【オンライン】「日本人と琉球 ――二つの地図から考える――」
基本情报
区分 | 讲演会等 |
---|---|
対象者 | 社会人?一般 / 在学生 / 教職員 |
开催日(开催期间) | 2021年3月16日 14時55分 — 16時40分 |
开催场所 | その他学内?学外 |
会场 | Zoom Webinar 聴讲希望者はに必要事项をご入力ください。 |
参加费 |
无料
|
申込方法 | 要事前申込
聴讲希望者はに必要事项をご入力ください。 |
申込受付期间 | 2021年2月16日 — 2021年3月16日 |
お问い合わせ先 | グローバル?スタディーズ?イニシアティヴ(骋厂滨)事务局 肠辞苍迟补肠迟*驳蝉颈.肠.耻-迟辞办测辞.补肠.箩辫 ※メールを送信する际は、*を半角@マークに変更してください。 |
グローバル?スタディーズ?セミナーのご案内
东京大学グローバル地域研究机构(滨础骋厂)では、「グローバル?スタディーズの课题」シリーズ第11回を下记のとおり奥别产上にて开催いたします。アクセス详细は聴讲希望者にお知らせします。希望者はに必要事项をご入力ください。
日時: 2021年3月16日(火)14:55-16:40
場所: Zoom Webinar
スピーカー: 渡辺 美季
大学院総合文化研究科超域文化科学専攻?准教授
タイトル: 「日本人と琉球 ―二つの地図から考える―」
要旨: 1471年(日本は応仁の乱の最中)に朝鲜で刊行された「琉球国之図」という地図がある。当时、琉球?朝鲜との交易に従事していた道安という博多商人が、1453年に朝鲜政府に献上した地図(以下、「原図」と记す)をもとに作成されたと推定でき、今のところ琉球を详细に描いた最古の地図である(「原図」は现存していない)。この顷の琉球は、14世纪后半に开始された明との朝贡関係を背景に、明?日本?朝鲜および东南アジア诸地域を结ぶ中継贸易を展开し、商业的な繁栄を謳歌していた。
一方、1696年(日本は元禄时代)、竹森道悦という福冈の藩士が「琉球国図」という地図を何らかの地図を模写する形で作成し、太宰府天満宫に奉纳している。「琉球国之図」とよく似ているが、记载情报はそれよりもかなり详しい。この顷、琉球は中国(当时は清)への朝贡を维持しつつ、1609年の萨摩の军事侵攻を契机に日本(より具体的には萨摩―幕府)の支配下に组み込まれ、一方、朝鲜や东南アジア诸地域との関係は无くなっていた。
最古の「琉球国之図」と、それとよく似つつも、より详细な225年后の「琉球国図」。しかもそれは琉球が日本の支配下に入った87年后に作成されている――となれば、古い地図に新たな知见を描き加えたものが「琉球国図」であろうと考えるのが自然かもしれない。
しかし「琉球国図」を分析したところ、そこには道安ら博多商人が盛んに交易していた时代より后の要素は见つからず、どうやらこれは「琉球国之図」の「原図」系统の図である可能性が极めて高いという结论に至った(下図を参照のこと)。
「原図」&谤补谤谤;&谤补谤谤;「琉球国之図」&谤补谤谤;&迟颈尘别蝉;&谤补谤谤;「琉球国図」
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一体なぜ竹森道悦は、17世纪末に约200年も前の状况――その状况は17世纪末には既に失われていた――を描く琉球の地図に着目し、模写したり神社に奉纳したりしたのだろうか。そもそも道悦ら江戸时代の日本人にとって琉球とはどのような存在であったのか。谁がどのように行くことができ、また行き得なかったのか。どのような情报をどこから入手することができ、また入手し得なかったのか。本报告では、二つの地図の内容や地図を巡る行為を通じて、これらの问题を具体的に论じていきたい。
司会: 田辺明生(総合文化研究科 超域文化科学専攻)
討論者:伊達聖伸(総合文化研究科 地域文化研究専攻)
國分功一郎(総合文化研究科 超域文化科学専攻)
言語: 日本語
アクセス詳細: 聴讲希望者はに必要事项をご入力ください。
东京大学グローバル地域研究机构(滨础骋厂)では、「グローバル?スタディーズの课题」シリーズ第11回を下记のとおり奥别产上にて开催いたします。アクセス详细は聴讲希望者にお知らせします。希望者はに必要事项をご入力ください。
日時: 2021年3月16日(火)14:55-16:40
場所: Zoom Webinar
スピーカー: 渡辺 美季
大学院総合文化研究科超域文化科学専攻?准教授
タイトル: 「日本人と琉球 ―二つの地図から考える―」
要旨: 1471年(日本は応仁の乱の最中)に朝鲜で刊行された「琉球国之図」という地図がある。当时、琉球?朝鲜との交易に従事していた道安という博多商人が、1453年に朝鲜政府に献上した地図(以下、「原図」と记す)をもとに作成されたと推定でき、今のところ琉球を详细に描いた最古の地図である(「原図」は现存していない)。この顷の琉球は、14世纪后半に开始された明との朝贡関係を背景に、明?日本?朝鲜および东南アジア诸地域を结ぶ中継贸易を展开し、商业的な繁栄を謳歌していた。
一方、1696年(日本は元禄时代)、竹森道悦という福冈の藩士が「琉球国図」という地図を何らかの地図を模写する形で作成し、太宰府天満宫に奉纳している。「琉球国之図」とよく似ているが、记载情报はそれよりもかなり详しい。この顷、琉球は中国(当时は清)への朝贡を维持しつつ、1609年の萨摩の军事侵攻を契机に日本(より具体的には萨摩―幕府)の支配下に组み込まれ、一方、朝鲜や东南アジア诸地域との関係は无くなっていた。
最古の「琉球国之図」と、それとよく似つつも、より详细な225年后の「琉球国図」。しかもそれは琉球が日本の支配下に入った87年后に作成されている――となれば、古い地図に新たな知见を描き加えたものが「琉球国図」であろうと考えるのが自然かもしれない。
しかし「琉球国図」を分析したところ、そこには道安ら博多商人が盛んに交易していた时代より后の要素は见つからず、どうやらこれは「琉球国之図」の「原図」系统の図である可能性が极めて高いという结论に至った(下図を参照のこと)。
「原図」&谤补谤谤;&谤补谤谤;「琉球国之図」&谤补谤谤;&迟颈尘别蝉;&谤补谤谤;「琉球国図」
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一体なぜ竹森道悦は、17世纪末に约200年も前の状况――その状况は17世纪末には既に失われていた――を描く琉球の地図に着目し、模写したり神社に奉纳したりしたのだろうか。そもそも道悦ら江戸时代の日本人にとって琉球とはどのような存在であったのか。谁がどのように行くことができ、また行き得なかったのか。どのような情报をどこから入手することができ、また入手し得なかったのか。本报告では、二つの地図の内容や地図を巡る行為を通じて、これらの问题を具体的に论じていきたい。
司会: 田辺明生(総合文化研究科 超域文化科学専攻)
討論者:伊達聖伸(総合文化研究科 地域文化研究専攻)
國分功一郎(総合文化研究科 超域文化科学専攻)
言語: 日本語
アクセス詳細: 聴讲希望者はに必要事项をご入力ください。