経済学で未解决の経済危机の発生と対応についての理论的?実証的な解明に挑む。 | UTOKYO VOICES 026
公共政策大学院/大学院経済学研究科?経済学部 准教授 植田健一
経済学で未解决の経済危机の発生と対応についての理论的?実証的な解明に挑む。
2008年のリーマンショック、その后のギリシャ危机をはじめとする欧州债务危机など、国际金融の焦点は為替から経済危机に移ってきている。先进国でのその始まりが1990年代の日本だった。
「1991年に当时の大蔵省に入省し、1995年に米国留学から戻ったら、住専问题に端を発する金融危机が起きていた。その対応策が骋7や翱贰颁顿(経済协力开発机构)などの会议の议题となり、随行员として参加しました」
そのとき植田は、高名な学者中心の各国代表による议论を闻いても、根本的なところがよく分かっていないようだと感じたという。当时経済危机は途上国で起こると考えられていて、先进国で発生したのは1931年の大恐慌以来だった。そのため、分からないことが多かったのだ。
「これは研究しがいがあると直感的に思いました」
そこで、职を辞して、大蔵省时代に留学していたシカゴ大学に戻り、ほとんど研究されていなかった、ミクロ経済学分野の一部である金融论とマクロ経済学分野の一部である経済危机论をつなげる研究を始めた。シカゴ大学で経済学博士号を授与されてから、滨惭贵(国际通货基金)の调査局に入り、実务に携わりつつ研究を続けた。そんな中で起きたのが2008年秋のリーマンショックだ。
「滨惭贵调査局でもマクロ経済学と金融论の双方に通じた研究者は数人しかおらず、チームで米国のリーマンショックと欧州债务危机に対応しました。米国は大恐慌以来の危机で、贵搁叠(连邦準备制度理事会)にも経験者や研究者がいません。滨惭贵は途上国危机対応の経験があり、その知见を生かして、紧急対応策を提言しました」
金融危機が落ち着くと、その根本的な要因とそれへの対応策の議論が湧き上がった。金融分野では、巨大銀行は経営危機に陥っても公的資金による救済があることを見越して、リスクを取り過ぎる傾向があるという“TBTF(Too Big To Fail=大き過ぎてつぶせない)”問題が、議論の中心となった。またそれに対し、国際的な金融規制の新たな枠組みの必要性が認識され、議論が活発になった。植田は、TBTFがどの程度問題なのかの検証や対応策の提案などに関わった。
植田は大学时代、ひどい腰痛で苦労したという。1年ほど、激痛で何をするにも辛かったが、経済学の本を読んでいる间だけは、深远な问题を考えさせられ痛みを忘れることができた。
「元々あまり身体が丈夫ではなく、2年ほど前にも(ほぼ全快したが)癌にかかったりしたので、常に悔いが残らない人生を歩みたいと考えてきました。英語でmuddling throughという言葉があります。「泥水の中をもがきながらも、前向きに進んでいく」という意味ですが、そのように生きてきて、その中でやりたい仕事ができているのは幸せです」
植田の姿势は30年前と変わらない。経済危机研究の第一人者となった今も、政策や経済学者の研究には多くの不満を感じる。それが研究に取り组む原动力だ。「経済危机の研究は経済学の中でも未确立で、いわば百家争鸣状态なので、面白い研究ができます」。
もう一つ、植田が力を注いでいるのが后进の育成だ。「欧米の経済官庁?中央银行や金融机関では研究と実务に精通しながら両立させるプロフェッショナル?エコノミストが増えてきている。日本はその层が薄いので、経済学の専门用语を駆使して议论されている国际会议などで、プレゼンスが弱くなりがちです。世界标準で活跃できるエコノミストを育てていきたいです」。
取材?文/菊地原 博、撮影/今村拓馬
「アイテムにこだわらずに研究する」。シカゴ大学で教えを受けたタウンゼント教授はそのような研究姿势だった。思いついたことなどを、その场にある安いボールペンで纸に书き付ける。レストランで话していて、ナプキンに书く人もいる。教授のように自分も手に届くところにある(大抵安い)ボールペンを使用している
正しくは&濒诲辩耻辞;ただ一灯を頼め&谤诲辩耻辞;。幕末の儒学者佐藤一斎が「どんなに先が见えなくても、一つのことを信じ前に进むのだ」という意味で述べた。「剣の道」は锻錬すれば强くなるので、&濒诲辩耻辞;ただ一刀を頼め&谤诲辩耻辞;と覚えていた。この意味で「刀」の方が自分の気持ちに合っている
植田健一(うえだ?けんいち)
1991年东京大学経済学部経済学科卒业、大蔵省入省。1994年シカゴ大学修士课程修了、大蔵省国际金融局係长。1996年シカゴ大学大学院博士课程进学、2000年博士(経済学)。同年、滨惭贵(国际通货基金)エコノミスト。2009年滨惭贵シニアエコノミストを経て、2014年东京大学大学院経済学研究科准教授に就任。これまでのキャリアで培った経済危机への対応の経験をベースに、研究と教育に携わっている。14年间勤务した滨惭贵调査局では、金融システムとマクロ経済の相互関连を研究。2011年から12年にかけて、マサチューセッツ工科大学経済学部客员研究员も务めた。
取材日: 2018年1月24日