骋厂滨セミナー 郷原佳以「デリダとブランショの见たカフカ:最后列のユダヤ人」
基本情报
区分 | 讲演会等 |
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対象者 | 社会人?一般 / 在学生 / 教職員 |
开催日(开催期间) | 2024年6月28日 15時 — 16時30分 |
开催场所 | 驹场地区,ハイブリッド |
会场 | 対面:东京大学 驹场滨キャンパス10号馆301に変更になりました /campusmap/cam02_01_09_j.html オンライン:窜辞辞尘ウェビナー お申込いただいた方に、窜辞辞尘の鲍搁尝をお知らせします。 |
参加费 |
无料
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申込方法 | 要事前申込
以下のリンクより事前登録をお愿いいたします。 対面参加?オンライン参加とも、上记の鲍搁尝から事前に登録する必要があります。 その際、対面参加の場合は、姓名の後に〇印を付してください(記入例:東大 太郎 〇)。 |
申込受付期间 | 2024年6月14日 — 2024年6月28日 |
お问い合わせ先 | グローバル?スタディーズ?イニシアティヴ(骋厂滨)事务局 肠辞苍迟补肠迟*驳蝉颈.肠.耻-迟辞办测辞.补肠.箩辫 ※メールを送信する际は、*を半角@マークに変更してください。 |
第5回グローバル?スタディーズ?セミナー
郷原佳以「デリダとブランショの见たカフカ――最后列のユダヤ人――」
【司会】 吉国浩哉(総合文化研究科言語情報科学専攻)
【コメント】 伊達聖伸(総合文化研究科地域文化研究専攻)、國分功一郎(総合文化研究科超域文化科学専攻)
【要旨】
没后百年を迎え、いまなおカフカの话题は尽きない。関连书籍が続々と出ている。最近の大きなトピックは、カフカのデッサンが初めてまとまった形で発表されたことだろう。カフカは书く人、そして书くことに苦悩した人であったばかりでなく、描く人でもあった。描く人カフカの発见は、私たちのカフカ像をいかに変えるだろうか。
さまざまなカフカ像があるなかで、本発表では、フランスの哲学者ジャック?デリダ(1930-2004)と作家?文芸批评家モーリス?ブランショ(1907-2003)にとってのカフカに光を当て、彼らの见たカフカがある点で似通っていたのではないか、という仮説を提示したい。デリダとブランショにとってのカフカに光を当てることは、彼らにとっての「ユダヤ性」の问题に触れることでもある。デリダは1980年代から法の问题、秘密と文学の问题に関してカフカに论及しているが、2000年代初头に「アブラハム、もう一人の」や「フィシュ」でカフカを再び取り上げるとき、ある仕方で「ユダヤ性」の问题に関わっている。1990年代からデリダは、アルジェリア生まれのユダヤ人という出自について语るようになっていた。ブランショはといえば、そのすべての文学论の原动力になっていると言っても过言ではないほど、1940年代から一贯してカフカと共に思考している。そして主着『文学空间』(1955)では、カフカを论じる上で确かにユダヤ民族の追放と彷徨を参照し、作家の営みに関连付けている。
しかし、いずれもカフカを典型的なユダヤ人――とは何か?――と位置づけているわけではない。それどころではない。カフカは彼らにとって、いわば「最后列のユダヤ人」である。この形象は、デリダが1970年代から自分を指して用い始めた「最后の[=もっともユダヤ的でない]ユダヤ人」という表现と、后年になってカフカの断章を参照して取り入れた、〈クラスの最后列にいる劣等生〉という形象を重ね合わせたものである。この形象を通して、デリダとブランショにとってのカフカ、そして「ユダヤ性」の问题を眺めてみたい。