身近なテーマを掘り下げることで、古代の歴史を见直す。 | UTOKYO VOICES 018
史料编纂所 古代史料部 助教 稲田奈津子
身近なテーマを掘り下げることで、古代の歴史を见直す。
歴史学者は子どもの顷から歴史好きの人が多いが、稲田は大河ドラマも见ず、歴史小説も読まなかった。ただ、ミステリー小説が好きで、推理と论理で谜を解いていくための素材として歴史に目を向けたら、とても面白く感じられた。「高校生の顷には歴史学者か考古学者になりたいと思っていました」と稲田は振り返る。
大学で中国との比较で日本の歴史を相対化して论じる教授の授业を受け、その考え方に惹きつけられた。
「大和朝廷は中国(唐)の律令制度を真似て、律令制度をつくったのですが、そこで、何が取り入れられ、何が外されたのか。それが気になったのです」
とくに稲田が着目したのは、殯(もがり)や天皇の葬送、服丧と丧服、官人层の埋葬地などに関する丧葬仪礼だ。中国の律令制度には丧葬仪礼について细かく规定されている。日本の养老律令はそれをかなり真似ているが、违いもある。修士?博士过程とその后の研究で、それらを分析、日本の律令制が目指した丧葬仪礼の特质を明らかにした。
当时、古代史で丧葬仪礼の研究に取り组む人はほとんどいなかった。「古代史は天下国家を论じるものだという考えがあったと思うのです。しかし、丧葬仪礼は谁もが経験するもので、それは古代の人たちも同じです。それを研究することで、古代の人々の生活、感性に少しでも迫りたいと考えました」と稲田は语る。先行研究や参考文献がほとんどない中で、丧葬仪礼の研究に取り组む稲田の姿势はミステリーを解明する探侦さながらだ。律令を読み解き、その中から当时の仪礼を浮かび上がらせていったのだ。
その后、中国の文化は朝鲜半岛を通して日本に渡来しているにもかかわらず、中国と日本の研究だけでは朝鲜半岛が抜けてしまうことに気づいた。その视点がないのはハングルが読めないことに原因があると、韩国に在外研究で赴任した。「ハングルを読めるようになって、视野が大きく広がりました。その结果、日本古代史の知见をもとに、朝鲜史を见直したり、叁つの地域で丧葬仪礼につながりがあることを论じることができるようになりました」。
今、稲田は史料编纂所で『正倉院文書目録』の編纂作業に携わりながら、喪葬儀礼の研究を続けている。特に、当時の喪葬儀礼を再現することに最も関心がある。「中国にはトゥルファン文書といって、地下墓の遺跡から発見された古文書群があり、そのなかには副葬品などのリストも含まれています。頭の飾り、服、靴と書かれている順番が同じなので、遺体に服を着せていく儀式の流れではないかと考えています」。儀式は記録に残っていないが、文書に注目することで儀式を復元できる可能性がある。その考え方は、日本古代史にも応用できるかもしれないと稲田は考える。
最近では丧葬仪礼を研究する人たちが増えてきた。その中で、先头を走り、丧葬仪礼研究の道を切り开いてきた稲田の存在は大きい。「多くの人が葬式のような仪礼は伝统的で変わらないものだと考えています。しかし研究を深めると、私たちが想像していたものとは全く违う世界が见えてくることがあります。现在、常识のようにいわれている&濒诲辩耻辞;伝统&谤诲辩耻辞;を问い直す意味からも、今、自分がやっている研究は面白いと考えています」と稲田は力を込める。
取材?文/菊地原 博、撮影/今村拓馬
稲田の职务?研究において大きな割合を占めるのが正仓院文书の復元。切り离されてしまった巻物をメジャーを使って切った部分の大きさを测り、つなぎ目を确认し、奈良时代の作成时の状态に戻していく
葬仪などの仪礼は伝统的なもので昔から変わらないと多くの人は考えている。しかし、それは全くの思い込みで、歴史を遡れば、全く违う世界が现れる
稲田奈津子(いなだ?なつこ)
2004年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学、史料编纂所助手に着任。2007年助教、博士(文学)取得。古代史料部門で『大日本史料』第一編や『正倉院文書目録』を担当。2009年度には韓国で10ヵ月の在外研究を経験。個人研究としては喪葬儀礼研究を基軸に、東アジアの文物に関心を持っている。著書に『日本古代の喪葬儀礼と律令制』(吉川弘文館、2015年)や『大唐元陵儀注新釈』(共著、汲古書院、2013年)などがある。
取材日: 2017年12月14日