「海底が生まれる场所」の谜に挑む | UTOKYO VOICES 041
大気海洋研究所 海洋地球システム研究系 海洋底科学部門 教授 沖野郷子
「海底が生まれる场所」の谜に挑む
「海底と陆地の违いは?」と闻かれたら、ふつうは「海に覆われているか否か」だと答えるだろう。
「でも、仮に海を取り去ったとしても、海底の地面は陆地と根本的に违うんです」
世界の海底地形が描かれた地図を前に、冲野は话し始めた。冲野の研究対象は海底が日々じわじわと拡大していく部分、すなわち「海底が生まれる场所」だ。地球の表面积は一定だから、地面が生まれる场所があれば消える场所もある。このダイナミックな动きが海底の特徴だ。陆地にそうしたサイクルはない。
「しかも、こんな风に地表が动く星は太阳系で地球だけです」
海底が消える场所の代表は、2つのプレートがぶつかるところで一方が他方の下に潜り込んでいく「沉み込み帯」。地震の発生源であることから海底を研究する日本人のほとんどが主に沉み込み帯を対象としている。反対に、冲野のように、海底が生まれる「海底拡大系」をターゲットとする研究者はあまりいない。
「私のメインフィールドはインド洋の中央海岭とフィリピン海です。私がインド洋で注目しているのはアフリカの南なので、そう频繁には行けないのですが」
日本から远く离れた海域での调査航海を実现するため、冲野は地质学者や生物学者など异分野の研究者とともに、时には数年をかけて研究プロジェクトを组み上げる。晴れて计画が通れば、海底の様子を探る様々な観测机器や深海探査ロボットを积んだ船に乗りこみ、南の海へと出かけていく。
京都大学4回生の时には気象学の研究室を希望したが、定员オーバーであみだくじとなった。冲野は外れ。「まさか、あみだくじで决めるなんてね」と笑って当时を振り返る。
その後、空きがあった地震学の研究室に入り、修士課程に進んだ。修了後には企業に就職するつもりだったが、その当時、民間の調査会社で女性はまず採らないと言われた。 「ならば公務員かな、と」
试験を受け、地震学の研究室で学んだ知识と経験を买われて海上保安庁へ。配属されたのはフィリピン海の地図を作るプロジェクトだった。フィリピン海には沉み込み帯と拡大系の両方がある。冲野が拡大系を见る面白さを知ったのはこの时だ。
「一口に拡大系と言ってもその姿は非常に多様なんです。日本近海だけでなく违う海域も见たくて、研究の世界に戻ることを决めました」
あみだくじで外れて地下构造探査と出会い、就职先の配属でたまたま海底拡大と出会った。どちらも自分の意志で选び取ったものではないが、いまや一生の仕事としてのめりこんでいる。
「だから学生にも、『希望通りに进めなくても面白いことは见つかるから大丈夫だよ』と言っています」
小さいころの爱読书は「ドリトル先生」や「ツバメ号とアマゾン号」のシリーズだった。どちらも主人公が船に乗って探検に出かけるお话だ。
「地球上に人类未踏の地はもうほとんど残っていないけれど、唯一、真のフロンティアが残されているのが深海底。この研究は、まるで探検家のように、まだ谁も见たことがない海底を自分が世界で初めて见られるんです」
かくして、探検记を読みふけっていた女の子は海底の探検家となった。「海底の生まれる场所」の谜にひきこまれた探検家はこの先、何を発见するのだろう。
地図上の距离など测りたい部分にあわせて広げ、そのまま缩尺に当てて数値の见当をつける道具。「パソコン画面でも同じようなことができますが、机に地図を広げて人と话をするときにはこのほうがいいんですよね」
「爱は负けても、亲切は胜つ」。カート?ヴォネガットが、自身のファンからの手纸に书かれていた言叶として绍介したフレーズ。「人に対しても、ものに対しても、丁寧に亲切に生きたいと思っています」
Profile
冲野郷子(おきの?きょうこ)
1990年京都大学大学院修士课程修了后、海上保安庁水路部(现海洋情报部)に入庁し、日本の大陆棚限界画定の调査や日本周辺の海沟域测量に従事。1999年京都大学で博士号を取得し、同年、东京大学海洋研究所(现大気海洋研究所)の助手に。助教授を経て2014年から现职。インド洋の中央海岭やフィリピン海の背弧拡大系を対象に、研究船や深海探査机を利用してマッピングを行い、海底が生まれ、変化していく様相を研究している。着着に『海洋底地球科学』。
取材日: 2018年11月26日
取材?文/江口絵理、撮影/今村拓马