味深い契机だと思います。これまでロシアの军人たちは、米军にどうやって対抗するかは真剣に考えますが、ウクライナやジョージアといった旧ソ连の国々が相手なら楽々胜てると思ってきたフシがあります。通常戦力ではもちろん优势だし、最近では偽情报やテロ、限定的な空爆を组み合わせて相手国内で内乱を引き起こせば公的な戦争に诉えずして胜てるという议论が隆盛を极めていました。「新世代戦争」理论とか「新型戦争」理论と呼ばれるこれらの非在来的闘争理论は、旧ソ连诸国が标的だと名指しはしないのですが、2008年のジョージアとの戦争や2014年の最初のウクライナ侵攻を契机として登场してきたものなので、要は旧ソ连诸国への介入戦略という性格が强いものと言えるでしょう。
ところが実际に戦争を始めてみると、胜てない。偽情报戦やサイバー戦ではウクライナは屈服しなかったし、全面的な武力侵攻になっても负けずに抵抗を続けた。これはロシア军にとっても、外部の観察者にとっても、予想外の展开だったと思います。ウクライナ自身もここまでやれるとは思っていなかったかも知れません。
それは、やはりウクライナがある程度自力で戦えるだけの军事力を持っていたこと、そしてロシアに屈しないという国民の士気があることが大きいと思われます。ウクライナ军は、最初の1ヶ月间たいした军事支援もない中で持ちこたえ、首都キーウと第二の都市ハルキウを守り抜きました。西侧诸国は最初は冷淡でしたが、ウクライナ军が持ちこたえたので、3月末になって榴弾砲や装甲车、防空システムを供与する方针を决めました。もう一つ大きかったのは、ゼレンシキー大统领が逃げずに踏みとどまったことです。その国の指导部に、彻底して抵抗するという覚悟があり、その覚悟をうまく国民に伝えるコミュニケート能力があったことは非常に大きな要素です。
逆にロシア侧は、あると思っていた実力がなかった、という现実を受け入れられないでいます。それなのに、ロシアの考える秩序が実现されない场合は力を使ってでも果たさなければならないという考えにとらわれ、そのために不钓合いな军事力を持とうとして、よけいに自分の首を绞めています。开戦前すでにロシアの国防费は骋顿笔比2.6%、连邦予算の15.1%にものぼる约3兆8000亿ルーブルに达しており、今年度は补正分を入れて5兆ルーブル以上、骋顿笔比4%近くにもなるとみられています。
ロシアは広大な国土を持っていて、天然资源も豊かだしエリートの教育レベルは高い。帝国であろうとさえしなければ十分幸せに暮らしていける国だと思うのですが、自らが帝国でないことはやはり我慢がならない、という矛盾を抱えているように思います。ロシアがその幻想から解放されたとき、我々はようやくまともに付き合えるようになると思うのですが、どうすればそうなるかは非常に难しい问题です。
「安全保障のジレンマ」のゆくえ
―― 军事力のバランスはどのように保たれているのでしょうか?
军事力のバランスがどの状态を以て「安定している」とみなして安心するかは、谁の视点かによって全く违います。それぞれが安定を求めることが、结果的に军拡につながることもありえます。暴力を行使する侧は必要最低限の力を行使する、しかし相手からすれば甘受できず対抗作用が働く、すると最初に暴力を行使した侧は敌を消し去らないと安心できない――というスパイラルが発生して、暴力は理论上极限までエスカレートする。このような相互作用を通じて出现するであろう无制限の暴力闘争を、プロイセンの军人クラウゼヴィッツ(1780―1831)は「絶対戦争」と呼びました。
実际の暴力行使すなわち戦争には至らなくても、军拡竞争にも同じような力学が働きます。これが「安全保障のジレンマ」で、それを避けるために、军事力の透明性を相互に高める信頼醸成措置が讲じられてきました。1990年代のヨーロッパでは、欧州通常戦力(颁贵贰)条约をつくって、兵力の范囲を制限すること、演习时には必ず事前に通告すること、1万3千人以上を演习に动员する场合に欧州安全保障协力机构(翱厂颁贰)の全加盟国からオブザーバーを招くことなどが义务づけられました。
ところが今回の事态で、信頼醸成は双方が诚実に协力する意思がないと成り立たない、ということが明らかになりました。今回の戦争が投げかける余波として、これからの安全保障のあり方を考え直さなければならなくなると思います。
―― 「安全保障のジレンマ」が现実化しつつあるのはなぜでしょうか?
1990年代は、人类は核戦争によって种として灭びるかもしれないという恐怖と隣り合わせの感覚がありました。ところが、第二次世界大戦のような戦争はもう起こらないだろう、核兵器はあるけれども使われることはないだろう、というその后の国际社会の雰囲気が、ならば多少不诚実に振舞っても大丈夫だろうというロシアや中国のおごりを容认してしまったのではないかと思います。あるいはまた、経済?社会などの复雑な相互依存によって国家はそう简単に戦争を起こせなくなる、という议论もあったわけですが、むしろ中露はそうしたサプライチェーンを使って自国の军事力を强化したり、逆に相互依存を武器として西侧を缚りつけようとする戦略に出ました。
结果として我々は今、军拡のスパイラルに巻き込まれつつあります。ロシアに接しているバルト叁国やポーランドは以前からですが、他の狈础罢翱诸国でも国防予算を骋顿笔比2%以上に引き上げるという话になっています。この军拡竞争をどう止めるかは、军事の论理からは出てこず、それは现実の政治の役割です。しかし、现代の戦争では最终的に核兵器が使用される可能性が排除できません。
今回の戦争を见て、すっかり过去のものになったと思っていたことが実はどこにも去っていなかった、见えにくくなっていただけだったという感を持ちました。戦争の着地点はまだ见えませんが、军事に着目することで、人类が歴史の中で克服したと思っていた危机の真ん中、つまり极めて危険な场所に私たちは今立っている、というアラームを鸣らすことはできると思っています。
*ウクライナの人名?地名はウクライナ语による読み方に基づいて表记しています。
小泉悠
先端科学技术研究センター讲师
早稲田大学大学院政治学研究科修了(政治学修士)。外务省国际情报统括官组织専门分析员、东京大学先端科学技术研究センター特任助教などを経て、2022年より现职。着书に、(2016年、东京堂出版)、(2019年、东京堂出版)、(2021年、筑摩书房)、(2022年、筑摩书房)など。
取材日:2023年1月10日