东京大学基金寄付者インタビュー第二十四回 主人が生きた証を、未来に残す寄付
东京大学基金 寄付者インタビュー 第二十四回
主人が生きた証を、未来に残す寄付
故人が残した财产を、母校への寄付というかたちで生かされる方が増えています。今回は东京大学の卒业生の旦那様と死别され、残された财产から旦那様の母校である东京大学にご寄付いただいた长冈美恵子様の想いをご绍介していきます。
長岡 美惠子(ながおか?みえこ)様
1947年(昭和22年)10月4日生。东京都出身。
1968年 大学卒業
1969年 外資系石油株式会社入社
1982年 長岡日出雄様と結婚
1999年 外資系石油会社退社
2020年 日出雄様永眠
结婚したのは、私が35歳のときでした
大学を卒业した私は、外资系の石油会社に就职しました。そんな私と、主人である长冈日出雄が结婚したのは、彼が49歳、私が35歳のときです。私たちふたりの出会いのきっかけはお见合いです。主人は、东京大学の法学部を卒业して、运输省(现?国土交通省)に勤务する国家公务员でした。入省后には自己都合で休职し、1年间パリ大学に留学。渡仏の际は、マルセイユまで船で行ったそうです。「胜手にそんなことをするから、僕は出世できないんだよ」と笑っていましたね。パリから帰国后は、公务に復帰して様々なポストを経験していたとのことです。
ふたりとも遅い结婚でしたし、周りからは、「固い职场の彼と、やわらかい职场の君は、きっとすぐに别れる」なんて言われていました。でも、そうはいかないぞ!って、顽张って添い遂げたわけです(笑)。结婚后に主人は「君がやりたいことを自由にすれば良い」と言ってくれ、会社は辞めずに共働き夫妇となり、私は都合30年间、新卒で入った石油会社にお世话になりました。最终的には52歳で早期退职制度で退职しましたが、私にとって、とても働きやすい职场でした。
一方、主人は运输省を定年まで勤め上げて退职。そしてリタイヤ后には、「まだ学びたいことがある」と、东京大学の文学部フランス文学研究室(修士)に再入学します。生前、「卒业后の就职を考えなければ、本当は文学部に行きたかったんだよ」と言っていましたから、60歳を过ぎてその思いを実现したんですね。その当时、主人よりかなり年下の同级生となった方々も今では40代です。みなさん、大学の先生になったり、滨罢公司で働いていたりされていますが、主人が亡くなった今でも私と仲良くしてくださっていております。そうやって一所悬命に働き、人生を楽しみ、妻である私にたくさんの大切なものを残してくれた主人ですが、2020年、87歳でこの世を去りました。実は、まだ纳骨できていないんですよ、淋しくなるから&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。今も自宅で、一绪に过ごしています。
寄付であれば节税対策にもなると提案されました
その方自身も東京大学で学んだ方で、ご主人も東京大学の卒業生です。彼女は今から4年ほど前にご主人を亡くされていて、遺産の一部を东京大学基金 に寄付をしたとのこと。その話を聞いて、これだ!と思いました。私の主人も東京大学に育ててもらい、リタイヤ後も再び東京大学で学ばせてもらいました。そうやってお世話になった大学に恩返しができるなら、主人もきっと本望だろうと考えたのです。
寄付という遗产の使い方があるとわかったことは、私にとって幸いでした。
&苍产蝉辫;もう一件、寄付を実施した先があります。国际协力机构(闯滨颁础)です。サンパウロ大学法学部教授で、东京大学でも客员教授として教鞭をとられていた二宫正人先生は、亡くなった主人がとても亲しくしていた方なのですが、そのご縁で二宫先生が顾问等を务めていて、関係の深い闯滨颁础にも寄付させていただくことにしました。同时に、主人が自宅に残した膨大な量の蔵书の一部を有効に活用させて欲しいというお申し出をお受けし、二宫先生が奉职しているサンパウロ大学法学部国际法?比较法学科におかれているフジタ?ニノミヤ?チェアと、兼任している同大学文学部日本语学科の図书馆に「长冈文库」として受け入れられることになりました。二宫先生からは、サンパウロへ行って同文库の赠呈式に出席してほしいとの依頼を受けていますが、もうかれこれ10年以上も飞行机に乗っていませんし、エスコートしてくれる主人もおりませんので、辞退させていただいております。
寄付の内容?种类などを説明してくれました
話を少し戻します。東京大学に寄付ができることを教えていただき、まずは东京大学基金あてにお手紙を書いて郵送しました。「亡くなった主人が東京大学の出身でした。ご寄付をしたいと考えておりますが、どのようにすればよいでしょうか」と。するとすぐに、东京大学基金のSさんという女性担当者から、電話連絡をいただきました。相続税を納めなければならない場合、その期限は相続の開始を知った日=主人が亡くなった日の翌日から10カ月以内とのこと。それまでに、寄付のことを含め、相続全体の計画を固めなければなりません。そのあたりの相続の基本や流れを含め、何度もSさんと連絡を取り合いながら、東京大学への寄付の方向性を相談していきました。
难しい内容のお话をわかりやすく、というのでしょうか、厂さんはとても丁寧に东京大学の寄付に関する详细、进め方などを説明してくれました。相続以外のこともいろいろ相谈してしまったりして、少し迷惑だったかしらとも思うのですが、ひとりの専任担当を决めて対応してもらったこと、本当に安心してお话を进めることができました。
寄付の内容や种类についても、厂さんは私の希望を详しく闻いてくれ、わかりやすく提案してくれました。私が厂さんにお话ししたのは、主人が法学部と文学部で学んだことから文系学部を支援できるものを、また、私には医师をしている亲族が多くおり、昨今のコロナの问题もあるため医疗関连のプロジェクトを支援できるものを、ということ。そのうえで、やはり主人がこの世を生き、この大学に育ててもらった証を残したいということもお伝えしました。金额や寄付の种类など、无理のない范囲で设计してまとめてくれたこと、本当に助かりましたし、満足いくものになったと感谢しています。本郷キャンパスの安田讲堂には、主人と私の名前が刻まれた铭板が饰られています。きっと主人も天国で喜んでくれると思います。
(略:全文及び长冈様からのメッセージ动画は、「东京大学基金」ウェブサイトのをご覧ください。)
取材?文:菊池 徳行(株式会ハイキックス)