「丁寧に、粘り强く」チャレンジを続ければ成果は出せる。 | UTOKYO VOICES 011
大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 教授 佐藤 薰
「丁寧に、粘り强く」チャレンジを続ければ成果は出せる。
昭和基地に建设された世界初の南极大型大気レーダー笔础狈厂驰は、瓢箪から驹だった。
佐藤が国立极地研究所に入所した1999年、「どうせ无理だろうと思ったが、大型大気レーダーを南极に建ててみてはと大胆に提案。そうしたら、研究主干(副所长)から『できるかもしれないよ。僕がバックアップするから検讨してみなさい』という予想外の返事でした。その言叶に惊くとともに、感动して、検讨を始めました」。
ところが、研究主幹を含む3人を除く研究所員全員から無謀だと反対される。「私も無謀だと思っていたのですが、できるかもしれないという方もいる。なら、実現できるかどうか自分で確かめてみようと昭和基地に行きました。1年間南極で生活し、建築担当を含む設営隊員の意見も参考にして、たどり着いた結論は、できるという確信は持てないが、できないという確信も持てない、ということでした。それで、本格的に検討を進めることに決めました」。この佐藤のチャレンジ精神と諦めない粘り強さが、PANSYレーダー(Program of the Antarctic Syowa MST/IS Radar)の実現につながった。PANSYは1,045本のアンテナが直径300mのエリアに配置される巨大なレーダーであり、大気の動き(風)や電子密度を観測して大気科学の最前線を研究する。
2014年、笔础狈厂驰の开発研究により文部科学大臣表彰を受赏するなど、気鋭の気象研究者の佐藤だが、子供の顷は「ピアノの先生になりたかった」という。気象に兴味を持ったのは、中学2年の理科の教科书で知ったラジオの気象通报だった。「天気図用纸を买ってきて、ほぼ毎日、风速や気温を记入し、等圧线を引いて天気図を作っていました。翌日の新闻に掲载された天気図を见て正解だったか确认するのも楽しかったです」。
ピアノに加えて数学と物理も好きだった佐藤は东大理科1类に入学。所属していた合唱団の先辈の一人から地球物理学科で気象を研究していると闻き、进学する。大学院でのテーマは大気レーダーによる観测研究だったが、レーダーに入るノイズに悩まされた。&濒诲辩耻辞;丁寧に、粘り强く&谤诲辩耻辞;ノイズ除去プログラムを作って克服した。
もう一つのテーマが惑星レベルの大気循环だ。地球の大気循环は阶层构造を持ち、太阳放射だけでなく、大気重力波と惑星规模のロスビー波によって駆动される。観测を基にした高解像度シミュレーションの结果、「重力波はそれまでの想定よりも大きく斜めに伝播しており、効率的にジェット気流を弱めていることがわかりました。これがオゾンホールの崩壊时期の正确な予测につながったのです」。
「私达は纯粋科学で真理を探求していますが、思いがけず、社会に役立つ成果がでたりします」と话す佐藤だが、研究は成果がなかなか出ずに辛いことも多いという。しかし、「研究は、予想通りでない结果がでるのが面白いんです。予想と违うのは、知られていない何かが潜んでいるかもしれないということ。丁寧に调べると実はこうだったのかということが结构あります。若いときは予想が外れるとがっかりしたものでしたが、今ではそれが楽しいと感じます」。
予想外の现象を追求した结果、「世界で私达だけがこの现象とその物理を知っている。それを国际学会で&濒诲辩耻辞;どうです。面白いでしょう&谤诲辩耻辞;と発表するのは愉快ですね。丁寧に、手を抜かずに粘り强くチャレンジし続ければ、成果は出せるはずです」と、佐藤の颜は辉く。
取材?文/佐原 勉、撮影/今村拓馬
笔础狈厂驰を活用して大気科学のフロンティアを走る佐藤のアイデアは、まず础4の大判ノートに定着される。无机的なノートの表纸に、旅行先などで买い求めた包装纸や千代纸などのカバーをかけて楽しんでいる
佐藤は宝塚のモットーでもある「清く、正しく、美しく」を反芻しながら研究を続けている。そして「丁寧な、粘り强い」研究が成果を上げる条件だ
佐藤 薰(さとう?かおる)
1984年东京大学理学部地球物理学科卒业。1986年同大学院地球物理学専攻修士课程修了。公司に一旦就职するが、1988年京都大学大学院理学研究科地球物理学専攻博士课程编入学、1991年同修了、理学博士。1993年东京大学気候システム研究センター助手、1995年京都大学大学院理学研究科助手、1999年国立极地研究所助教授を経て、2005年东京大学大学院理学系研究科教授。第44次日本南极観测队越冬队员。2011年度东京大学総长补佐。
取材日: 2017年12月5日